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三結

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

三結(さんけつ、巴: tīni saṃyojanāni, ティーニ・サンヨージャナーニ)とは、仏教において、預流果を得ると断たれる3つの煩悩の総称。「結」(けつ、巴: saṃyojana, サンヨージャナ)とは「束縛」のことであり、「三結」は「3つの束縛」を意味する。

三結の内容は、以下の通り[1][2]。

  1. 有身見(うしんけん、巴: sakkāya-diṭṭhi) - 五蘊を自己とみなす見解[1]
  2. 疑(ぎ、巴: vicikicchā) - 教義への疑い
  3. 戒禁取(かいごんしゅ、巴: sīlabbata-parāmāsa) - 誤った戒律・禁制への執着

有身見

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Katamañca bhikkhave, sakkāyo: Pañcupādānakkhandhātissa vacanīyaṃ,
Katame pañca, Seyyathīdaṃ: rūpūpādānakkhandho vedanūpādānakkhandho saññūpādānakkhandho saṃkhārūpādānakkhandho viññāṇūpādānakkhandho. Ayaṃ vuccati bhikkhave, sakkāyo.

比丘たちよ、有身とは何か? それは五つの取蘊である。
いかなる五か? 色取蘊、受取蘊、想取蘊、行取蘊、識取蘊である。比丘たちよ、これが有身である。

有身見(巴: sakkāya-diṭṭhi、梵: satkāyadṛṣṭi、蔵: 'jig tshogs la lta ba)、我見(がけん)とは、sat (存在) + kāya (身体) + diṭṭhi (見) であり、五悪見のひとつとされている[2]。

一般的には「個々の自我に対する信念」や、単に「自己観」とされ、「我(アートマン; attan)が恒久的な存在であるという蘊の信条」である[3]。仏教ではアートマンが無常であるという無我(アナッタン)の立場を取るためである[2]。

パーリ経典では、釈迦は以下のように有身見を記載している。

では比丘たちよ、どのようなものが捨てられるべき煩悩であるのか?
比丘たちよ、ここに(法の教えを聞いていない)庶民の人がいるとする。 ..(中略)..彼らはこのように不適切に考える。

  • 私は過去に存在したのか? 過去の私は何物だったのか?
  • 未来に私は存在するのか? 未来の私は何物となっているか?
  • 私は何物なのか? 私はどのようであるか?
  • 私はどこから来たのか? 私はどこへ行くのか?

このような間違った方法で考えるものは、これら6つの見解に至る。

  • 私には我(アートマン)がある
  • 私には我がない
  • 私が我と知覚しているもの、それが我(アートマン)である
  • 私が我と知覚しているもの、それは我ではない
  • 私は無我によって、私の我を知覚する
  • いま語り感受している私こそが我であり、私の我は恒常であり、不変であり、永久に存在する(常見)

比丘たちよ、これらは、悪見、見の密林、見の荒野、見の曲芸、見による狂乱、見による結束と呼ばれている。

法蘊足論では「五取蘊に対して我・我所の想を起すことにより忍・楽・慧・観・見を生じること」、 界身足論では「五取蘊を随観して、我・我所を把握して忍・楽・慧・観・見を生じること」と述べられている [4]。

二十有身見

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二十有身見、二十身見とは、五蘊(色蘊、受蘊、想蘊、行蘊、識蘊)について、それぞれ「この蘊が我である」「我とはこの蘊である」「蘊があるため、その中に我がある」「我があって、その中に蘊があるる」との見を持つこと[4][5]。

諸比丘! ..(中略).. 愚癡無聞凡夫見色是我、異我、我在色、色在我;
見受、想、行、識,是我、異我、我在識、識在我。

比丘たちよ、..(中略).. 愚かで無知な人々はこう考える、色が我である、我とは色のことである、私の中に色がある、色の中に私がいる。
受、想、行、識もそう考える。識が我である、我とは識のことである、私の中に識がある、識の中に私がいると。

—雜阿含経, 109

四向四果における三結

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四向四果
(解脱の10ステップ, パーリ経蔵[6]による)

到達した境地(果位) 解放された結 苦が終わるまでの輪廻

預流

1. 有身見 (我が恒久であるという信条)
2. 疑(教えに対しての疑い)
3. 戒禁取(誤った戒律・禁制への執着)

下分結

最大7回、欲界と天界を輪廻する

一来

一度だけ人として輪廻する

不還

4. 欲への執着(欲愛)
5. 憤怒(瞋恚, パティガ)

欲界及び天界には再び還らない

阿羅漢

6. 色貪
7. 無色貪
8. 慢, うぬぼれ
9. 掉挙
10. 無明

上分結

三界には戻らず輪廻から解放

脚注

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  1. 1 2 P.A.パユットー 著、野中耕一 訳『ポー・オー・パユットー 仏教辞典(仏法篇)』、2012年2月、サンガ、p.202
  2. 1 2 3 藤本晃著『悟りの4つのステージ : 預流果、一来果、不還果、阿羅漢果』サンガ、2015年11月、Chapt.3。ISBN 9784865640267。
  3. ↑ Rhys Davids & Stede (1921-25), pp. 660-1, "Sakkāya" entry (retrieved 2008-04-09). See also, anatta.
  4. 1 2 木村紫「『俱舍論』を中心とした有身見の研究 : 刹那的な諸行を常住な一個体(piṇḑa)と把握する想と聖者の諦」『立正大学 博士論文』2016年3月20日、NAID 500000984239。
  5. ↑ 袴谷憲昭「二十種有身見考」『駒澤大學禪研究所年報』第29巻、2017年12月、81-109頁、CRID 1050569000710270208。
  6. ↑ 中部22 蛇喩経など

関連項目

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