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デ・ラ・ソウル

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デ・ラ・ソウル
2004年のデ・ラ・ソウル。左から右に向かって、トゥルーゴイ・ザ・ダヴ、メイシオ、ポスドゥヌス
基本情報
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 ニューヨーク
ジャンル ヒップホップ、オルタナティブ・ヒップホップ、ジャズ・ラップ
活動期間 1988年 -
レーベル トミー・ボーイ、サンクチュアリ、Kobalt、Duck Down Music、PIAS
公式サイト wearedelasoul.com
メンバー ポスドゥヌス
トゥルーゴイ・ザ・ダヴ
メイシオ

デ・ラ・ソウル(De La Soul)は、アメリカ合衆国・ニューヨーク州ロングアイランド出身のヒップホップ・グループ。ポスドゥヌス、トゥルーゴイ・ザ・ダヴ、メイシオの3人によって1980年代後半に結成された。プロデューサーのプリンス・ポールと制作した初期作品における多彩なサンプリング、言葉遊び、寸劇(スキット)を取り入れたアルバム構成で知られ、オルタナティブ・ヒップホップの形成に大きな役割を果たした[1]。

ジャングル・ブラザーズ、ア・トライブ・コールド・クエスト、クイーン・ラティファらとともに、ヒップホップ集団ネイティブ・タンズの中心的存在となった。デビュー・アルバム『スリー・フィート・ハイ・アンド・ライジング(3 Feet High and Rising)』(1989年)は、ヒップホップにおけるサンプリングとアルバム表現の可能性を拡張した作品として評価され、2010年度の全米録音資料登録簿に選定された[2]。

2005年にはゴリラズの楽曲「Feel Good Inc.」に参加し、同曲によって2006年のグラミー賞最優秀ポップ・コラボレーション賞を受賞した。長年にわたり旧所属レーベルとの契約やサンプルの権利処理をめぐる問題を抱え、初期作品の多くがデジタル配信されていなかったが、2023年に旧作カタログのストリーミング配信が開始された。同年にトゥルーゴイが死去した後も、ポスドゥヌスとメイシオによって活動が継続されている。

来歴

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結成と『3 Feet High and Rising』

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『スリー・フィート・ハイ・アンド・ライジング』(1989年)の色鮮やかなジャケットは、ヒップホップの類型的なビジュアル表現から脱却する試みだった。

ケルヴィン・マーサー(ポスドゥヌス)、デヴィッド・ジュード・ジョリクール(トゥルーゴイ・ザ・ダヴ)、ヴィンセント・メイソン(メイシオ)は、ロングアイランドのアミティヴィル・メモリアル高校で知り合った。1980年代半ばからメイシオの自宅地下室などで音楽制作を始め、4トラック・レコーダーを使ってデモテープを録音した。楽曲「Plug Tunin'」のデモが、当時ステッツァソニックのDJ兼プロデューサーとして活動していたプリンス・ポールの耳に留まり、ポールの仲介によってトミー・ボーイ・レコードと契約した[3][4]。

1989年、プリンス・ポールのプロデュースによるデビュー・アルバム『スリー・フィート・ハイ・アンド・ライジング(3 Feet High and Rising)』を発表した。同作では、従来からヒップホップの主要な素材であったファンクやソウルを基礎としながら、スティーリー・ダンやホール&オーツなどのポップ・ソウル、児童向け教育番組、フランス語の学習教材など、多様な素材を組み合わせた。こうしたサンプルをコラージュし、スキットや架空の人物設定、独自の語彙を加えることで、アルバム全体に一つの独創的な世界を構築した[5]。

同作からは「Me Myself and I」「Eye Know」「The Magic Number」「Say No Go」などが発表された。作品中で掲げられた「D.A.I.S.Y. Age」や花を用いたアートワーク、ユーモラスな映像表現などから、グループはメディアによって「ヒッピー・ラップ」「ポジティブ・ラップ」の代表とみなされた。しかし、このイメージはグループの多面的な歌詞や音楽性を単純化するものでもあり、メンバーは次第に固定されたイメージへの違和感を強めていった[4]。

同時期には、ジャングル・ブラザーズやア・トライブ・コールド・クエスト、クイーン・ラティファ、モニー・ラヴらとネイティブ・タンズを形成した。ネイティブ・タンズは正式なグループというよりも、相互の客演や制作、ツアーを通じて結びついた緩やかな共同体であり、ジャズやファンクを含む多彩なサンプリング、アフロセントリックな意識、遊び心のある言語表現を共有した。

