後白河法皇被害者の会
これは、後白河法皇によって人生を大きく狂わされた人々から、匿名で証言を集めた記録です。
匿名性には最大限配慮しています。
ただし、発言内容から誰であるかが分かってしまう場合については、当方では責任を負いかねます。
*
●証言者① かつて院を擁立した学者
――まず、院の長所をお聞かせください。
「あの方の長所ですか」
(地の底から聞こえるような、かすかな笑い)
「二つだけございます。一度思い定めたことを、世のしきたりにも人の諫めにも屈せず、最後までやり通されること。そして、一度耳にしたことを、何年が過ぎてもお忘れにならぬこと」
――優れた君主の資質にも聞こえます。
「普通の君主ならば、欠点に数えます」
――欠点。
「退くべき時にも退かず、忘れるべき恨みまで忘れぬ、ということですから」
――では、なぜ長所として。
「ほかに褒めるところがございませんでしたので」
(燈火が、風もないのに細く揺れる)
「本来、あの方は表へ出ず、御所の奥で今様でも歌いながら、生涯を終えるはずだったのです。政務に秀でているわけでもない。学問があるわけでもない。人の心を推し量る力など、なおさらない」
――ずいぶんな評価ですね。
「私ほど、あの方を正確に見ていた者はおりません」
――その御方を帝位へ据えたのは、あなたでは。
「だから悔いておるのです」
(声は静かだが、柱の陰が一つ増えたように見える)
「勘違いなさらぬよう。私は、あの方ご自身に天下を動かす才があると思ったわけではない。才がないからこそよいと思った。私が政を整え、私が方角を示し、あの方には王の形だけを担っていただく。そう考えたのです」
――ご自身の手で動かせる、と。
「その言い方は好みません」
――失礼しました。
「……否定もしません」
(長い沈黙)
「私は一つ、見誤った。あの方は、自ら道を選べぬ御方ではなかった。道というものを必要となさらぬ御方だったのです」
――実際には。
「方角を示した者が死んでも、あの方は、歩むことだけはおやめにならなかった」
――あなたの死後、院はあなたの旧宅があった場所へ移られました。
「存じております」
――さらに、あなたを死へ追いやった男の屋敷まで、そこへ移したそうです。
(部屋の温度が、急に下がる)
「死者にも耳はある」
――院は、どのようなお考えで。
「考えておられぬのだ」
――悪意ではなく?
「悪意であれば、まだ救いがありました。恨みならば、祟る相手も定まる」
――ご自身と、その男との関係をご存じなかったのでしょうか。
「ご存じであったはずです。あの方は一度耳にしたことを忘れぬ。それが、数少ない長所なのですから」
――では、なぜ。
「記憶していることと、その意味が分かることは、別なのでしょう」
(どこからともなく、土の匂いがする)
「私は生前、あの方には二つだけ優れたところがあると申しました。今なら、三つ目を加えます」
――何でしょう。
「人の死後も不愉快にさせる能力です」
――それは、どういう。
「私が死んでも、あの方の中では何一つ終わらなかった。私の政も、私の敵も、私の屋敷も、すべてまだ使えるものとして残った」
――あなたは、院をお恨みですか。
「恨んでおりますとも」
(声が、耳元と床下から同時に聞こえる)
「けれど、あの方を世へ出した者は私だ。ゆえに、あの方が人を迷わせるたび、私もまた少しずつ、その罪を負う」
――悔いている、と。
「悔いているから、ここにいるのです」
――ここに?
「まだ、お分かりにならぬか」
(この時点で、証言者の足元に影がないことに気づいた)
*
●証言者② かつて院と天下を二分した武家
「院は、情のない御方ではなかった」
――意外なお答えです。
「平家が滅びた後、建礼門院のもとへ突然お出ましになったそうだ。安徳天皇と一門の最期を聞き、涙を流されたという」
――平家を滅亡へ追いやった御方が?
