談話室にて~転生令嬢は暗躍しないのである
「あー、済まない。
私はしばらく謹慎の身となった。
ひょっとすると王城の文官をクビになるかもしれない。
今後のことについては処分が決まりしだい考えるが、お前たちにも苦労をかける」
ある日の夕方、家に戻ってくるなり父が衝撃の告白をした。
「あらまあ、あなた。
苦労だなんて、苦労だと思うから苦労なのよ。
苦労だと思わなければ、それは苦労じゃないわ」
母がいつものように衝撃を斜め方向に打ち返して和らげる。
いや、和らいだのかな?
「え? これ以上貧乏になるの?
貧乏は平気だけれど、ここから先は想像がつかないわ」
五人兄弟姉妹の三番目である長女のビアンカ姉様が怯える。
「姉様、貧乏なんてうちの標準装備だからなんとでもなりますよ」
四番目の三男、ダミアン兄様が理屈っぽく返す。
「お父様、差し支えない範囲で何があったかお話しいただけますか?」
末っ子で次女のわたし、グレーテルがそう言うと、父は少しほっとしたように微笑んだ。
穏やかで思慮深い父のことは尊敬しているが、残念ながら、その職業は木っ端役人である。
子爵家の四男に生まれ、貴族学園でよく学んで上位の成績を修め、王城の文官となった。
我が家は男爵家だが、それは父が学園の推薦を受けて文官となったことに付随する地位である。
一般的に新人の文官は、地位的には一番下のランクから始める。
推薦があると二ランク上から始まるので、いきなり数人の部下を持つ立場になるのだ。
もちろん、その力があると認められたからの推薦なので、仕事でつまずくことは少ないらしい。
だが、貴族の中にはプライドが実力を上回っている者が多い。
継ぐ爵位を持たず平民になるはずだった父が、推薦のおかげで男爵位をもらったことが気に入らない文官は周囲にたくさんいたようだ。
嫌味を言われ、小さな嫌がらせを受け、それでも父は淡々と仕事を続けてきた。
在学中から恋人だった母と婚姻し、次々と子が生まれたので生活費も稼がねばならない。
王城の文官という仕事は相当出世しなければ給料がいいというほどではないが、保障が十分で手堅いのだ。
それから二十年、後ろ盾もないから地位はほとんど上がらなかったが、かつかつなりに生活は成り立ってきた。
我が家は男爵家だが、父が王城に勤めている間だけの爵位なので後継ぎはいらない。
長男次男は共に王城で貴族相手に働く気がなかったため、街にある授業料の格安な学校で基礎教育を受け、後は自分の目指す方向にまっすぐ進んだ。
長男のテオフィル兄様は今、騎士として地方の伯爵家で働いている
基礎教育を受けた後、兄様は王都守護の騎士団の予備科に入った。
ここは騎士を目指す下級貴族や平民のための学校のようなもので、体力作りから武器の扱い方など騎士に必要なこと全般を教えてもらえる。
衣食住が無料なかわりに、個人の自由時間は皆無だ。
武具の手入れや馬の世話など、正規の騎士のための下働きが課せられる。
それに耐えながら精進し、試験に受かって騎士としてやっていけると見なされれば卒業だ。
就職先として王都の騎士団は競争率が高いが、地方の貴族家領地ならばわりと門戸は広い。
王都騎士団予備科の免状を持っていれば、まず問題なく入れてもらえる。
兄様は地方の農業地帯にある伯爵家に雇ってもらい、半農半騎士で楽しくやっているらしい。
この前来た手紙には『芋が食べ放題で幸せだ』と書かれていた。
次男のオスカー兄様は金勘定が得意……というか三度の飯より好きなので大商会に就職した。
将来は独立して自分の商会を持つと豪語している。
子供の時からゴマすりも的確だし、危険察知能力も人一倍あった。
あれは放っておいても勝手にうまいこと生きていく人間なので、彼については以上。
三番目に生まれた長女のビアンカ姉様は美人だ。
わたしもまあまあ美少女であると自負しているが、姉様はレベルが違う。
現在十四歳にして美女の域に入りかけている。
おそらく、この先には傾国という称号しかない。
というわけで使用人を含めた家族全員の意識の共有のもと、他人に目を付けられないよう自衛のために引きこもっている。
護衛を雇えない我が家では、これは正しい対処だ。
十六歳くらいになったら親戚縁者に相談して、危なくない婚姻相手を探そうという話になっているが、そんな相手がうまいこと見つかるといいなあ。
もしも見つからなければ修道女になる覚悟らしいが、傾国級美女の安全性を確保してくれる修道院なんてあるのかしら?