『スリー・フィート・ハイ・アンド・ライジング』収録の寸劇「Transmitting Live from Mars」では、ロック・グループ、タートルズの「You Showed Me」の録音を許諾なく約12秒間使用したとして、同曲の権利者から訴訟を起こされた。この訴訟は、サンプリングの権利処理がまだ体系化されていなかった時代に起きた事件として、その後のヒップホップ制作や音楽産業におけるサンプル・クリアランスのあり方に影響を与えた事例の一つとされる[6]。

初期イメージからの脱却

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プリンストン大学の学内パーティーでパフォーマンスするデ・ラ・ソウル(1991年)

1991年に第2作『デ・ラ・ソウル・イズ・デッド(De La Soul Is Dead)』を発表した。割れたデイジーの植木鉢を描いたジャケットは、デビュー作によって定着した「D.A.I.S.Y. Age」やヒッピー的なイメージを自ら終わらせる意思を示すものだった。

同作のコンセプト性を支えているのが、子供向けの絵本読み聞かせテープを模した構成である。複数のコマで構成された漫画が印刷されたインナースリーブでは、いじめっ子たちがごみ箱からデ・ラ・ソウルのカセットを拾い、内容に文句を言いながら聴き進める様子が描かれる。アルバム内のスキットにも、チャイムが鳴ったらページをめくるよう促すナレーションが挿入され、登場人物たちは「前作の方がよかった」といった批判を口にする。こうしてグループは、批評家や聴衆から浴びせられる反応をあらかじめ作品内に取り込み、自己批評とセルフパロディへ転化した。

同作は、ユーモアや寸劇を引き継ぎながらも、音楽業界、名声、人間関係、暴力、性的虐待など、より暗く複雑な題材を扱った。「Ring Ring Ring (Ha Ha Hey)」では成功後に近づいてくる人々への不信感を描き、「Millie Pulled a Pistol on Santa」では、家庭内における性的虐待と周囲の無理解を物語形式で表現した。デビュー作の成功を単純に反復せず、自分たちに与えられたイメージを作品そのものによって解体する姿勢は、以後の活動を特徴づけるものとなった[4]。

1993年の第3作『バルーン・マインド・ステイト(Buhloone Mindstate)』では、初期2作の断片的で過密な音響から、より抑制されたジャズおよびファンク志向のサウンドへと変化した。ジェームス・ブラウンのバンドで活動したメイシオ・パーカー、フレッド・ウェズリー、ピー・ウィー・エリスが演奏で参加し、サンプリングと生演奏を組み合わせた。「Breakadawn」「Ego Trippin' (Part Two)」「I Am I Be」などでは、商業的成功と創作上の自立、家族、加齢、ネイティブ・タンズの変化といった主題が扱われている[4]。

『バルーン・マインド・ステイト』は、プリンス・ポールが全面的に制作へ関与した最後のアルバムとなった。ポールは初期3作品において、単にビートを提供するだけでなく、スキットや曲順、録音現場での即興的なやり取りを含めたアルバム全体の構成に深く関わっていた。

『Stakes Is High』とAOIシリーズ

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2002年のデ・ラ・ソウル

1996年、プリンス・ポールから離れて制作した第4作『ステークス・イズ・ハイ(Stakes Is High)』を発表した。グループ自身が制作の中心を担い、当時ジェイ・ディーと名乗っていたJ・ディラがタイトル曲「Stakes Is High」をプロデュースした。同曲では、ヒップホップにおける「リアルさ」をめぐる過剰な競争、暴力や消費文化、音楽業界の価値観を批判している。アルバムにはコモン、モス・デフ、トゥルース・イノーラらも参加し、ネイティブ・タンズ以後に登場した新世代のオルタナティブ・ヒップホップとの接点を示した[7]。

2000年には『アート・オフィシャル・インテリジェンス (モザイク・サンプ)(Art Official Intelligence: Mosaic Thump)』、2001年には『AOI: Bionix』を発表した。両作は「Art Official Intelligence」(AOI)と題した連作の一部として構想され、『Mosaic Thump』ではレッドマン、ビースティ・ボーイズ、バスタ・ライムスら多数のゲストを迎えた。続く『Bionix』では、より内省的な歌詞と落ち着いたサウンドが中心となった。