「そうだ」
(しばらく黙った後、困ったように笑う)
「だから、あの方は分からぬのだ」
――偽りの涙だったと。
「いや。おそらく、本当に悲しかったのであろう」
――では、なぜ平家を救わなかったのでしょう。
「それが分かれば、こちらも苦労はしておらぬ」
(しばしの沈黙)
「院は、その時その時には本気なのだ。こちらを頼る時も、褒める時も、疑う時も、奪う時も、滅びた後に泣く時も」
――一貫性がない。
「違う。あの方の中では、すべてがその都度、真実なのだ」
――同じことでは。
「違うと言っておる」
(珍しく声を荒らげる)
「一貫性がない者なら、昨日のことを忘れている。あの方は忘れぬ。忘れぬまま、今日は今日で別のことを本気でなさる。昨日こちらへ下さった言葉も、今日こちらを疑ったことも、明日こちらを哀れんで泣くことも、あの方の中では何一つ打ち消し合わぬ」
――理解しがたいですね。
「左様。私も、途中までは分からなかった」
――途中まで。
「初めは、ただの扱いやすい御方と思っていた」
――扱いやすい。
「兵はない。政務は人に任せる。遊び好きで、今様と仏事に夢中になる。こちらが御所を支え、儀礼を整え、皇子の立場を固めて差し上げれば、互いに都合よくやれると思った」
――実際、長く協力関係にありました。
「長かった。長かったゆえに、気づくのが遅れた」
――何にです。
「こちらは、あの方を弱いと思っていた。あの方も、弱いふりをしていたのではない。実際、兵もなく、家人も少なく、何度も押し切られた」
――では、見立ては正しかったのでは。
「ところが、押し切られたことを、あの方は終わったことにせぬ」
――恨みを忘れない。
「それだけではない。普通は、負ければ次は勝とうとする。あの方は勝ち負けの勘定をしておらぬ。今日退いて、明日別の場所から手を出し、十年後にまるで今思いついたような顔で返してくる」
――規格外だった、と。
「規格というものの外にいた」
(深く息を吐く)
「こちらは、院もいずれは一つの家、一つの血筋、一つの政の筋道に収まると思っていた。娘を入内させ、皇子を立て、王家と平家が結びつけば、それで枠ができるとな」
――しかし。
「建春門院がおられなくなって、初めて分かった。あの御方をこちら側へ繋いでいたのは、制度でも恩義でもなかった。あの女人一人だった」
――某殿も、そこまで気づいていなかった。
「気づくものか」
(苦笑する)
「何十年も付き合って、ようやく『これは我らと同じ物差しで測ってはならぬ』と分かった頃には、こちらも引き返せぬところまで来ていた」
――鹿ヶ谷の件も、治承三年の政変も、その結果でしょうか。
「こちらはこちらで、必要と思うことをした」
――院を幽閉しました。
「した」
――それで、院を抑えられたと?
「……あの時は、そう思った」
――実際には。
「牢へ入れれば止まる相手だと思ったのだ」
(しばらくして、呆れたように笑う)
「まさか、兵も領国も持たぬ老人一人を閉じ込めたところで、天下の方が勝手に動き続けるとは思わぬではないか」
――院が動かしたのでしょうか。
「それが分からぬから、始末に悪い」
――あなたは、院を信じていたのでしょうか。
「信じてはおらぬ」
――本当に?
(沈黙)
「……少なくとも、こちらの作った枠の中にいると思っていた」
――それは、信じていたのと同じでは。
「違う」
――違いますか。
「違うと言っておる」
(証言者はしばらく黙った後、小さく付け加えた)
「何十年も付き合って——私は最後まで、あの方が何者なのか知らなんだ」
*
●証言者③ 院政を日記に記し続けた公卿
――院について、率直なご感想を。
「質問が漠然としております」
――では、政務における院の問題点を。
「問題点という表現も適切ではありません。問題とは、規範からの逸脱を指します。しかし院の場合、規範そのものを必要に応じて変更なさるため、逸脱か否かを判定する前提が成立しません」
――簡単にお願いします。
「先例が通じない」
――なるほど。
「ただし、先例をご存じないわけではない。ご存じのうえで、ご自身の目的に合わぬものを採用なさらない」
――では、専制的な君主だったのでしょうか。
「それほど単純なら、まだ対処のしようがございます」
――と申しますと。
「院は人の意見をお聞きになる。評定も開く。公卿に諮問し、文書を読ませ、裁許を下される。形式だけを見れば、きわめて丁寧です」
――良い政治では。
「意見を聞いた後に、まったく別の判断をなさることがございます」
――なぜ聞いたのでしょう。
「私が知りたい」
(無表情)
「院の御前で政務を論じる際、我々は法、先例、道理、家格、世評を順に申し上げます。院はそれを最後までお聞きになる。そして『よく分かった』と仰せになる」
――理解してくださる。
「その翌日、すべてを無視した裁許が下ります」
――忘れたのでは。
「院は記憶がよろしい」
――では、なぜ。
「私が知りたいと申しております」
(記録をめくる音が、少しだけ速くなる)
「また、院は政務と儀礼と見物と処罰を、我々のようには分けてお考えにならぬ。罪人を裁くだけでは足りず、誰が上で誰が下であるかを洛中の人々に見せる。仏事を行うだけでは足りず、御自身がその中心に立つ。大仏の開眼すら、足場が崩れると皆が止めるなか、自ら筆を執られる」
――勇敢ですね。
「そう記録することも可能でしょう」
――実際には?
