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江藤淳と加藤典洋 戦後史を歩きなおす (文春e-book)
戦後80年間の日本人の魂の遍歴を、江藤淳・加藤典洋とともにたどる試み。小林秀雄賞の歴史家が放つ、初めての「文芸批評」。
<上野千鶴子さん推薦
「戦後批評の正嫡を嗣ぐ者が登場した。文藝評論が政治思想になる日本の最良の伝統が引き継がれた思いである。」>
国破れて小説あり
――敗けてから80年、
再生する日本が「青春期」に悶えた記憶を
老いたいま、どう受けとるのか。
文芸評論の巨人ふたりに倣いつつ
太宰治から村上龍、春樹まで、
戦後文学の最も高い尾根から見晴らす
私たちの ”魂” の現代史。
- 言語日本語
- 出版社文藝春秋
- 発売日2025/5/15
- ファイルサイズ12.3 MB
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登録情報
- ASIN : B0F82PVHVJ
- 出版社 : 文藝春秋
- アクセシビリティ : 詳細はこちら
- 発売日 : 2025/5/15
- 言語 : 日本語
- ファイルサイズ : 12.3 MB
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- Amazon 売れ筋ランキング: Kindleストア - 107,201位 (Kindleストアの売れ筋ランキングを見る)
- ノンフィクション (Kindleストア) - 2,045位
- 近現代日本のエッセー・随筆 - 3,163位
- ノンフィクション (本) - 17,977位
- カスタマーレビュー:
著者について

1979年生まれ。東京大学教養学部卒業。同大学院総合文化研究科博士課程修了、博士(学術)。当時の専門は日本近現代史。2007年から15年にかけて地方公立大学准教授として教鞭をとり、重度のうつによる休職をへて17年離職。
歴史学者としての業績に『翻訳の政治学』(岩波書店)、『帝国の残影』(NTT出版)。在職時の講義録に『中国化する日本』(文春文庫)、『日本人はなぜ存在するか』(集英社文庫)。対談形式の共著に『「日本史」の終わり』(PHP文庫。池田信夫氏と)、『日本の起源』(太田出版。東島誠氏と)、『史論の復権』(新潮新書。7名との対論集)。ほか、寄稿した論文集等多数。
2018年に病気の体験を踏まえて現代の反知性主義に新たな光をあてた『知性は死なない』(文藝春秋)を発表し、執筆活動を再開。2020年、斎藤環氏との共著『心を病んだらいけないの?』(新潮選書)で小林秀雄賞。
カスタマーレビュー
日本からのトップレビュー
- 星5つ中5つ
文藝評論が政治思想になる一冊
2026年3月1日に日本でレビュー済み本書の読後感は、帯で上野千鶴子のいうように「文藝評論が政治思想になる」一冊であった。
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江藤と加藤の思想変遷が整理されている
2026年8月2日に日本でレビュー済み加藤の敗戦後論以降の考え方の変化を論じたところは参考になった。ただ、湾岸戦争時の文化人による反戦アピールに対する加藤の「天邪鬼」な批判についての分析は「文学的」過ぎて余り明確ではないし、加藤の本音が反戦アピールの連中の「卑しい転向」にあったとしたら、少し的外れではないか。奥平教授らは憲法9条を蔑ろにしていなかったから、「転向」などしていない。柄谷にしても蔑ろにしてはいなかったのではないか。與那覇氏は加藤シンパだから、甘い評価なのは仕方ないが。
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「文藝批評が政治思想になる日本の最良の伝統」を引き継ぐもの
2025年7月21日に日本でレビュー済み帯にあった上野千鶴子さんの次の言葉に惹かれて購いました。
「戦後批評の正嫡を嗣ぐ者が登場した。
文藝批評が政治思想になる日本の最良の伝統が引き継がれた思いである」
全くもって、上野さんのいう通りの読後感に至る一冊でした。
江藤淳と加藤典洋だけが論じられているのではありません。
江藤が認めなかった庄司薫、そして加藤典洋が擁護した村上春樹も文学史に位置付けられ、その時代性→政治性→歴史性が論じられていきます。
吉本隆明も三島由紀夫も柄谷行人も。
庄司薫の「赤頭巾ちゃん気をつけて」の「小林」のモデルが江藤淳だったという説があること、初めて知りました。
内田樹がモデルだという説があることは知ってましたか。
私自身は江藤の熱心な読者ではありませんでしたが、加藤典洋は新刊が出るたびによんできました。
庄司薫、村上春樹、にも強く心動かされましたし、柄谷行人には心酔していました。
そういう読書体験を個人史の内に有する者としては、自らの思索の棚卸しをするかのような時間となりました。
とはいえ、加藤典洋を論じた後半から受け取ったのはそうしたノスタルジーを超えた何かでした。
歴史とは何か?
