緊急事態宣言期間が延長された。コロナ対処は予想していたとおり、長期戦になった。
ここで欠けているのが、「数字を示しての議論」だ。出口条件は数字で示す必要がある。また、営業自粛要請と損失補償の問題も、原理原則論だけでなく、数字の議論が必要だ。
出口が見えない緊急事態宣言延長
緊急事態宣言が延長された 。しかし、数値目標は示されていない。解除要件は、「総合的に判断する」というだけだ。
「5月一杯は 外出自粛や営業自粛 を求める。その後、日本がどうなるかは、まったく分からない。手をよく洗い、食事は横並びで、自衛しなさい」。
政府が言っていることを煎じ詰めれば、こうしたことになる。
これでは、出口 が見えず、行動計画が立てられない。いったい、緊急事態は数ヵ月の単位で終わりそうなのか? それとも数年間続くものなのか? それについての目安を示してほしい。美術館や図書館の再開を容認するというが、腰だめの感がある。
行動制限と感染の関係は、数字で議論できる問題であり、また、数字の議論が必要な問題だ。いくつかの試算を示し、それを元に議論する必要がある。
営業自粛要請と補償はセットか?
出口戦略を示した上で解決しなければならないのが、損失補償の問題だ。
緊急事態宣言期間が延長されたことで、収入の途を断たれる人たちがますます増える。これについて、「営業自粛要請と補償はセットだ」という考え方が主張されている。これまでもそうした意見が多かったが、延長にともない、その声はますます強まるだろう。
他方で政府は、「自粛要請による損失補償はしない」と一貫して明言している。これは原理原則論の対立だが、この中間が解であることは間違いない。
問題は、「誰にどれだけ」ということなのだ。以下で、この問題につき考えることにしよう。
公共の福祉の下での自由
この問題の原理原則論は、つぎのようになるだろう。
まず第1に、「営業の自由」といっても、どんな場合においても無制限の自由が認められているわけではない。憲法第13条は、「公共の福祉に反しない限り」という制約を加えている。
いまコロナウィルスの感染の抑制が、公共の福祉の観点から要請されるのは明らかだ。もしどんな事業も自由にできるということになれば、感染が拡大し、その事業さえもできなくなってしまうだろう。
したがって、営業の自由に一定の制約が課されることは、社会全体の立場からだけでなく、その事業の立場から見ても合理的なことだ。
そして、憲法第29条は、「財産権の範囲は法律で定める」としている。いまの場合には、感染症対策の特別措置法がそれを定めているということになる。
原理原則論の限界
以上から、次の結論が導かれる。
コロナ感染防止という公共の目的のために、政府や自治体が営業自粛を求めることは正当化される。
公共の福祉のために行なうことなのだから、負担を分かち合わなければならないのは当然だ。
ただし、営業自粛要請と補償が完全にセットでなくてはならないという理由もない。つまり、損失額を100%補償しなければならないわけではない。なぜなら、営業の自由は、もともと一定の制約下のものだからだ。
また、公共の福祉のために、私企業の利益機会を奪うのだから、それによって生じる損害に政府が全く関与しなくてよいはずはない。
政府は、一貫して「自粛要請による損失補償は行なわない」としている。しかし、後で述べるようにその論拠は認めがたいものだ。この点は、緊急事態期間延長に当たって、明らかにすべき点だ。
だだし、政府は何もやっていないわけではない。「損失補償」という名目ではないが、10万円の一律給付金や持続化給付金などの政策を行っている。
問題は、それらが十分かどうかの検討だ。人件費や家賃などの固定費の負担を考えただけで、協力金では焼石に水という場合が多い。
問題は定量的判断「どれだけの自粛が必要か?」
法律論で言えるのは、以上までだ。ここまでは、多くの人が認めるだろう。
ただし、これだけで実際の政策が行えるわけではない。なぜなら、以上は、基本的考え方しか明らかにしていないからだ。
実際に問題となるのは、定量的な判断だ。その第1は、「どの範囲の事業について自粛が必要か?」だ。これは、法律論では答えられない問題だ。原理原則論や理念でなく、計算が必要だ。
どの程度の自粛を求めればどの程度の効果があるか?などについて、データに基づく計算と評価が必要だ。
いま国会で行われている議論では、このプロセスが抜けている。そして、原則論のぶつけ合いしかなされていない。これは不毛な議論だ。
もちろん、計算だけで、唯一の正しい答えが見出せるわけではない。立場によって政策の評価は異なるから、民主的な討論の結果としての合意を求めていくことが必要だ。
客観的なデータに基づく政策評価の上で、民主的な討論でどこまで合意を形成できるかが問われているのだ。
とくに難しいのは「どの範囲に、どの程度」
定量的判断が必要な第2の問題は、「どの範囲に、どの程度」だ。
経済的に損害を受けているのは、直接に営業自粛の対象になっている事業者だけではない。それに関連する業者も大きな損害を受けている。また、集会などの規制で、多くの人が損害を被っている。
「関連する業者も大きな損害を受けている」ことは、政府も指摘している。共産党の宮本徹氏への答弁で、要請の対象となっていない納入業者などの損失もあるとして、「個別の損失に限定して直接補償を行うことは現実的でない」とした。
しかし、これは、おかしな論理だ。損失を受けている人が広範囲に及ぶなら、それらの人々も対象にする必要がある。
「範囲が広いからできない」というのでは、「問題が難しいから対処できません」ということになり、自らの能力のなさを示すだけのことになってしまう。
政府は、30 万円給付金撤回で、哲学のなさを露呈した。上記の論理も説得力を欠いている。
緊急事態のための制度を作るのは政治の役割
すでにさまざまな施策が講じられているが、それらについて、手続きの煩雑さが指摘されている。
たとえば、雇用調整助成金は、あまりに手続きが複雑であり、申請窓口が混雑していると報道されている。申請はこれから増えるだろうから、是非とも対処が必要だ。
持続化給付金のようにオンライン申請ができる制度ができたのは、評価したい。しかし、トラブルが発生してログインできないとの投稿がウエブに溢れている。
いま必要なのは、これまで、まったくなかった事態への対処だ。ところが、それを平時の仕組みを使って行なおうとするから機能しないのである。
官僚は、現存する制度の中でしか動けない。制度を変えるは政治家の役割だ。いまこそ、政治の役割が求められているときはない。