「事故が起きた場合、誰が責任を取るのです」
――院では。
「取られません」
――即答ですね。
「院が責任を取るという先例を、私は存じません」
――経宗・惟方の屋敷に板を打ち付けさせた件については。
「都市空間を利用した、きわめて象徴的な処罰です」
――感情的な復讐にも見えます。
「私は、そのような言葉を用いてはおりません」
――では、どう記録しますか。
「非常の沙汰。希代の事。天下のため嘆かわしきこと」
――それは感情では。
「記録上の評価です」
――院をお嫌いだったのでしょうか。
「政務を担う者に、好悪は不要です」
――本当に?
(沈黙)
「院の御所へ参るたび、今日は何が昨日までの前提であり、何が既に失効しているのかを確認せねばなりませんでした」
――大変ですね。
「大変、という語では足りません」
――では、どのように。
「私の職分は、朝廷の政を整え、院の御意を制度の言葉へ移し替えることでした」
――重要なお役目です。
「しかし、移し替えた途端に御意が変わる」
――また直せばよいのでは。
「直した後に、最初の御意へ戻る」
――さらに直す。
「その間に別の訴えが入り、別の近臣が叙任され、別の寺社から強訴が来る」
――お気の毒です。
「お気の毒で済ませないでいただきたい」
(初めて、わずかに声が上ずる)
「私は摂政となり、内覧となり、天下の政を預かりました。しかし、院がどこまでを私に任せ、どこからを御自身で動かされるのか、その境は最後まで定まらなかった。後世の者は、なぜ止めなかった、なぜ従った、なぜ責任を取らなかったと申すでしょう」
――実際、その点をお聞きしたいのですが。
「私が知るか」
――え。
「……失礼」
(咳払い)
「私の関知し得ぬところで院宣が出され、私の与り知らぬ人事が進み、結果だけが朝議へ持ち込まれる。さすがに、すべての責任までは持てません」
――かなり率直になりましたね。
「記録には残さないでください」
――すでに記録しています。
(長い沈黙)
「では、『予、不知』としておいてください」
(また長い沈黙)
――官人は、規則に従って働くものですものね。
「違います」
――では。
「規則が、院に従って働いていたのです。そして、その規則を整えた責任だけが、なぜかこちらへ来る」
*
●証言者④ 東国に幕府を開いた武家の棟梁
――院を「日本一の大天狗」と評したという話があります。
「その言葉ばかりが一人歩きしているようだな」
――事実ではないのですか。
「院を評した一言が残ったところで、あの御方を御せたことにはならぬ」
――御するつもりだった?
「京の朝廷と話をつけねば、東国の政は立たぬ」
――では、あなたにとって院はどのような存在でしたか。
「京にある関所だ」
――以前は天候と。
「天候では甘い。雨は文句を言っても院宣を出さぬ」
――関所。
「通らねば先へ進めぬ。だが、通行の条件が日ごとに変わる。昨日は馬一頭でよいと言い、今日は所領を一つ出せと言い、明日にはそんな約束はしていないと申される」
――院宣が信用できない?