歴史を語ることは、その歴史を共有しない者たちと共闘することにとって今まだ有効なのか?
「かつて人々が『歴史』に託してきた、さまざまに異なる過去を体験した者どうしがそれぞれに尊重されて、多様なままでともにありたいとする願いの、新しい形」はどこにあるのか?
そうした問いに、我が事として直面させられました。
日本の戦後史とは少しずれたところにある、自分史との関連において。
與那覇さんの著書を読むのは実はこれが2冊目です。
「歴史がおわるまえに」を既に読んで、著者に対する信頼は予め有していました。
この人の書くものは読むに値すると。
とはいえ、熱心に追いかけてきたわけではない著書に上野さんの推薦文のおかげで再会できた僥倖を、付箋を貼ったページを繰り、欄外に記したメモを読みながら、味わい直したいと思います。
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敗戦による対米従属と責任回避!
2025年5月31日に日本でレビュー済み①加藤典洋の思想的価値は、敗戦による対米従属を不可避なものとして、戦争責任を回避する思想の糾弾にあるであろう。無責任の体系はそこに生まれた。日本人の無責任気質と責任転嫁は対米従属から生まれた。
②集団の責任は、最高責任者にあるが、昭和天皇の戦争責任は、アメリカによって許され、天皇の命令で任務を遂行した軍部の戦争責任も回避される。こうした無責任の体系を日本人の精神的気質とした戦後の歴代内閣の責任は実に重い。
③漱石の苦悩を生涯の伝記として描くことで近代の価値を知らしめた江藤淳の思想的価値は高い。近代とは、葬り去るものでなく、回帰すべき場所なのである。
こうした二人の思想から学ぶべきことは多い。
お勧めの一冊だ。
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批評家
2025年5月26日に日本でレビュー済み批評家は物を作らない?
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忘れそうになっている『されど、われらが日々』論が印象的
2025年9月28日に日本でレビュー済み斜陽』、『されど、われらが日々』、『赤頭巾ちゃん気をつけて』、『限りなく透明に近いブルー』など取り上げられている小説は、小説をまだ読んでいた学生時代にだいたい読んでいましたし、それが戦前の日共から朝鮮戦戦争、新左翼運動とその終焉までの若者の心象を描くというのにそそられて。
江藤淳さんは、ご存命の時も「なんで米軍の駐留政策にそんなにこだわるの?」と思われていたし、ぼくは大好きだった山口瞳さんを異常なまでに酷評したこともワケわからないけど、今みたいに忘れ去られるのも変かな、とも思っています。
『されど、われらが日々』は武装闘争時代の日共、『赤頭巾ちゃん気をつけて』は新左翼、『限りなく透明に近いブルー』は戦後左翼運動の終焉をそれぞれ表した文学だと思っていますが、実は太宰治も江藤淳も戦前の日共には関わっています。《弘前高校から東京帝大(仏文科、中退)にかけて、太宰は非合法だった共産党の地下活動に、従来の想定よりも深く主体的にかかわっていた。保守派の重鎮となる江藤も、太宰の死に接した湘南中学時代には、マルクス主義の歴史家・江口朴郎の私宅で勉強会を開き、しかも「こんな研究会には我慢がならない。実践運動をはじめなければだめだ、と」感じていたという(会の開催を持ちかけたのは、中学で1学年上の石原慎太郎)》というのはるほどな、と。
與那覇さんによると、これらの小説群から読み取れることは、改革を目指しては挫折して、イチから出直して、結局、次の世代には何も残さなかった運動ではないか、と。「充分に悲劇的でもなければ充分に喜劇的でもない、要するに感傷的なのだ」と。