AOIは当初3部作として構想されていたが、トミー・ボーイをめぐる契約およびレーベル再編の影響などにより、第3作は当時発表されなかった。長年所属したトミー・ボーイとの関係もこの時期に終了した[4]。

独立後の活動と「Feel Good Inc.」

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「Feel Good Inc.」をパフォーマンスするデ・ラ・ソウル(2005年)

2004年、サンクチュアリ・レコードから『ザ・グラインド・デイト(The Grind Date)』を発表した。従来のようなスキットを用いた大規模なコンセプト・アルバムではなく、個々の楽曲とラップを前面に出した作品で、J・ディラ、マッドリブ、ナインス・ワンダー、ジェイク・ワン、スーパ・デイヴ・ウェストらが制作に参加した。ゲストにはMFドゥーム、ゴーストフェイス・キラー、フレイヴァー・フレイヴらが名を連ねた[8]。

2005年には、デーモン・アルバーンによるプロジェクト、ゴリラズのシングル「Feel Good Inc.」に参加した。デ・ラ・ソウルとゴリラズは、その後も「Superfast Jellyfish」「Momentz」などで共演している。「Feel Good Inc.」は世界的なヒットとなり、2006年の第48回グラミー賞において年間最優秀レコード賞などにノミネートされ、最優秀ポップ・コラボレーション賞を受賞した。これはデ・ラ・ソウルにとって初のグラミー賞受賞となった[9]。

自主制作と『And the Anonymous Nobody...』

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2012年には、ポスドゥヌスとトゥルーゴイが「Plug 1 & Plug 2」名義で、フランスのプロデューサー、ChokolateおよびKhalidと制作した『ファースト・サーヴ(Plug 1 & Plug 2 Present... First Serve)』を発表した。メイシオは同作の主要メンバーには含まれておらず、デ・ラ・ソウル本体から派生したプロジェクトとして位置づけられている。

2015年、新作アルバムの制作資金をKickstarterで募集した。当初の目標額11万ドルに対して、1万1000人を超える支援者から約60万ドルが集まった[10]。

この企画では、既存楽曲のサンプルに依存する代わりに、スタジオ・ミュージシャンによる長時間の即興演奏を録音し、その録音を自分たちで切り取り、組み替えることで新たなトラックを制作した。サンプリングという制作思想を維持しながら、使用する素材自体を自分たちで作る手法であり、過去に経験した権利処理上の問題を回避する試みでもあった[11]。

2016年に『アンド・ジ・アノニマス・ノーバディ(And the Anonymous Nobody...)』を発表した。スヌープ・ドッグ、デヴィッド・バーン、デーモン・アルバーン、ジル・スコット、アッシャー、リトル・ドラゴン、2チェインズらが参加し、ヒップホップ、ソウル、ファンク、ロックなどを横断する作品となった。同作は2017年の第59回グラミー賞で最優秀ラップ・アルバム賞にノミネートされた[9]。

旧作カタログをめぐる権利問題

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デ・ラ・ソウルがトミー・ボーイから発表した初期6作品は、契約上の問題に加え、アナログ盤やCDの発売時には処理されていなかった多数のサンプルについて、デジタル配信に必要な許諾を改めて取得する必要があったことから、長期間にわたって主要なストリーミング・サービスで配信されなかった。

2014年には、デビュー25周年に合わせて公式サイトから旧作音源を期間限定で無料配布し、正規のデジタル版を入手しにくい状況への対応を試みた。2019年にはトミー・ボーイから配信開始が告知されたが、収益配分や契約条件をめぐってグループが反対し、配信は延期された。こうした状況によって、新しい世代が初期作品へアクセスしにくい状態が続いた[4]。

2021年、レザーヴワー・メディアがトミー・ボーイを買収した後、サンプルの権利処理と契約の再調整が進められた。2023年3月3日、『3 Feet High and Rising』から『AOI: Bionix』までの初期6作品が、主要なストリーミング・サービスおよびデジタル音楽販売サービスで一斉に配信された[12]。

この問題は、デ・ラ・ソウルと旧所属レーベルの対立にとどまらず、1980年代末から1990年代初頭のサンプリング文化と、後年成立したデジタル配信制度との不整合を示す事例としても論じられている。

トゥルーゴイの死去と活動継続

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ニューポート・ジャズ・フェスティバルでのデ・ラ・ソウル(2025年)

