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幕末外交と開国 (講談社学術文庫 2133)
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黒船に揺れた1年間を検証 「無能な幕府」説は本当か?
日米双方の資料から、「開国」をめぐる常識を覆す。
日米和親条約は、戦争によらない平和的な交渉の
成果だった!
無能無策な幕府が、黒船の「軍事的圧力」に屈し、不平等条約を強いられたという「日本史の常識」を検証。軍事衝突は起こり得るのか、交渉は何語で行うのか――。ペリー来航から和親条約締結までの一年間を日米の資料から追跡して見えてきたのは、幕府の高い外交能力と、平和的交渉の輝かしい成果だった。日本の近代外交と日米関係の原点を見直す。
日米和親条約は一門の大砲も火を噴かず、平和的な交渉によって結ばれた。これが最重要の論点だと私は考える。(中略)アジア近代史から見れば、日米和親条約のような「交渉条約」は稀有の事例である。「交渉条約」を導いたのは偶然ではない。一定の政治的条件の下、日米双方の当事者による外交努力の成果にほかならない。日本外交史のなかでは、幕府の高い外交能力は特筆されるべきであろう。――<本書「あとがき」より>
※本書の原本は、2004年に筑摩書房より刊行されました。
- 本の長さ280ページ
- 言語日本語
- 出版社講談社
- 発売日2012/9/11
- 寸法10.6 x 1.1 x 14.8 cm
- ISBN-104062921332
- ISBN-13978-4062921336
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商品の説明
著者について
登録情報
- 出版社 : 講談社
- 発売日 : 2012/9/11
- 言語 : 日本語
- 本の長さ : 280ページ
- ISBN-10 : 4062921332
- ISBN-13 : 978-4062921336
- 商品の重量 : 159 g
- 寸法 : 10.6 x 1.1 x 14.8 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: 本 - 73,550位 (本の売れ筋ランキングを見る)
- 日本史ノンフィクション - 225位
- 講談社学術文庫 - 237位
- 東洋史 - 258位
- カスタマーレビュー:
著者について

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カスタマーレビュー
幕末のこの国の実力を知ることは、あらゆる歪みを外せる可能性がある。
日本からのトップレビュー
- 星5つ中5つ
幕府、優秀すぎる
2025年2月23日に日本でレビュー済みアヘンの禁輸を締結させ、アメリカに最恵国待遇の条約を一滴に血も流さずに締結したことで、あとでやってきた英国は、アヘンを日本に運ぶことができなくなった。ペリーには江戸に上陸させず、アメリカから20日で日本にこれるとハッタリをかますペリーにたいして幕閣の対応は絶賛に値する。
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これまでにない視点からのペリー来航
2021年5月31日に日本でレビュー済みペルー艦隊の様子と江戸幕府側との交流の様子がうかがえて楽しかった。これまでにない視点からの情報が嬉しい。
3人のユーザーが役に立ったと感じていますフィードバックを送信中...フィードバックを送信中...参考になったフィードバックをお寄せいただきありがとうございます。申し訳ありませんが、投票の記録に失敗しました。 もう一度お試しくださいありがとうございます。数日中に調査いたします。申し訳ありません。このレビューを報告できませんでした。 もう一度お試しください - 星5つ中5つ
幕末のこの国の実力を知ることは、あらゆる歪みを外せる可能性がある。
2022年7月14日に日本でレビュー済みたまたま読み終えたその日の空は爽やかな朝でした😊
だからというわけでもありませんが、
実はそんな感じの開国だったのではないか、
