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良寛さんと道元、板橋先生の本はすべて素晴らしい。子供から成人まで皆さん読んで。
難しい仏教書ではなくエッセイ集ですね。とても分かりやすい内容です。
前任の方が文字のところに線や言葉などが書き足してあって凄く読みづらかったです。
内容は良かったです。
1986年初版、読んだのは1997年13版であった。それだけでこの本の人気ぶりが分ろうと言うモノだが、板橋興宗師の学生時代“ホントの生き方”を模索していた頃のことが書いてある。“...多くの学生の中に、墨染めの長い法衣をつけた学生が、目に入った。「貴方は坊主か」と声をかけた。「坊主ではないが、お寺に泊まって座禅している内に、昨夜学生服を盗まれた。それで法衣を借りて来た。」「座禅をすると、どうなるのか」「足元がふらつかんようになる」”と言う人生を決めた問答があった。そして板橋師は親の嘆きをよそに禅の道へ、法衣を着ていた学生は東北大の教授になられた。初っ端から面白いエピソードの展開だ。
現実の生の命を留守にして、観念の中だけで納得の行く命を探したがる癖が迷いの根源
思いは思いを呼び、遂に息を引き取るまで、思惑ぐせの鈴を鳴らし続ける様なモノ
自分の事実のまんまに親しく生きる事、これを名づけて仏道と言う...自灯明と法灯明の世界だ!
良寛さんは新潟生まれの祖父母から、昔聞かされていた。私にとっては良寛ではなく、良寛さんだ。話なんぞは全く覚えていないのに、“嫌い”な部分が私の中には見つからない。何故童心に還る事が、否、童心でいることが出来たのか、と最近になって良寛さんの事が何故か気になっていたから、図書館で自然にこの本を手に取った。
この手の本は誰が書かれたか、がポイントであるのは勿論だ。残念ながら、良寛さんに関しては50頁余りしか書かれていないが、良寛さんは若かりし頃、修行中に友が一人も居ず、孤独感溢れた詩を残していらっしゃる。書が上手、絵が上手...それだけならその辺の小父さんと余り変りは無い筈なのに、良寛さんと親しみを込めてしまうのは何故なのか。
無仏法の人で、その佇まいだけで人を感化し、オーラだけで影響を与えながら托鉢を毎日して廻る。良寛さん、と呼びかけただけで呼びかけた本人が何故か温かさを感じてしまう。お経も全身で聞き、きっと全身であげていたに違いない。何かをしていないと意義がない、外へ絶えず何かを求めている私の様な凡人には、恥ずかしくなる位の自然体だ。徹頭徹尾の修行の上に深淵を見られたのだろうが、その良寛さんでさえもご自分に対する戒めを書いていらっしゃる。
しかし、同じ時代に生きたとしたら、私は良寛さんの凄さを、その本物振りを見抜けただろうか。否、その粗末な身なりを見ただけで、乞食坊主だと思ってしまっただろう。幼い頃からのイメージに、更にその裏側の良寛さんご自身に対する厳しさが見えた。