ヤンゴン大学
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ရန်ကုန် တက္ကသိုလ် [my] | |
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| 旧称 |
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| 種別 | 公立 |
| 設立年 | 1920年 |
| 学長 | Dr. Tin Mg Tun |
教員数 | 1313 |
| 学部生 | 4194 |
| 大学院生 | 5748 |
| 所在地 |
ヤンゴン地方域University Avenue Road, Kamayut Township 11041 北緯16度49分48秒 東経96度08分06秒 / 北緯16.83000度 東経96.13500度座標: 北緯16度49分48秒 東経96度08分06秒 / 北緯16.83000度 東経96.13500度 |
| 公式サイト |
uy |
ヤンゴン大学(ヤンゴンだいがく、英語: University of Yangon、ビルマ語: ရန်ကုန် တက္ကသိုလ်)は、ミャンマーの大学である。ヤンゴン地方域カマーユッ郡区に位置する。旧称ラングーン大学(ラングーンだいがく)。1878年に創立されたカルカッタ大学の付属校を前身とする、国内最古の大学である[1]。
歴史
[編集]イギリス統治時代
[編集]ヤンゴン大学の前身は、イギリス統治時代にカルカッタ大学の付属校として創立されたラングーン・カレッジである[1]。その後ガバメント・カレッジに改称し[2]、1920年にバプティスト系のジャドソン・カレッジ(1875年設立)と合併し、ラングーン大学となった。しかし合併後も部局が統一されたわけではなく、ビルマ人学生は旧ラングーン・カレッジであるユニヴァーシティ・カレッジに通った[3]。ラングーン大学はイギリス領ビルマに存在した唯一の大学であり[3]、その後1925年に設立されたマンダレー・カレッジをはじめとして、イギリスの設置した国内の高等教育機関はすべてラングーン大学の一部として組織された[4]。
1947年までに、植民地政府でインド高等文官(1938年以降はビルマ高等文官)となったビルマ人43人のうち37人がラングーン大学卒業生であった[5]。ラングーン大学における学生運動はビルマ人団体総評議会[6]、タキン党といったビルマのナショナリスト組織に力を与えた[7]。タキン党書記長を経て、ビルマ独立運動の指導者となったアウンサンもラングーン大学出身者である[8]。また、アウンサンが暗殺された後、独立ビルマの初代首相となったウー・ヌもラングーン大学出身者であり[3]、ラングーン大学二次学生ストライキのときからアウンサンと交友があった[9]。
独立後
[編集]1958年にはマンダレー大学がラングーン大学より独立し、国内で2番目の総合大学となった[4]。1962年ビルマクーデターにより3月2日にネウィンが政権を握ると、ラングーン大学学生同盟を中心とするクーデターを非難する集会が開かれた。ネウィンは7月7日に軍を動員し、学生を多数射殺するとともに学生同盟の建物を爆破した[10]。
大学自治は停止され、ラングーン大学は中央政府機関の高等教育局(Directorate of Higher Education)管轄下に置かれた。また、教授言語が設立以来の英語からビルマ語に転換されたが、この時期大学の教育水準は著しく低下した[11]。1964年の大学教育法制定後、ラングーン大学より医学系・技術系・教育系といった専門大学が分離新設され、ラングーン大学には教養学部および理学・法学系の部門のみが残った[1]。1988年の8888民主化運動は、ラングーン大学を中心のひとつとしていた[12]。1989年にヤンゴン大学と改称[1]。
1996年にも政府に抗議するデモが起こったが、再び弾圧された。これにより、医科大学を除く国内すべての大学の学部課程が停止された[1]。これは2000年に解除されたが、ヤンゴン大学およびマンダレー大学においては学生の非政治化目的で、都市部から遠く離れた所に別のキャンパスが設けられた[13]。ラングーン大学の学部課程閉鎖は2013年まで続き[1]、学部教育はダゴン大学、東ヤンゴン大学、西ヤンゴン大学などで行われることになった[14]。
組織
[編集]21学科から構成される[2]。文系専攻としてビルマ語・英語・歴史・法律・哲学・心理学・人類学・考古学・国際関係論・地理学・東洋学・図書館情報学学科、理系専攻として物理学・化学・数学・動物学・植物学・工業化学・地質学・コンピュータ研究・環境と水研究学科がある[1]。
2022年-2023年度時点で教職員数は862人。学生は学士課程1,895人、修士課程188人、博士課程415人。また、ディプロマ課程101人、社会人ディプロマ課程2,924人[2]。
出典
[編集]- 1 2 3 4 5 6 7 アジア・太平洋総合研究センター. “ヤンゴン大学 基礎資料集 - 東南アジア”. Science Portal Asia Pacific. 2025年10月4日閲覧。
- 1 2 3 “Yangon University | University of Yangon”. www.uy.edu.mm. 2025年10月4日閲覧。
- 1 2 3 根本 2014, pp. 117–119.
- 1 2 Ko Yin Aung (23 December 1999). “Prospects of education in Myanmar”. The New Light of Myanmar. 2016年3月3日時点のオリジナルよりアーカイブ. 2008年12月24日閲覧.
- ↑ 根本 2014, pp. 169–173.
- ↑ 根本 2014, pp. 135–136.
- ↑ 根本 2014, pp. 140–141.
- ↑ 齋藤照子「アウンサン」『日本大百科全書(ニッポニカ)』。コトバンクより2025年10月5日閲覧。
- ↑ 根本 2014, p. 263.
- ↑ 根本 2014, pp. 299–300.
- ↑ Khin Maung Kyi (2000). Economic Development of Burma: a Vision and a Strategy. SUP. p. 150. ISBN 91-88836-16-9
- ↑ 根本 2014, pp. 317–318.
- ↑ 上別府隆男 (2016年). “ミャンマーにおける大学進学、留学プロセス分析”. 文部科学省. 2025年10月5日閲覧。
- ↑ James, Helen (2005). Governance and Civil Society in Myanmar: Education, Health and Environment. Routledge. pp. 102
参考文献
[編集]- 根本敬『物語 ビルマの歴史 - 王朝時代から現代まで』中央公論新社、2014年。ISBN 978-4-12-102249-3。