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音楽科教育はなぜ存在しなければならないのか 「良い音楽科教育」を構想するための目的論
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【目次】
まえがき
序論
「良い音楽科教育」とはなにか
音楽科教育における目標論、内容論、方法論
音楽科教育における「良さ」の判断─目的論の必要性
目的論的議論のための視点① 音楽科教育に求められる公共性
目的論的議論のための視点② 音楽の特殊性に根ざした音楽科教育固有の価値
補助的視点① 中心的な親学問の不在
補助的視点② 学習指導要領の創造的解釈
本書の構成
第一章 音楽への記述的接近
1 出来事としての音楽─C・ スモールの音楽観
音楽のモノとコト
音楽への参加可能性の拡張
2 徒弟制度としての音楽教育─D・J・エリオットの音楽教育論
エリオットの音楽観
ホリエモンと鮨職人養成─伝統的徒弟制度の諸相
音楽的技術の文脈依存性と認知的徒弟制度
3 音楽と「銀行型教育」─P・フレイレの教育哲学
「銀行型教育」とはなにか
師匠と弟子の非対称性
4 教育と保存の脱構築─R・E・アルサップのポスト構造主義的思想
作品保管庫としての音楽教育
音楽の非論理的性質と「作者の死」
徒弟制度の脱構築
5 美の恣意性─F・ソシュールの記号論
シニフィアンとシニフィエの恣意的なつながり
「良さや美しさ」は音響に内在しない
音楽科教育と記号論
6 音楽に対する記述的接近の公教育的限界
第二章 音楽への規範的接近
1 教科教育と学問領域の規範性─G・ビースタの測定主義批判
音楽科教育と親学問としての音楽
「存在─当為問題」と測定主義
説明責任(accountability)と応答責任(responsibility)
2 理念としてのサウンドスケープ─R・マリー・シェーファーの公共的教育観
音楽科教育における過去の目的論
シェーファーのサウンドスケープ構想
音楽教育としてのサウンドスケープ・デザイン
サウンド・エデュケーションの規範性
3 教育課程の根本原理─マンハッタンビル音楽カリキュラムプログラム
スプートニク・ショックにより生まれた即興演奏のカリキュラム
MMCPの音楽観─変化の動性
音楽における「慣例的概念」と「本来的概念」
音楽創作のオープネス─権威としての「作品」の解体
音楽科教育のコンプライアンス
4 音と音楽の違いを決める権利の所在
第三章 音楽科教育の目的論に関する試論
1 ここまでの総括
音楽への記述的接近とその限界
音楽への規範的接近とその展望
2 公教育の存在意義─苫野の教育論
苫野の〈自由〉論
〈自由〉及び〈自由の相互承認〉を実質化する音楽的〈教養=力能〉とはなにか
3 音楽科教育の目的論─音楽科教育はなぜ存在しなければならないのか
音楽科教育はなぜ存在しなければならないのか─試論
資本主義社会における他律的音楽観の内面化
音楽科的〈教養=力能〉としての非他律的態度
非他律的態度に基づく音楽科教育の目的論的検討
メタ音楽(Meta-Music)による〈自由〉及び〈自由の相互承認〉の実質化
第四章 メタ音楽(Meta-Music)としての集団即興演奏
1 サウンドペインティング研究で得られた知見
筆者と集団即興演奏との出会い
指揮付き集団即興演奏としてのサウンドペインティング
サウンドペインティング研究の概要─参与観察、半構造化グループインタビュー、SCAT
サウンドペインティングにおける三つの「難しさ」と「失敗不在の原則」
2 《GMIC》の発案と授業での実践可能性
音楽科の授業に最適化されたメタ音楽の条件とはなにか
《GMIC》の実践方法解説
集団即興演奏のローカリティ
3 Meta-Music as Bricolage
終章
「良い音楽科教育」とはなにか
あとがき
- 本の長さ288ページ
- 言語日本語
- 出版社明治図書出版
- 発売日2024/8/13
- 寸法2 x 12.8 x 18.8 cm
- ISBN-10418159226X
- ISBN-13978-4181592264
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商品の説明
著者について
博士(教育学)、音楽教育学者。広島大学で博士号を取得後、神戸大学、関西大学、新見公立大学等複数の大学で非常勤講師として教員養成に携わりながら、研究会での講演や即興演奏ワークショップの講師として活動している。活動の概要は SNS や YouTube チャンネル「音楽教育学者の思考」で随時発信中。2021年度より日本音楽即興学会の理事長を務めている。
登録情報
- 出版社 : 明治図書出版
- 発売日 : 2024/8/13
- 言語 : 日本語
- 本の長さ : 288ページ
- ISBN-10 : 418159226X
- ISBN-13 : 978-4181592264
- 商品の重量 : 290 g