2023年2月12日、トゥルーゴイ・ザ・ダヴことデヴィッド・ジュード・ジョリクールが54歳で死去した。ジョリクールは生前、うっ血性心不全を患っていることを公表していた。旧作カタログのストリーミング解禁を目前にした死去であり、ポスドゥヌスとメイシオは、トゥルーゴイの遺族とも話し合ったうえで、デ・ラ・ソウルとしての活動を継続する意向を示した[4][13]。

同年以降、2人はトゥルーゴイのパートを映像や録音と組み合わせながらライブ活動を続け、ウータン・クランおよびナズのツアーにも参加した。

2025年11月21日、マス・アピールからアルバム『キャビン・イン・ザ・スカイ(Cabin in the Sky)』を発表した。トゥルーゴイの死後初めて発表されたデ・ラ・ソウルのスタジオ・アルバムで、ピート・ロック、DJプレミア、スーパ・デイヴ・ウェストらが制作に参加した。ゲストにはナズ、Qティップ、キラー・マイク、ブラック・ソート、コモン、スリック・リック、ビラル、ユキミ・ナガノらが名を連ねた[14]。

影響

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デ・ラ・ソウルとネイティブ・タンズの活動は、ハードコア・ラップやギャングスタ・ラップとは異なる価値観、服装、言語、音楽的参照を持つヒップホップが、広い聴衆を獲得できることを示した。多様な音楽を取り込むサンプリング、内省的でレトリックに富んだ歌詞は、1990年代以降のオルタナティブ・ヒップホップ、アンダーグラウンド・ヒップホップへ影響を与えた[15]。

また、デビュー後に形成されたイメージを作品ごとに批評し、人気や商業的成功そのものを題材としたことは、ヒップホップ・アーティストが長期的なキャリアや加齢、産業との関係を作品内で語る先駆的な例の一つとなった。

日本との関係

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1993年のアルバム『Buhloone Mindstate』には、高木完とスチャダラパーが参加した「Long Island Wildin'」が収録されている。同曲は短いスキット形式ながら、高木とスチャダラパーが日本語でラップしており、アメリカの主要なヒップホップ・グループのアルバムに日本のラッパーが同時代的に参加した初期の例の一つとなった。スチャダラパーを含むLBネイション周辺のアーティストは、ネイティブ・タンズの共同体的な活動や音楽性から影響を受けていた。「Long Island Wildin'」は、その影響が一方向の受容にとどまらず、録音やツアーを通じた直接的な交流へ発展した事例として位置づけられている[16]。

1999年には、小室哲哉とTRUE KiSS DESTiNATiONのプロジェクトに参加し、「VICTIM」のリミックスなどで共演した[17]。また、2001年には日本の歌手DOUBLEとPlayStation用ゲーム『パラッパラッパー』のテーマソング「Say “I Gotta Believe!”」で共演している。

メンバー

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  • ポスドゥヌス(Posdnuos)
本名はケルヴィン・マーサー(Kelvin Mercer)。MC、作詞、プロデュースを担当する。Plug One、Pos、Mercenaryなどの別名も使用している。
  • トゥルーゴイ・ザ・ダヴ(Trugoy the Dove)
本名はデヴィッド・ジュード・ジョリクール(David Jude Jolicoeur)。MC、作詞、プロデュースを担当した。Plug Two、Dove、Daveなどの別名も使用した。Trugoyとはヨーグルト(Yogurt)の綴りを逆にしたものであり、本人も「ヨーグルトが好きで、いつもよく食べる」と語っている程のヨーグルト好き。2023年2月12日死去。
  • メイシオ(Maseo)
本名はヴィンセント・ラモント・メイソン・ジュニア(Vincent Lamont Mason Jr.)。DJ、MC、プロデュースを担当する。Plug Three、Pasemaster Maseなどの別名も使用している。

ディスコグラフィ

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スタジオ・アルバム

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  • 『スリー・フィート・ハイ・アンド・ライジング』 - 3 Feet High and Rising (1989年、Tommy Boy)
  • 『デ・ラ・ソウル・イズ・デッド』 - De La Soul Is Dead (1991年、Tommy Boy)
  • 『バルーン・マインド・ステイト』 - Buhloone Mindstate (1993年、Tommy Boy)
  • 『ステークス・イズ・ハイ』 - Stakes Is High (1996年、Tommy Boy)
  • 『アート・オフィシャル・インテリジェンス (モザイク・サンプ)』 - Art Official Intelligence: Mosaic Thump (2000年、Tommy Boy)
  • 『AOI:BIONIX』 - AOI: Bionix (2001年、Tommy Boy)
  • 『ザ・グラインド・デイト』 - The Grind Date (2004年、Sanctuary)
  • 『ファースト・サーヴ』 - Plug 1 & Plug 2 Present... First Serve (2012年、Jesgrew)※ポスドゥヌスとトゥルーゴイによる派生プロジェクト。
  • 『アンド・ジ・アノニマス・ノーバディ』 - And the Anonymous Nobody... (2016年、AOI)
  • 『キャビン・イン・ザ・スカイ』 - Cabin in the Sky (2025年、Mass Appeal)

