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著者の本をもっと見つけたり、似たような著者を調べたり、おすすめの本を読んだりできます。

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この本は、地球の秩序化という人類の歴史を、「しきり」というものを通して考察されているように感じた。
一つの地球を都市やクニのように、「しきり」今では200超の国に「しきられている」。
言葉も、いわば「しきり」の産物だろう。
そこでふと思ったのは、あくまで個人的な解釈だが、一般的に学力が高いと言われるのは、この秩序化、「しきり」の多さにあるんじゃないかと思った。しきるのが好き。しきることで世界の見通しを良くしてきた。
だけれども、頭の中の「しきり」の少ないように感じる人はそれはそれで、いやそれでこそ、ある意味突飛で、非常に面白い世界の捉え方をするな、と、勝手に思うことがある。すごく魅力的。
頭のしきりの多い人、一般に頭がいい、学力が高いと言われる人は、物事を細かく、正確に、そして複雑に見ている、考えているように感じる。
逆にしきりの少ない人は、純粋に物事を見れている、世界を見れている気がする。
たしかにしきることで、秩序化を進めることで見通しが良くなって、そのことでの面白味というのも大いにある。
でも、しきりすぎると厄介。
世界を純粋に見れるようになりたい。ただ現実を、ありのままに。
駄文長文に、本の趣旨から完全にずれたレビュー、お許し下さい泣
日本の文化のなかで無意識にすごしていた「しきり」について新鮮な感覚であらためて教えられました。
ヨーロッパに計四年ほど住む機会があったが、建物や住居の問題に始まり、空間の使い方や時間的な間の取り方、またコミュニケーションでの場に至るまで、ヨーロッパで感じた違和感や日本との違いを、この本で書かれたことを応用して考えることで個人的に納得いくことが多々あった。間違いなく良著である。
「しきり」の文化論とあるので、てっきり「イベントを仕切る」というような意味の「しきり」だと思った。
文化論と銘打っているのだから。
ところが、この「しきり」は間仕切りのことだ。
この紛らわしさ、実のところ30ページほど読んでもまだ気付かなかったのだ。
間仕切りのことだ。この本は建築物の解説本だということに気付くまで、実に50ページほど読んでいたのだった。
うっかりしているぼくも悪いが、著者である柏木さんもダメだろう。なにせ、「はじめに」と第1章は精神論というか、精神的な境界について
の話がダラダラと続くのだから。
第2章以降は、きびきびとした文章になるわけではないのだけれど。
第2章以降は、建築物の話になるので、勘違いの甚だしい、思い込みの強いぼくですら、この本は間仕切りについて解説した建築の本だということがわかるのであって、文体はダラダラのままだ。
おそらく柏木さんは物知りなのだろう。そして物知りすぎるから、説明したいことが芋づる式に増殖し、話は脱線しつつその脱線が本線になりつつ、という迷走文を書いてしまうのだ。
境界、間仕切りについてだけの建築薀蓄話ということにしておけば良かったのに!
間仕切りについて、知っていること全部を書くからこうなる。
文化論的に「しきり」を扱って、それを建築に適用することであらたな建築デザインを提案する著作かと期待したのだが。
著者は、自己と他者、自国と他国といった対比から「しきり」の概念を引き出し、分類することはしきることだと言う。このあたりは建築を前提とした議論ならば許容範囲だが、私の感覚とはずれていて、一般的な意味での文化論としては肩すかしのように感じる。例えば湯豆腐を食べるときにトウフとハクサイを意識して食べることと、それをトウフとハクサイをしきっていると捉えることは等価だとは思えない。ともあれ前半では、ひとは何をしきり、何をしきらないかという文化論的な話題が展開される。
後半は具体的な建築における仕切の話になり、第三章では歴史的話題、第四章では現代的話題が取り上げられる。とはいえ最新の話題は個人住宅で1960年代、オフィスで1980年代のものだから、十分に定説化した議論の範囲に留まっていると言える。
日本の古い住宅と新しい住宅でのしきり方の違いをまとめて紹介しているという点では、自分の住み方を考える上で参考になると思う。