とにかく、彼女は引きこもってはいるが将来どこへ嫁いでも困らぬよう、母が淑女教育を施し、家事についてはメイドや料理人に教わってきた。
外出を控えているから、運動のために積極的に掃除をするので家の中はいつもきれいだ。
姉様のおかげで使用人の人数も抑えることができている。
美人すぎて働き者の、自慢の姉だ。
四番目で三男のダミアン兄様は、めちゃくちゃ勉強が出来る。
我が家でただ一人、貴族学園で学んでいる。しかも奨学生だ。
我が家から学園までは歩いて行ける距離なので、徒歩通学している。
奨学生は食事付きで寮費が無料なのだが、兄様の事前調査によれば万一高位貴族に目を付けられると大変なことになるらしい。
うちが寄付しているから奨学金が出るのだと難癖をつけて、課題をさせられたり、使い走りをさせられたりするという。
試験前に学友に指導してくれと泣きつかれ、結局は自分の成績を落として奨学生の立場を失った先輩もいるとか。
冗談じゃない、時間は有限なのだからまずは自分のために使いたい、という兄様。
友達はいなくてもいいのか、と心配されそうだが飛び級もしているし、話の合う同級生がそもそもいない。
将来は研究職に就きたいという希望なので、きっとその時が来れば研究仲間が出来ることだろう。たぶん。
そして、末っ子、五番目で次女のわたし。
十歳にして基礎教育を終えているわたしは、実は転生者である。
わりと設定が適当なこの異世界で楽しく人生を送っている所だ。
一年ほど前、ひょんなことでテニッセン侯爵様と知り合った。
そのご縁でまさに今現在、侯爵夫人と一緒に小物の試作品を作っている所だ。
場所は侯爵邸の離れにある作業場である。
リメイクのアイディアを出し合う中で、小さいモチーフをあらかじめ作っておいて、たくさん縫い付けたら可愛いんじゃないかという話が出た。
同じ型で花とかリボンとかを作っておけば、すぐにデコレーションに使えて便利だ。
端切れの有効活用になるし、モチーフを作るだけなら作業場所が狭くても大丈夫。
お小遣いを稼ぎたい奥様がたの、秘密の内職にぴったりだ。
うちの母も、家事の隙間時間に作業してへそくりの足しにしている。
今は奥様がたへの外注で作ってもらったモチーフを、シンプルな帽子やバッグの表面に並べてみているところだ。
「まあ、お父様がお仕事を失ってしまわれるかもしれないのね。
それは、家族の皆様もご心配ね」
十五歳と十二歳の息子二人を育てている母親とは思えないほど、可憐で若々しい侯爵夫人が同情してくださる。
「働きづめだった父に、少し休む時間が出来たのはいいことなんですけど」
父は家で読書したり、近所をのんびり散歩したりしている。
『あら、ウルリヒ家の旦那様、今日はお休みですか?』
なんて近所の人に訊かれると明るく応えていた。
『いやあ、ちょっと謹慎処分になってる最中でして、ははは』
『まあ、大変そうですねえ』
『そのうちなんとかなるでしょう、ではごきげんよう』
こんな感じで父が深刻そうに見えないものだから、ご近所さんもたいして暗い気分にはなっていないと思う。
わたしはまだ子供だけれど、こうして侯爵夫人のお手伝いをすることで稼ぎ始めている。
ちょっとは家計を助けられるはずだ。
「もし、お家賃が払えなくなったら、うちにいらっしゃい。
お部屋なら余っているから」
「ありがとうございます」
十歳の小娘の唯一と言っていい伝手が、社会的に信用の篤いテニッセン侯爵家という幸運。
引き合わせてくれた遠縁のジギスムント兄様に感謝である。
実際、侯爵家に助けを求めるかどうかは状況次第だが、いざとなったら頼れる先があるというのは実に心強い。
「グレーテルだけなら、わたしの侍女としてすぐに雇いたいわ」
同じテーブルについて、色味をあれやこれやと組み合わせていたロスヴィータ様が言ってくださる。
わたしの遠縁にあたるジギスムント・フーゲンベルク伯爵令息、脳内通称ジギー氏の婚約者である。
件の二人は少々時間はかかったが、無事婚約した。
貴族学園で同じ学年だった彼らは、クラブ活動などで交流があり、双方憎からず思っていたのだ。
しかし、婚姻相手としては見た目も家柄も優良すぎるジギー氏はちやほやされすぎてきたせいで、自らが告白に至るまでの地図が白紙の人だった。