- 寸法 : 2 x 12.8 x 18.8 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: 本 - 303,697位 (本の売れ筋ランキングを見る)
- 教師向け書籍 - 1,322位
- 教育学一般関連書籍 - 4,525位
- その他の語学・教育関連書籍 - 4,964位
- カスタマーレビュー:
著者について

博士(教育学)、音楽教育学者。広島大学で博士課程後期課程を修了後、香川大学で特命准教授を、神戸大学で特命講師を務め、神戸大学、関西大学、新見公立大学等複数の大学で非常勤講師として教員養成に携わりながら、研究会での講演や有料の面談など、音楽教育コンサルティング業を営む個人事業主としても活動している。2021年度より日本音楽即興学会の理事長、2025年度よりエリザベト音楽大学の専任講師に就任している。
2023年には『中学校音楽「主体的に学習に取り組む態度」の学習評価完全ガイドブック』(明治図書出版)が、2024年には『音楽科教育はなぜ存在しなければならないのか−「良い音楽科教育」を構想するための目的論』がそれぞれ単著として明治図書出版から出版されている。論文は日本音楽教育学会や日本音楽即興学会等の学会誌に掲載されている。例えば「様式的規範に束縛されない集団即興演奏における演奏者の習熟過程―サウンドペインティング実践者に対するインタビューと SCATによるテキスト分析を通して―」(『JASMIMジャーナル』、2024)
カスタマーレビュー
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日本からのトップレビュー
- 星5つ中5つ
より良い音楽科教育についてみんなで考えたくなる1冊
2024年8月17日に日本でレビュー済み当初は1週間ほどかけてじっくり読み込もうと思っていましたが、内容の面白さと読みやすさに魅了され、一気に読み終えてしまいました。一気読みのため、誤読や理解が浅い部分があるかもしれませんが、読後の新鮮な感想をそのままレビューにしたいと思います。(これは中学校の音楽科教員の視点からのレビューです。)
「音楽科教育はなぜ存在しなければならないのか」という根本的な問いに対し、著者の考えとその論理的過程が、過去の思想家・学者の引用と著者自身の解釈を通じて丁寧に展開されています。
読みやすい文体と適切な例示のおかげで、初めて触れる思想家・学者の論考もスッと入ってくるとともに、「なるほど!」と納得させられる場面が何度もありました。
「良い音楽科教育とはこういうものだ」というテーゼをその確信に至った理路とともに丁寧に語ることで、「音楽科教育の存在意義」について一つの可能性を示すという筆者のねらいは達成されていると思います。筆者の論の核となっている自由と自由の相互承認や非他律的態度の獲得といった考え方について、丁寧に論を積み重ねることで、読者にとって納得感のある筆者の考えが示されています。「音楽科教育の目的論について、真剣に議論した一冊」というキャッチコピーを裏切らない良書です。
この本の難しさは、著者と同じ思考過程を辿らなければ著者の考えに到達しづらい点にあります。著者のように集団即興演奏に参加したり、音楽哲学的観点から音楽教育を再考したりした経験がないと、著者の視点を理解するのは容易ではありません。学校関係者—教員、管理職、保護者、生徒—にとってはなおさらでしょう。
仮に音楽科教員が著者の考えに共感し、他律的態度の内面化を避けようと注意を払いながら授業を行っても、その価値が十分に伝わらない可能性があります。集団即興演奏や「今示されている音楽の良さ・美しさが絶対ではない」と注釈を加えるような授業は、生徒にとって学習内容が不明確に感じられ、学習意欲の低下につながるかもしれません。
学校のステークホルダーの多くにとって、音楽は西洋音楽を意味し、従来の「銀行型教育」の音楽科教育を望む声も依然として多いのが現状です。(もちろん、この本は音楽科教育に「集団即興演奏」や「注釈」を即座に導入すべきだという内容論を展開しているわけではありません。)
しかし、この本の価値は、著者が積み重ねてきた音楽科教育の今日的な存在意義を示している点にあります。さらに、これまでの思想家の知見を整理し、私たちにとって"斬新"と感じられるような音楽科教育の存在意義を提示したことは、今後のより良い音楽科教育を公教育の中で実践していく上で重要な視点の一つになると感じました。
親学問の不在という特殊性、3R's(読み・書き・算術)を扱う科目と比較して学ぶ意義が感じにくいこと、「より良い音楽」=「コンクールで入賞する音楽(他律的な音楽)」とする価値観など、音楽科には実践上の困難が多々あります。しかし、この本は音楽科教育を真剣に考えるすべての人にとって有益な視点を提供しています。多くの人が音楽科教育の目的論について考え、その論理的過程を示し、目的論に基づいたより良い音楽科教育について活発に議論するような風潮が生まれることを願っています
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音楽科教育への根源的批判と肯定的眼差しを両立させる良書
