詳細はこちら
| 獲得予定ポイント: | +13 pt (1%) |
これらのプロモーションはこの商品に適用されます:
一部のプロモーションは他のセールと組み合わせることができますが、それ以外のプロモーションは組み合わせることはできません。詳細については、これらのプロモーションに関連する規約をご覧ください。
無料のKindleアプリをダウンロードして、スマートフォン、タブレット、またはコンピューターで今すぐKindle本を読むことができます。Kindleデバイスは必要ありません。
ウェブ版Kindleなら、お使いのブラウザですぐにお読みいただけます。
携帯電話のカメラを使用する - 以下のコードをスキャンし、Kindleアプリをダウンロードしてください。
数学で読むリチャード・ローティ
数学という「新しい語彙」による再記述
著者が知る限りにおいて、哲学者リチャード・ローティ(Richard Rorty)自身は、数学そのものを哲学のモデルとして積極的に扱うことはほとんどなかった。彼にとって哲学とは、アリストテレスやデカルトが夢見たような「永遠の真理を発見する営み」ではなく、その重要な役割の一つは新しい語彙(vocabulary)を発明することであった。プラトン以来の西洋哲学は、感覚の背後にある不変の実在、あるいは理性によってのみ到達できる永遠の形相を求め続けてきた。ローティはこの探求の全体を「認識論的プロジェクト」と呼び、そこから距離を取ろうとした。
彼は、人間の認識が宇宙の真の構造を鏡のように映し出すという「鏡としての自然」の比喩を徹底的に解体し、語彙とは世界を写す鏡ではなく、人間が目的に応じて用いる道具であると考えた。ハンマーが釘を打つための道具であるように、語彙もまた特定の状況で特定の目的を果たすための道具にすぎない。ハンマーが「世界の真の構造」を反映しているかどうかを問うことにあまり意味がないのと同様に、ある語彙が「世界をありのままに映しているか」を問うことにも意味がない、というのがローティの挑発的な主張であった。
そうであるならば、あえて数学という、人類が到達した最も厳密で抽象的な体系の概念を比喩(メタファー)として導入し、ローティの思想を再構成すること自体が、極めてローティ的であると言える。数学は一見すると、あらゆる語彙の中でもっとも「世界をありのままに映す」ことに成功しているように見える体系である。だからこそ、その数学的な語彙を借りて「語彙には特権的な地位はない」というローティのテーゼを描き出すことには、一種の逆説的な効果がある。もっとも厳密に見える体系の内部にすら、複数の見方、複数の公理系、複数の基底が存在するのだと示すことができれば、それはローティの主張を裏側から補強することになるだろう。
ただし、あらかじめ断っておかなければならないことがある。それは、本書はローティを数学によって「証明」する本ではないことである。ローティ自身、哲学的立場を数学的に基礎づけようとする試みそのものに懐疑的であっただろう。むしろ数学という別の語彙を使ってローティを「再記述(redescription)」する試みが本書である。再記述とは、ある対象について新しい語り方を提示することで、それまで見えなかった側面を照らし出す作業のことである。以下で用いるガロア理論・圏論・反復法などの数学的比喩の多くは、ローティ自身が用いたものではなく、本書が独自に選び取ったものであることを、章ごとに明記しながら進めていく。
本書の目的は、数学を使って人間の苦しみや倫理を機械的に還元することではない。数式は残酷さの痛みを計算することはできないし、方程式は他者の苦しみに耳を傾ける代わりにはならない。そうではなく、現代プラグマティズムの最もラディカルで人間中心的な核心を、方程式、ガロア理論、線形代数、圏論、解析学といった数学のイメージを借りて可視化することが目的となる。ただし、数学のイメージは、あくまで理解のための足場であり、目的地ではない。ローティが新しい語彙を発明したように、私たちは数学を「新しい語彙」として借り受け、ローティをまったく新しい角度から照らし出す旅に出発しよう。
本書はローティ研究の代替を目指すものではない。専門的なローティ研究者にとっては、本書の比喩は時に大胆すぎ、時に厳密さを欠くと映るかもしれない。それでも、むしろローティ自身が好んだ「再記述」の精神を、数学という語彙を用いて実践する一つの試みとして、本書を読んでいただきたい。哲学の言葉に窮屈さを感じてきた読者や、逆に数学の言葉に親しみながら哲学に距離を感じてきた読者、その両方に向けて、この本は書かれている。