そうこうするうちに卒業して接点が減り、ただただモダモダしていたのだ。
わたしを使って年下趣味を演じ、数多の求婚令嬢たちとの婚約話を回避するという阿呆な作戦と並行して、彼は探し物をしていた。
その探し物とはあろうことか『ロスヴィータ嬢に似合う最高のプレゼント』であった。
最高のプレゼントってなんだ? と思い、詳しく聞いてみた。
なんか子供の頃に読んだ本に書かれていたことを、ずっと心の奥で大事にしてきたという話だった。
本人は素敵なコイバナのように思っているらしいが、冗談としか思えない。
通常、プレゼント探しというものは相手をよく知ってから始めるのが基本中の基本。
これだから、生まれついてのお金持ちは困るのだ。
思ったことが努力なしに、だいたい叶ってしまうという育ちはまことによろしくない。
もう少しで、本当に大事だと思っていたものを永遠に逃してしまったかもしれないのだ。
貧乏な我が家なら、子供たちは誰もが無駄金になるだけのプレゼントなど用意しない。
考えて考えて考え抜いてから買うのだ。
あと、作れるものは作るし、お手伝い券も家庭内では有効である。
話がそれた。
ともかく、呆れたわたしは我が家で彼の所業をばらした。
すると、ダミアン兄様が動いた。
テニッセン侯爵様のくださったパウンドケーキにいたく感銘を受けていた彼はジギー氏のためではなく、侯爵様の姪だからという理由でロスヴィータ様のために動いたのかもしれない。
頭のいい兄様はわかりやすい言葉で、丁寧に彼の行動の間違いを指摘した。
ジギー氏もそこまで捻くれた人物ではないから、理解した後は素直にアドバイスを受けた。
ダミアン兄様の頭の良さは親戚中が認めていることもあり、ジギー氏は七歳も年下の兄様を人生の師と定めた感すらある。
ジギー氏は今までの行動を正直に述べ、ご両親に謝った。
ロスヴィータ嬢にも謝った。君を思うあまりに道を間違えたと素直に。
もともと彼に気持ちのあった彼女も、素直な気持ちを打ち明けた。
両想いの二人は晴れて婚約したのだが、周囲はモジモダカップルを甘やかさない方針だ。
ジギー氏は後継者としてギチギチのスケジュールで再教育中。
片やロスヴィータ嬢は行儀見習いとしてテニッセン侯爵家に預けられ中である。
「グレーテルはわたくしのビジネスパートナーですもの。
あなたの侍女にはさせなくてよ」
侯爵夫人はやわらかさの中にも厳しさのある口調で、ロスヴィータ嬢を諭す。
「頼れる侍女がいれば心強いでしょうけれど、人任せはだめよ。
自分で判断すべきことは何なのか、周囲にどういうタイミングで頼るのか、まだまだお勉強しなくてはいけない課題はたくさんあるわね」
「……はい、叔母様」
財政が豊かで国内での影響力も小さくない伯爵家の夫人となることは責任が重い。
有能な側近で周囲を固めれば大丈夫、ということではないのだ。
でも、周りのみんなは彼らを応援している。
めげずに頑張れば、いい未来が待っているはずだ。
そういえば、ダミアン兄様もジギー氏の側近にスカウトされたが即断った。
ジギー氏がショックを受けた様子が不憫だったのか、月一回くらいならアドバイスしてもいいということになったらしい。
兄様も頭脳は大人顔負けだが、見た目は十二歳の美少年である。
美男と美少年の背後に幻の花びらが舞うお茶会は、フーゲンベルク伯爵家のメイド諸君のいい目の保養となることだろう。
さて、無職となるかもしれない父だが、再就職先を探すわけにはいかない。
クビになる覚悟は必要なのだが、いまだ経緯が不明瞭で調査中なのだ。
「なんでこんなことになったのでしょう?」
ある夜、談話室でお父様に訊いてみた。
「最近になってから、部下たちが次々に仕事でミスをしてね。
そんなことをするような人たちではなかったから、おかしいと思って王城の調査部署に書類を提出したところ突然、謹慎の辞令が出たんだ」
「誰かが画策した、とか?」
「かもしれないが、いたずらに悩むより、専門家にお任せしたほうがいいだろう」
「お父様、落ち着いてるんですね」
「私のクビで部下たちの処分は無しにできそうだと考えてるからね」
「ということは、処分内容を自ら交渉するおつもりですか?」