そう捉え直す視点を提供してくれたのが、
こちらの「幕末外交と開国」です。
知らぬ間に現代日本人が刷り込まれている
封建的で何もかも遅れている江戸幕府が
ペリーの軍艦の大砲や蒸気機関に慄き、
恫喝されながら無理矢理開国の憂き目にあった。
そんなイメージは、、
100%とは言わないまでも
85%?程度、つまり大体は払拭されると思う。
日米両当事国が保存する第一次史料を
丹念に読み解いていく中で立ち上ってくる
19世紀中頃のリアリティ。
林大学頭を筆頭とした江戸幕府側の応接係が
いかに冷静沈着に相手側要求を是々非々で応じ、
時には論破しながら不平等性を極小化したか。
それを戦火を交えずに済ませた外交力は、
鎖国による世界に対する見聞や技術力の遅れと
揶揄されるようなレベルでは決してない。
少なくとも同時代に清国が南京条約という
敗戦条約しか結べなかったのとは大違いだ。
明治維新で急激に日本が進展したというが、
恐らく日米和親条約で幕府が得た成果が
西洋列強に対する下敷きにあった。
そう見るべきなんだろうなと思う。
それは史実に残っているペリー側による
江戸時代当時の日本に対する街並みの整備や、
種々の文化力、技術力への感嘆にも見て取れる。
両国代表団による交流や齟齬も含めて、
中々に爽やかな感を受けたので、
低気圧が去りゆく今宵の空のもとにアップしたい。

たまたま読み終えたその日の空は爽やかな朝でした😊
だからというわけでもありませんが、
実はそんな感じの開国だったのではないか、
そう捉え直す視点を提供してくれたのが、
こちらの「幕末外交と開国」です。
知らぬ間に現代日本人が刷り込まれている
封建的で何もかも遅れている江戸幕府が
ペリーの軍艦の大砲や蒸気機関に慄き、
恫喝されながら無理矢理開国の憂き目にあった。
そんなイメージは、、
100%とは言わないまでも
85%?程度、つまり大体は払拭されると思う。
日米両当事国が保存する第一次史料を
丹念に読み解いていく中で立ち上ってくる
19世紀中頃のリアリティ。
林大学頭を筆頭とした江戸幕府側の応接係が
いかに冷静沈着に相手側要求を是々非々で応じ、
時には論破しながら不平等性を極小化したか。
それを戦火を交えずに済ませた外交力は、
鎖国による世界に対する見聞や技術力の遅れと
揶揄されるようなレベルでは決してない。
少なくとも同時代に清国が南京条約という
敗戦条約しか結べなかったのとは大違いだ。
明治維新で急激に日本が進展したというが、
恐らく日米和親条約で幕府が得た成果が
西洋列強に対する下敷きにあった。
そう見るべきなんだろうなと思う。
それは史実に残っているペリー側による
江戸時代当時の日本に対する街並みの整備や、
種々の文化力、技術力への感嘆にも見て取れる。
両国代表団による交流や齟齬も含めて、
中々に爽やかな感を受けたので、
低気圧が去りゆく今宵の空のもとにアップしたい。
4人のユーザーが役に立ったと感じていますフィードバックを送信中...フィードバックを送信中...参考になったフィードバックをお寄せいただきありがとうございます。申し訳ありませんが、投票の記録に失敗しました。 もう一度お試しくださいありがとうございます。数日中に調査いたします。申し訳ありません。このレビューを報告できませんでした。 もう一度お試しください - 星5つ中5つ
「開国」めぐる日米交渉などを詳述―思案を尽くした幕末の対外政策
2014年3月30日に日本でレビュー済み今年(2014年)の3月31日(陽暦。以下同じ)で「日米和親条約(1854(嘉永7)年)」締結160年となる。この条約締結の前年7月8日、アメリカ東インド艦隊司令長官マシュー・カルブレイス・ペリー提督率いる4隻の艦船が浦賀沖に現れ、浦賀奉行所与力・中島三郎助とオランダ通詞(通訳)・堀達之助の両名が最初に艦隊と接触、抗議を行った…(アメリカ側の記録から)。当時の狂歌で「泰平の眠りを覚ます上喜撰 たつた四杯で夜も眠れず」というものがあるけれども、徳川幕府は全く「鎖国」に安住し、安逸を貪っていたのであろうか…。本書は「開国」などをめぐる日米の交渉経過等について、両国の資料・記録を具に吟味しつつ、著者である加藤祐三・国際日本文化研究センター客員教授(横浜市立大学名誉教授)は、「新しい視点から、幕末に始まる日本の近代外交と、幕末開国の国際的意義」(はじめに)などを明らかにしている。