2024年12月4日に日本でレビュー済み私は音楽科教育の専門家ではない。そもそも教師ですらない。そんな門外漢であっても、既存の音楽教育に対する刺激的な一撃を与えようとする長谷川氏の熱意が著書から伝わってきた。
私を含め、公教育での音楽の授業が退屈だと感じてきた人に、一体何が音楽をつまらなくさせているのか、その正体を著者は語る。「そうそう、そんな感じだったよな!」と当時の音楽の授業や合唱コンクールを思い出しながら読み進めると、終章には「即興演奏」を通じた音楽への向き合い方を処方箋として提示している。率直に言って、著者の授業を実際に受けてみたくなるほど、ワクワクするアイデアに溢れていた。日々の子育てのなかで、誰からも教わることなく自然に音と戯れ、遊ぶ子どもの姿の中にこそ、著者が目指す自由で非他律的な音楽教育のあり方を見出せるはずだ。
しかし、本書を読んで「面白そうな教育実践だけど、一体それをどう評価するの?」という疑問が湧くかもしれない。が、どうぞご安心を。前著『中学校音楽「主体的に学習に取り組む態度」学習評価完全ガイドブック』でしっかり解説されているので、併せてご一読をオススメします。
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長谷川 諒
2024年8月13日に日本でレビュー済み教育哲学的アプローチで音楽科教育、ひいては音楽の必要性を論じる書である。スモール、アルサップやフレイレといった、旧弊的な教育に批判的な視点の論者たちの主張をコンパクトに切り貼りして提示している点も、音楽科教育というよりは、20世紀後半の旧弊的教育への批判を簡便に知る冊子としては有用だろう。ただ、これらの批判は平成の世では持て囃されたが、令和の時代になって読むと、いささか批判の構図が紋切り型にも見えてしまう。「未だにそこが批判点なの?」という進歩のなさっぷりは、教育業界の業なのだろうか。また、簡便であるがゆえに、必ずしも彼らの議論の真髄を掬い取れているとは言い難く、これは概略本の宿命でもある。本当に学びたい人は、各自で彼らの書物を取り寄せて読み直すことを勧める。
音楽をはじめとする芸術系の科目は、そういった科目の出来栄えを集客パンダに据える学校ならばいざ知らず、田舎の公立校では、3R'sの基礎と応用を担う座学に比べれば、扱いはレクリエーションに近い。
アメリカでは、そういうレクリエーション的科目に予算が割けるくらい資金が潤沢にあれば、教員を雇って科目を存続させるが、予算を捻出できなければ「金の無駄」とバッサリ切り捨てられる。こうしたことは、スティーブン・ヘレク監督の『陽のあたる教室』(Mr.Holland's Opus)という映画の題材になるくらいに、ありふれている。
日本は、アメリカほどに苛烈に切り捨てるようなことはしないが、お受験には大して影響のない科目として、英語・国語・数学(算数)・理科・社会以外の科目は軽んじられる。学習指導要領には大層なお題目が書かれているが、その書かれている文言にちょっとでもかすっていれば御の字であろう。せいぜい、他の科目をないがしろにすると内申的評価で進学上不利になる…といった程度の脅しをする程度が現実である。
三浦展が20年くらい前に喝破した「下流社会」の傾向は収束しているわけではなく、むしろ拡大ないし浸透している。こういう上昇志向を捨て、教養がなんだ、馬鹿で何が悪いと開き直る人たちの増加に、音楽科教育はどう向き合うか、ということが、音楽科教育を問い直す今日的意義だと思うのだが、筆者には、そういった今日的状況を踏まえた音楽科教育からの社会への提言といったものが希薄であるように感じる。
旧弊的価値観の問い直し自体は、自明性を問うという哲学的スタンスに立てば歓迎されるべきなのだろうが、この問い直しの所作が構文化すると、問い直すのではなく、審査・講評といった効果測定のフェーズを無力化・スルーしてやり過ごすための安い手に成り下がる。行為者たる自分の気に入らんものは、極端な話、「感じ方考え方は人それぞれだろう!お前の感想を俺に押し付けるな!黙ってろ!」と恫喝したり、「所詮はあんたの感想に過ぎないだろう?」と一笑に付していればよい。そのうち審査・講評する側も適当に「素晴らしゅうございますね」くらいのことを言ってゴマをすっていればいいや…となるだろう。
制度上、延命している音楽科教育であるが、何か別の観点から「音楽科は金と時間の無駄だから、民間でテキトーにやってください」とバッサリ削減しようとする人たちに食い下がれるほどの説得力は、持ち得なかった。
筆者が音楽科教育畑の人なので、どうしても音楽科教育存続を前提とした言い訳にならざるを得ないのだろう。しかし、音楽科教育不要論を出発点とし、音楽を何かしらビアン・センスっぽいものとして微笑ましくとらえる自明性を疑うところまで前提を遡って論じないと、価値観の多様化にすりよって小賢しく生き残る音楽科教育業界の必死っぷりしか伝わらない。いや、それを伝えられれば、とりあえず成功なのか?
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