「信用できぬのではない。その時点では本物だ」
――後から変わる。
「左様」
――義経に、あなたを追討する院宣を下した件については。
「その話は後でよい」
――また避けますね。
「避けてはおらぬ。物事には順序がある」
(机上の文書を、きっちり端まで揃える)
「院は、こちらが京を攻めぬと知っておられた。東国から院を廃することもできぬと知っておられた。ゆえに、こちらが怒っても最後には交渉へ戻ると見ておられた」
――かなり正確な理解です。
「あの御方は、人の心が分からぬと言われる」
――違うのでしょうか。
「近くにいる者の心は分からぬのであろう。遠くにいる者の利害は、妙によく見ておられた」
――あなたのことは理解していた。
「理解というより、値踏みだ。こちらが何を欲し、どこまで耐え、何をされたら兵を動かすか。その境目だけは測っておられた」
――では、策略家だったのですね。
「そう決めつけるのも早い」
――なぜです。
「測っていたのか、毎度たまたま限界の一歩手前へ足を置く御方だったのか、最後まで分からなかった」
――恐ろしいですね。
「だから私は、院の御心を読もうとはしなかった」
――では、どう対処を。
「文書を残した」
――文書。
「誰が、いつ、何を申し、何を認めたか。院宣だけでは足りぬ。公卿の議、奏聞の次第、使者の言葉、すべて形にする。あの御方の御心は変わる。だが、形にした手続は、後からこちらの足場になる」
――かなり執念深い。
「用心深いと言え」
――京へ兵ではなく文書を送り続けたのも、そのためですか。
「兵で院を屈服させれば、明日から朝敵だ。文書で院に認めさせれば、明日から官軍になる」
――会って話せばよかったのでは。
「会えば、あの御方の話に巻き込まれる」
――どのような話でしょう。
「今様、寺社、近臣の訴え、荘園の争い、昔の恨み、その場で思いついた人事。こちらが東国の仕置を申し上げているうちに、なぜか別の者の所領が決まり、最後には大仏再建の費用を出す話になっている」
――それでも最終的には、守護・地頭の設置を認めさせました。
「院が認めたのではない。院が認めたと言える形を整えた」
――同じでは。
「まるで違う」
――あなたは院に勝ったのでしょうか。
「勝ち負けで考えるから間違える」
――では。
「院が生きている間、私は院をなくせぬ。院もまた、私をなくせぬ。互いに相手を残したまま、自分の欲しい形を取る。それだけだ」
――義経追討の院宣について。
「後でよいと申した」
――もう終盤です。
(長い沈黙)
「九郎は、戦場では人の思わぬ道を行く。だが、政では人の言葉をそのまま受け取る」
――院に利用された。
「院も、九郎なら兄を討てると本気で思ったのであろう」
――では、院にも責任が。
「ある」
――兄君にも?
「ある」
――義経本人にも?
「ある」
――ずいぶん公平ですね。
「責任を分けねば、後始末ができぬ」
――では、誰の責任が最も重いのでしょう。
(証言者は、少しだけ眉をひそめた)
「弟が愚かだった」
――やはり、そこへ戻るのですね。
「身内の始末は、身内がつける」
*
●証言者⑤ 院に取り立てられた武将
――院について、どのような御方だったとお考えですか。
「ええお方だったべ」
――即答ですね。
「おらを取り立ててくださったからなあ。官位もくださったし、よう働いたって褒めてくださった」
――兄君の許可を得ずに官位を受けたことが、対立の原因になったともいわれます。
「んだども、院さまがくださるって言うものを、いらねえって言うのも失礼だべ」
――兄君は怒りました。
「兄上は昔っから、おらにちっと厳しかったからなあ」
――少し、でしょうか。
「少しだべ」
――院はあなたに、兄君を追討するよう命じましたね。
「院宣をくださった」
――従おうとしました。
「院さまのお言いつけだからなあ」
――その後、院は兄君にも、あなたを追討する院宣を与えています。
「……んだの?」
――ご存じなかった?
「知らねがった」
(しばらく考える)
「でも、院さまにも何か考えがあったんでねえかな」
――どのような。
「おらと兄上が仲直りするように、とか」
――追討の院宣を双方に与えて?
「どっちも頑張れってことだったかもしれねえべ」
――本気で言っていますか。
「院さまは、おらに優しかったからなあ」
――ほかの証言者は、院によって人生を狂わされたと述べています。
「それは気の毒だなあ」
――あなたも、その一人では。
「……」
(しばらく黙る)
「おらは兄上に追われたんであって、院さまに追われたわけでねえべ」
――追われる原因を作ったのは。
「兄上、まだ怒ってるべか」
――おそらく。
「困ったなあ」
(証言者は、その後しばらく兄君への言い訳を考えていた)
*
●証言者⑥ 身元不明の今様愛好家
(廊下の外から今様が聞こえてきて、やがて証言者が入ってきた)
――最後のインタビューになります。これまでの証言をお聞きになって、どう思われますか。
「皆、朕のことを随分と誤解しておるようだな」
――朕?