まず、徳川幕府による「鎖国」政策についてであるが、大石学・東京学芸大学教授の『江戸の外交戦略』(角川選書2009年)等にも示されているごとく、そもそも「鎖国」を定めた国法(祖法)は存在しない。むしろ「鎖国祖法論は、ロシアの開国に対する便法として作り出されたもの」(大石前掲書p.211)といった解釈が肯綮に中ろう。従って、「禁教(旧教)」と「貿易統制」などを主とする海禁政策と言った方が正鵠を射ている。事実、幕府は「長崎における中国・オランダとの貿易」、「対馬における朝鮮との外交」、「薩摩における琉球との交易」及び「松前におけるアイヌとの交易」は確保し、これら「四つの口」は開いていたからである(大石前掲書等)。しかし、何と言っても特筆すべきは、幕府は閉鎖的な政策を採りながらも、長崎のオランダ商館長等を通じて、世界乃至アジア情勢などに関し、相当ディープな知識を得ていたことであろう。
実際、ペリー来航の情報も事前にオランダ側より幕府に齎されていた。そして何より、幕閣にインパクトを与えたのが1840年から1842年にわたって繰り広げられたイギリスと清国との間における「アヘン戦争」の勃発と結果であろう。この出来事も幕閣は的確に把握しており、危機感もかなりのものがあったらしい。そうした情勢下での日米交渉であった訳だが、彼我の軍事力を冷静に比較し、さらに私が驚嘆するのは同時並行的に行われていた対ロシアとの関係において、アメリカとの交渉を優先させたことで、この決断は“Good Job !”と言わざるを得ない。ペリーは「最古の国の日本に、もっとも若い国のアメリカが挑戦する」と意気込んでいたけれども(p.77)、日本側も「最恵国待遇」などの関連で、「最初の条約国の選択は決定的に重要」(p.39)であった。そういった脈絡で、新興国アメリカを選んだのは実に至当な判断だった。
こうした伝で、同時期、長崎で行われていた日露交渉(プチャーチンと川路聖謨)において、日本側の「ぶらかし外交(=引き延ばし策)」を批判する向きもあるが、幕閣には「対米交渉を第一とし、対露交渉は第二とする方針」(p.107)が明確であったことを、特に強調しておきたい。著者も語るように、「二つの大国を同時に相手にする二正面作戦を回避したのは賢明であった」のだ(同前)。この逆を行ったのが先の大戦の軍部ではなかったろうか…。それはともかく、幕末の国難に際して、「軍事的対決を回避し、外交により対処する原則」(p.49)をうち立てた老中首座・阿部正弘の英断は大いに賞賛すべきであろう。本書では、「開国」に係る臨機巧緻な林大学頭(復斎)らの協議経過やアメリカ側の意図、真意などを丹念に追い、加えて日本国内における民衆の安寧維持に腐心した幕府の対策等も記しており、私は非常に面白く読めた。
17人のユーザーが役に立ったと感じていますフィードバックを送信中...フィードバックを送信中...参考になったフィードバックをお寄せいただきありがとうございます。申し訳ありませんが、投票の記録に失敗しました。 もう一度お試しくださいありがとうございます。数日中に調査いたします。申し訳ありません。このレビューを報告できませんでした。 もう一度お試しください - 星5つ中5つ
資料に基づく幕府無能説批判
2013年1月20日に日本でレビュー済み日米和親条約締結までの幕府と東インド艦隊の外交プロセスを資料に基づき整理した一作です。
幕府は近代海軍の前に恐懼し、十分な外交交渉もできないまま不平等条約を締結されたと一般にいわれる外交プロセスですが、
新興国で交渉が有利と判断し最初の交渉相手を米国として選び、適当な時間稼ぎをしつつオランダ風説書や唐風説書などの外交文書をもとに外交ルールを学び、林大学頭を中心とした交渉団が、東インド艦隊に対して時に言を左右にしつつ譲歩を引き出していくしたたかな外交を展開したと整理されています。
資料に基づく情報量の豊かさもさることながら、交渉過程は現代語にしたうえで対話形式にするなど、記述も極めて読みやすく作ってあり、資料としての価値の高さに加えて読み物としても面白く作ってあります。