EP

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  • Clear Lake Audiotorium (1994年、Tommy Boy)
  • Days Off (2004年、HipHopSite.com)
  • For Your Pain & Suffering (2016年)

ライブ・アルバム

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  • Live at Tramps, NYC, 1996 (2004年、Rhino) ※ニューヨークで行われたライブ音源

コンピレーション・アルバム

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  • 『リミクシーズ』 - Remixes (1991年、Sony)
  • De La Remix (1992年、Tommy Boy)
  • Timeless: The Singles Collection (2003年、Rhino)
  • 『ザ・ベスト・オブ』 - The Best of De La Soul (2003年、Rhino)
  • De La Mix Tape: Remixes, Rarities and Classics (2004年、Rhino)
  • 『The Impossible Mission: Operation Japan』 - The Impossible: Mission TV Series – Pt. 1 (2006年、AOI)

脚注

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  1. ↑ “De La Soul Biography, Songs, & Albums” (英語). AllMusic. 2026年7月14日閲覧。
  2. ↑ “Complete National Recording Registry Listing” (英語). アメリカ議会図書館. 2026年7月14日閲覧。
  3. ↑ “De La Soul” (英語). TeachRock. 2026年7月14日閲覧。
  4. 1 2 3 4 5 6 7 Alexis Petridis (2025年2月14日). “'Hip-hop was like dog years. You'd be over by your third album': De La Soul on grief, Gorillaz and never giving up” (英語). ガーディアン. 2026年7月14日閲覧。
  5. ↑ Jeff Chang (2018年9月23日). “De La Soul: 3 Feet High and Rising Album Review” (英語). Pitchfork. 2026年7月14日閲覧。
  6. ↑ Robert Hilburn (1989年7月23日). “Sampling Wars”. ロサンゼルス・タイムズ (英語). 2026年7月14日閲覧.
  7. ↑ Nate Patrin (2014年4月4日). “De La Soul: Smell the D.A.I.S.Y. Album Review” (英語). Pitchfork. 2026年7月14日閲覧。
  8. ↑ Rollie Pemberton (2004年10月7日). “De La Soul: The Grind Date Album Review” (英語). Pitchfork. 2026年7月14日閲覧。
  9. 1 2 “De La Soul: Grammy Awards and Nominations” (英語). レコーディング・アカデミー. 2026年7月14日閲覧。
  10. ↑ “De La Soul's NEW ALBUM” (英語). Kickstarter. 2026年7月14日閲覧。
  11. ↑ “De La Soul previews its Kickstarter-funded album, And the Anonymous Nobody” (英語). LAist. 2026年7月14日閲覧。
  12. ↑ “Reservoir Brings De La Soul's Iconic Catalog to Streaming Platforms” (英語). Reservoir Media (2023年1月3日). 2026年7月14日閲覧。
  13. ↑ Jonathan Landrum Jr. (2023年2月12日). “De La Soul co-founder Trugoy the Dove dead at 54” (英語). AP通信. 2026年7月14日閲覧.
  14. ↑ “ヒップホップ史上に燦然と輝くレジェンドグループのDe La Soulが9年ぶりのニューアルバム『Cabin In The Sky』をリリース”. The Orchard Japan (2025年11月21日). 2026年7月14日閲覧。
  15. ↑ “The Outsized Influence of De La Soul” (英語). ザ・ニューヨーカー (2025年1月3日). 2026年7月14日閲覧。
  16. ↑ 高橋芳朗 (2023年3月3日). “デ・ラ・ソウル(De La Soul)、ヒップホップを変えた3人――膨大なサンプルと知的な遊びで切り拓いた道をアルバムごとに辿る”. Mikiki. 2026年7月14日閲覧。
  17. ↑ “TRUE KiSS DiSC”. ソニー・ミュージック. 2026年7月14日閲覧。

外部リンク

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