「信西は昔から理屈が長い。死んでからはいっそう陰気になった。清盛は何でも自分の枠へ入れたがる。兼実は責任という言葉を恐れすぎる。頼朝は文書を増やしすぎる。九郎は――」
――お待ちください。あなたは、どなたですか。
「九郎は素直でよい子であった」
――後白河法皇ですね。
「その呼び方は好かぬ」
――ここは、あなたの被害者の証言を集める場です。
「被害者?」
(心底、不思議そうな顔)
「余は皆に、望むものを与えたではないか」
――信西には政務を。
「好きなだけさせた」
――清盛には官位と権勢を。
「太政大臣にまでした」
――兼実には摂政・関白の地位を。
「望んでおったであろう」
――頼朝には守護・地頭を。
「最後には認めた」
――義経には官位を。
「たいそう喜んでおった」
――その結果、全員の人生が大変なことになりました。
「それは、その者らの都合であろう」
――義経に院宣を与えた件については。
「そういえば大仏の開眼の時な」
――え。
「あの足場な。皆が止めるから朕が自ら登ったのだが、上から見た京の広かったこと。朕自ら開眼の儀を行なって、結果、聴衆も大喜びであったではないか」
――話が変わっています。
「変わっておらぬ。九郎も喜んでおったではないか、あの日」
――九郎殿や皆に対してあなたに責任はないと?
「朕も随分と苦労した」
――どのあたりが。
「信西は勝手に死ぬ。清盛は朕を閉じ込める。兼実は日記に悪口を書く。頼朝は何度呼んでもなかなか上洛せぬ。九郎は負ける」
――被害者は自分だと。
「左様」
――皆、あなたの考えていることが分からなかったそうです。
「聞けばよかったではないか」
――聞いても分からなかった、と。
「では、見ればよかった」
――何をです。
「朕が何をしておるかを。歌い、祈り、裁き、人を集め、皆の前に立つ。言葉で分からぬなら、姿を見ればよい」
――それでも分からなかったそうです。
「では、歌えばよかった」
――今様を?
「言葉で通じぬなら、歌しかあるまい。歌うことが、朕の政だ」
――そういう問題でしょうか。
「そなた、歌はできるか」
――できません。
「では話にならぬ」
(証言者は立ち上がり、勝手に退出しようとする)
――最後に一つだけ。あなたは、ご自身の行為によって時代が変わったと思いますか。
「時代?」
――あなたの治世を経て、武家政権が成立し、日本は中世へ入ったと。
「朕は、その時々に必要なことをしただけだ」
――後悔は。
「ある」
――何でしょう。
(法皇は足を止めた)
「もっと今様を習っておけばよかった」
――政治については。
「それは皆が勝手にしたことであろう」
(ここで証言者は、誰も頼んでいない今様を歌い始めたため、聞き取りを終了した)
*
●聞き取りを終えて
証言者たちの評価は、最後まで一致しませんでした。
信西は、後白河を「自分が扱えると思って世へ出し、その誤りを死後まで悔い続ける暗主」と語りました。
平清盛は、「長年そばにいながら、既存の権力の枠に収まらぬ相手だと気づくのが遅れた」と告白しました。
九条兼実は、院の政治を制度上の異常として冷静に記録しながら、最後には「さすがに私がすべての責任を持てるわけがない」と述べました。
源頼朝は、院の心を読むことを諦め、院宣・議奏・手続・文書を積み上げることで、その予測不能さに対抗しました。
源義経は、最後まで「ええお方だった」と証言しました。
そして後白河本人は、自分こそが周囲に振り回された被害者だと信じていました。
誰の証言が正しいのかは、分かりません。
おそらく、すべて正しいのでしょう。
後白河は、人の心を理解しなかったのかもしれません。
あるいは、人の心を理解することと、人を動かすことを、まったく別のものとしていたのかもしれません。
政務の才や徳治によって人を従えたのではない。歌い、祈り、裁き、見せ、噂を生み、時には誰より高い足場へ自ら登ることで、王であることを表現し続けた。
その人物を中心に置いたことで、周囲の全員が、自分の行動を変えざるを得なくなりました。
かくして、御所の奥で今様を歌って生涯を終えるはずだった一人の皇子は、信西を死後まで悔ませ、清盛を最後になって驚かせ、兼実に「私が知るか」と言わせ、頼朝を稀代の文書魔にし、義経を最後まで勘違いさせました。
その結果、日本には武家政権が生まれ、中世が到来しました。
後白河法皇は、最後までその因果を理解していなかったものと思われます。
あるいは、理解する必要を感じていなかったのでしょう。