29人のユーザーが役に立ったと感じていますフィードバックを送信中...フィードバックを送信中...参考になったフィードバックをお寄せいただきありがとうございます。申し訳ありませんが、投票の記録に失敗しました。 もう一度お試しくださいありがとうございます。数日中に調査いたします。申し訳ありません。このレビューを報告できませんでした。 もう一度お試しください - 星5つ中3つ
読みにくい
2013年1月3日に日本でレビュー済み知らなかったことが盛りだくさんに書かれて興味深いが、話が前後したり、「こんな背景も知っておいて下さいよ~」的な脱線が多いために、非常に読み進みにくい印象を持ちました。その辺が惜しいと思います。
5人のユーザーが役に立ったと感じていますフィードバックを送信中...フィードバックを送信中...参考になったフィードバックをお寄せいただきありがとうございます。申し訳ありませんが、投票の記録に失敗しました。 もう一度お試しくださいありがとうございます。数日中に調査いたします。申し訳ありません。このレビューを報告できませんでした。 もう一度お試しください - 星5つ中4つ
勉強になります
2018年1月29日に日本でレビュー済み勉強になります。幕臣にも優秀な人がいたということは、もっと評価されるべき。
5人のユーザーが役に立ったと感じていますフィードバックを送信中...フィードバックを送信中...参考になったフィードバックをお寄せいただきありがとうございます。申し訳ありませんが、投票の記録に失敗しました。 もう一度お試しくださいありがとうございます。数日中に調査いたします。申し訳ありません。このレビューを報告できませんでした。 もう一度お試しください - 星5つ中5つ
幕府内の協議と日米間交渉が良く分かる
2021年3月14日に日本でレビュー済み1853年7月8日のペリー率いる4隻の艦隊来航から翌年3月31日の日米和親条約(開国)までを解説しています。1852年にオランダ商館長クルチウスから米国の来航を知らされており、幕府はそれほど驚かなかったとのことです。1848年、米国の捕鯨船が北海道に漂着し、15名が長崎に送られました。この情報がオランダ等を通して米国に伝えられました。米国から救助のために来航した艦長グリンが帰国して、大統領に毎回の救出のために経費を掛けるより、日本と恒常的な条約を結んだ方が良いと提案したことが、ペリー来航の大きな要因となります。他にも、米国とメキシコの戦争が終結したことによって生ずる海軍の大幅な軍事費削減を回避するために、日本を石炭補給所とし、太平洋航路の確立を掲げたとのことです。
米国が突き付けてきた条約の内容は。(1)米国の難破船の保護、(2)石炭補給所の確保、(3)貿易、でした。ペリーは食料事情から9日後には日本を離れ、返答を翌年まで待ちます。幕府は協議を行いますが、オランダ商館長クルチウスからの助言の詳細が記されており、その内容は的を射ていて興味深いです。
1854年2月8日にペリーが再来航します。交渉を担当した昌平坂学問所の塾頭・林復斎とペリーとの対話が詳細に記述されており、林の論理的で思慮深く冷静な交渉に感心しました。この交渉により、貿易は回避し、米国の難破船の保護、石炭補給所及び避難場所として下田と函館の開港を承認する日米和親条約が締結されます。著者はこの条約を領土割譲等が無い平和的なものであったと評価しています。
第一回目の来航前にペリーはシーボルトが著した「Nippon」を、当時では相当高額な503ドルで購入し、日本について情報収集していたことや、日本側と米国側の双方が来航時の事柄を詳細に記録していますが、ペリー側の記録に吉田松陰と弟子の市木公太の米国への渡航要請についても記されていることは興味深かったです。
米国からの条約要求に対して、日本に林復斎という優秀な人物がいたことで、適当な妥協点に至ったことが分かると共に、当時の幕府と民衆の反応が良く分かる良書です。
3人のユーザーが役に立ったと感じていますフィードバックを送信中...フィードバックを送信中...参考になったフィードバックをお寄せいただきありがとうございます。申し訳ありませんが、投票の記録に失敗しました。 もう一度お試しくださいありがとうございます。数日中に調査いたします。申し訳ありません。このレビューを報告できませんでした。 もう一度お試しください