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実践する文学
2025年5月18日に日本でレビュー済み審美的で抒情的な文章で、か細くて陶酔できる上質な筆致から構成される戦後文芸史の決定版。
左と右の政党と作家と時代の変遷を見取り図的に示していて先の大戦の影響や朝鮮戦争の
影響など大文字の歴史から影響を受けた作家の特筆すべき小説や背景を取り上げて分析して
成程と唸らざる負えなかった。大日本帝国からの戦後の矮小化され目隠しされて拘束された小日本
に転換されての動乱、様々と過去の憧憬が蘇り殉死していったもの達のレクイエムなど目を見張るものがあります。
相対主義のデータ交換なデータベース化したラノベを量産することしか出来なくなった動物化するポストモダン
の日本(東浩紀)しか知らない方には是非読んで頂きたい一冊であります。家父長制から「やさしさ」の時代、
曖昧な受動的な男が量産されるようになってから怪しくなってきた感があると思います。(時代錯誤ですが)
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日本のリベラルの限界?
2025年7月29日に日本でレビュー済みこの作者が色んな媒体、SNSや有名なコメント投稿サイトの文章を読むのが好きで、特に(ほぼ)同じ思想的な立ち位置でも、雑な議論をしている論者には容赦無く、文字通り完膚なきまでに叩きのめしている文体は、いつ読んでも小気味よく、短い文章にも持ち前の鋭い洞察を惜しまない態度にはいつも敬服している。
でも、今回の著作を読み進める中で、ある種の違和感を感じてしまった。
結局、東西冷戦の終結という80年代から90年代の過渡期、そしてそれが丁度昭和から平成に変わる時期と重なる中で、ここで取り上げられた論者がどう「変節」したのかが、ほとんど見えてこない。
江藤にしても、昭和天皇をめぐる資料が公開された云々のインシデントよりも、戦後の40年を規定していた大きな文脈が変わったことに、それぞれ初老と壮年期の論者がどう対応していったのかが、現在まで続く「戦後論」を俯瞰する上で外せないのでは、という気持ちが大きくなり、この本の流れを追うことに疲労感を感じ始めてしまった。
出版前後に色んな媒体で発信されるものに触れてみても、上記の違和感はついぞ払拭されることはなかったように思う。
それは、この作者の責任ではなく、「1989年」以降の大きな変化を、ほとんどのリベラル論者は咀嚼しきれていない、いや、咀嚼するのを敢えて抑えるように働きかけている斥力が、彼らの言説空間にはいまだに作用しているような気がしてならない。
それを解く鍵の1つが、本書冒頭の「父性」への言及と、太宰の作品に現れる、当時の女性のしたたかな生き様。
我々に必要なのは、「父親殺し」よりも、裏で強かに夫を操縦していた「母」だったのかも知れない。
今の一部の情報発信者を見ても、「母親離れ」していないんじゃないか、と思わせる論者がチラホラ・・・。
ここら辺の事情は、長年心理カウンセリングの現場を知る人たちの方が、詳しいかと思う。
11人のユーザーが役に立ったと感じていますフィードバックを送信中...フィードバックを送信中...参考になったフィードバックをお寄せいただきありがとうございます。申し訳ありませんが、投票の記録に失敗しました。 もう一度お試しくださいありがとうございます。数日中に調査いたします。申し訳ありません。このレビューを報告できませんでした。 もう一度お試しください