「うん。粘っても仕事が滞るだけだろうし。
家族の迷惑も考えず、勝手に自分だけ覚悟を決めてしまっては、呆れられても仕方ないんだが」
「呆れるなんて、そんなことありません」
むしろ、お父様はカッコいいと思う。
「わたしは呆れるというより、惚れ直しましたわよ」
お母様が、真心こめた感想を言った。
お姉様はニッコリ笑いながら布巾の縁かがりをしていたし、お兄様は聞いていないふりで本を読んでいた。
まるでいつもと変わらぬ談話室である。
事件発生から二週間後、お父様は王城へ呼び出された。
調査の結果と、それに基づく処分決定が王城監査院で言い渡されるのだ。
いつもの出勤のように笑顔で見送り、平常のように一日を過ごした。
午後、メイドを手伝って買い物から帰ってくると、家の近くにテニッセン侯爵家の馬車が停まっている。
急いで玄関まで行くと、侯爵様と父がドアを潜るところだった。
「侯爵様、お父様」
「ただいま、グレーテル」
「これはグレーテル嬢、お邪魔するよ」
「いらっしゃいませ、侯爵様」
うちの談話室でお茶を飲む侯爵様。
高級なお召し物と簡素な調度。
質感のギャップが激しいが、侯爵様は案外、居心地が良さそうに見える。
母とわたしが同席し、経過と処分内容を聞いた。
「結局、上司のドライフース子爵が犯人だった」
「ドライフース? 学園に行っていた時に聞いた名前ね」
「私たちと同学年だよ。
彼も文官になったから、推薦を受けた私を妬んでいたらしい」
「あれから二十年も経っているのに、今頃?」
お母様が首をかしげる。
事の真相はこうだった。
もともと逆恨みしていたドライフース子爵は、ずーっとお父様を追い落とすことを計画していたらしい。
ところが、お父様が出世していないにもかかわらず、いくら頑張っても追い越せなかったらしい。
結局、お父様の上司になるまでに二十年かかってしまったのだ。
そうして苦労して得たチャンスだったのに、ドライフース子爵は十分に計画を練らず、失敗した。
彼の処分は一番下っ端に降格の上、相当な理由がない限り辞職が許されないというもの。ある意味、クビより厳しいかもしれない。
「監査院によれば、最初からドライフース子爵が怪しかったらしい。
それくらい杜撰だった。
だが、背後の人間関係がないか精査したかったので、私を謹慎処分にした」
監査院で、お父様に最初にかけられた言葉が『少しはリフレッシュできましたか?』だったとか。
「犯人も監査院も、なんて人騒がせな!」
憤るお母様に、お父様は告げた。
「この二週間は有給休暇として処理されたんだ」
「あら、そうなの? それならいいですけど」
なんて現金な。大事なことだけど。
「ドライフース子爵はね、君を慕っていたらしい。
君を私に奪われたと思いこんだ、その恨みもあったんだろうね」
「あら、わたし罪作りね」
侯爵様が吹き出した。
「そういえば、どうして侯爵様は父を送ってくださったんですか?」
「貴族院の役付として傍聴の権利があるからね。
グレーテル嬢の父上の件となれば、聞かないわけにはいくまい。
万一、クビが通達されたら、我が家にスカウトしようと思っていた。
だが、クビどころか出世を打診されていたじゃないか」
「断りましたけどね」
「あなたはいつもそうなんだから」
当たり前のように答える父に、苦笑いの母。
大人の会話に口を挟むのははばかられたので黙っていたわたしに、後から侯爵様が詳しく教えてくれた。
「君の父上は人を育てるのに定評があってね」
「人を育てる?」
「出世すれば部下が増えて目が行き届かなくなるから、丁度いい人数の面倒を見られる今の地位がいいそうだ」
「そんな我儘が王城で通るんですか?」
「それくらい人育てが評価されているんだ。
彼の部下だった人間は、他の部署へ移ってもいい仕事をするので、その我儘が通ってる」
「お父様、すごい!」
「あの親にしてこの子あり、というところだな」
「お褒めに与り光栄です」
「では、またな」
「はい、侯爵夫人にもよろしくお伝えください。
今日はありがとうございました」
夕陽の中、立派な馬車が動き出す。
その影が角を曲がっていくのを、わたしは幸せな気持ちで見送った。