目次
はじめに 数学という「新しい語彙」による再記述
第一章 真理は「解」ではない ── 最適化・開集合・収束の彼方
第二章 「自己」は体の拡大である ── ガロア理論と新しい経験
第三章 語彙は基底である ── 座標変換と世界の捉え方
第四章 真理は座標変換に耐えるものか ── 不変量への懐疑
第五章 会話とは圏論の射である ── 実体から関係性へ
第六章 アイロニストは最終語彙を疑う ── 公理系への懐疑
第七章 歴史は収束しない ── 開かれ続けるプロセスとしての歴史
第八章 民主主義は最適化ではない ── 反復法による暫定解の更新
第九章 残酷さとは「特異点」である ── 滑らかな社会の亀裂
第十章 哲学は証明ではなく、新しい語彙である
おわりに
- 言語日本語
- 発売日2026/8/7
- ファイルサイズ12.0 MB
この商品をチェックした人はこんな商品もチェックしています
出版社より
だからこそ、その数学的な語彙を借りて「語彙には特権的な地位はない」というローティのテーゼを描き出すことには、一種の逆説的な効果がある。
哲学の言葉に窮屈さを感じてきた読者や、逆に数学の言葉に親しみながら哲学に距離を感じてきた読者、その両方に向けて、この本は書かれている。
登録情報
- ASIN : B0HDD33XF1
- アクセシビリティ : 詳細はこちら
- 発売日 : 2026/8/7
- 言語 : 日本語
- ファイルサイズ : 12.0 MB
- Text-to-Speech(テキスト読み上げ機能) : 有効になっていません。
- タイプセッティングの改善 : 有効にされていません
- X-Ray : 有効にされていません
- Word Wise : 有効にされていません
- Page Flip : 有効にされていません
- カスタマーレビュー:
著者について

チェスを始めてから数十年が経った現在、自分が初心者〜中級者の時に知っておきたかった知識や指し回しのコツ、手筋などを伝えることができればと、これまでに何冊かの本を上梓してきました。
それに加え、数学や哲学関連の本も紛れています。不思議に思われるかもしれませんが、自分の中ではチェスと数学と哲学、そして文学がひとつのまとまりとして認識されていて、切り離すことができないものとして存在しています。
チェスを考えるときに、数学の概念を援用することもあれば、哲学から学んだことを活かせないかと考えます。逆に、数学を考えるときにはチェスの局面が思い浮かんだりします。
時間が許せば note(チェスのレシピ)もお読みください。上記書籍の補遺なども掲載しています。
カスタマーレビュー
- 星5つ星4つ星3つ星2つ星1つ星4つ100%0%0%0%0%0%
- 星5つ星4つ星3つ星2つ星1つ星3つ100%0%0%0%0%0%
- 星5つ星4つ星3つ星2つ星1つ星2つ100%0%0%0%0%0%
- 星5つ星4つ星3つ星2つ星1つ星1つ100%0%0%0%0%0%
日本からのトップレビュー
- 星5つ中5つ
なぜこれほど数学的概念やメタファーと親和性があるのか?
2026年8月9日に日本でレビュー済み「バラバラな世界で共に生きる: リチャード・ローティの哲学」(朱喜哲著)のレビューでも少し触れたのですが、本書「数学で読むリチャード・ローティ」を読んで、ローティの哲学がこんなに数学の概念やメタファーと親和性があるのかと驚かされました。たしかに、自己の拡大はすぐに体の拡大を連想させるとはいえ、開集合、収束、不変量、特異点などの概念が連関するとは本書を読むまで気がつきませんでした。
しかし、そこで疑問が持ち上がります。
従来の哲学では、数学は「人間に依存しない客観的な宇宙の法則」を正確に写し取ったもの(自然の鏡)と考えられていた中で、ローティはこの見方を否定し、数学も人間が特定の目的のために発明した記述方法(言語ゲーム)に過ぎないと主張したわけですが、そのローティの思想がなぜゆえ数学の概念やメタファーとこれほど親和性があるのだろうか? ここは朱喜哲先生にお聞きしてみたいテーマです。
構造主義が群論を用いたように、もしかしたらローティは実は数学的手法を援用していた?とも考えたくなります。
フィードバックを送信中...フィードバックを送信中...参考になったフィードバックをお寄せいただきありがとうございます。申し訳ありませんが、投票の記録に失敗しました。 もう一度お試しくださいありがとうございます。数日中に調査いたします。申し訳ありません。このレビューを報告できませんでした。 もう一度お試しください










