出勤のち有休、ときどきひよこ
――願えば叶うと言うけれど。
『出勤のち有休、ときどきひよこ』/未来屋 環
ドアを開けたそこに、後輩の雛田はいなかった。
――いや、正しく言うとするなら、そこに『人間』の雛田はいなかった。
その日、始業時間になっても雛田は出勤してこなかった。
「鷹野、雛田見なかった?」
木曜日の朝、そろそろ寿命が近いのか反応の悪いディスプレイを睨みつけていると、課長から声をかけられる。
雛田は同じ部署の2年後輩で、私は彼が入社した時の指導員だ。
――といってもそれももう3年程前の話で、今はラインも変わり仕事上の接点はあまりない。
それでもやけに人懐っこい雛田は、間違っても愛想がいいとは言えない私によく話しかけてくる。
「見てないですけど……寝坊でもしたんじゃないですか」
そう軽口を返しつつ、内心もやりとする。
一見軽い印象のある雛田だが、仕事をおろそかにするタイプでは決してない。
身体も丈夫で体調を崩すことなんてほとんどない――そんな雛田が連絡もなく会社に来ないなんて。
すると、課長が「鷹野」と続けた。
「悪いんだけど、雛田の様子見に行ってもらえない?」
「えっ」
予想外の発言に思わず声が出てしまう。
そういうのは雛田の上司である主任、鳥居さんの役割では。
その思考が思いきり顔に出ていたのか、課長が「頼むよ鷹野」と困ったように笑った。
「鳥居、お子さんがインフルエンザになっちゃったらしくてさ。俺もこのあとお客さんとこ行かなきゃいけないし、ここは元指導員ということで」
この通り! と手を合わせてくる。
こういうのは異性より同性が行った方がいいような気もするけれど、他に適役がいないのであれば仕方ない。
もし体調が悪くて動けなくなっていたり、事件に巻き込まれたりでもしていたら大変だ。
私は最低限の仕事だけ片付け、まだ朝の顔を残す街へと飛び出した。
――そして、冒頭の状況である。
玄関の真ん中には、ちょこんと一匹のひよこ。
黄色くてほわほわしていて、なんとも頼りないサイズの――いわゆる普通のひよこ。
ただ一般的なひよこと違うのは
「たかのせんぱい、きてくれたんですね!」
――そう、しゃべることである。
最初は目の前にいるひよこの声だと気付かなかった。
ただ、声の主を探して家中を探してみても、それらしき人影はない。
どこかに潜んでいるかも知れない虫などを除けば、この家にいる生きものは目の前のこれしかいないのだと認めざるを得なかった。
「――えーと……えっ? まさか……雛田?」
自分でもばかばかしいと思いつつ、玄関マットの真ん中にちょこんと座る黄色い物体に話しかける。
すると、ひよこはすごい勢いでぴょこぴょこうなずいた。
「そーです! ぼくです! ひなたです!!」
***
床の上にたたずむたかだか7、8センチ程度のかたまりとしゃがみ込んで話すのは、どう考えても首によろしくない。
この家の勝手もわからないので、一旦私はその雛田と名乗るひよこを自宅につれて帰ることにした。
「じっとしててね」
「はぁい!」
そんな元気な返事をしたにもかかわらず、ひよこはかばんの中でもぞもぞ動く。
周囲に不自然さを悟られないよう無表情を貫きながら、私は二駅隣にある家まで帰った。
課長になんと報告したらいいかわからず「なんか風邪で動けなかったみたいです」とだけ連絡を入れ、そのまま私も有休をもらうことにする。
何も知らない課長からは「はいよー」と軽い返事があった。
「せんぱい、おじゃまします!」
「せんぱい、おへやきれいですね!」
「せんぱい、ぬいぐるみすきなんですか!」
ぴよぴよとさえずるように、ひよこは色々と話しかけてくる。
改めてテーブルの上にいるそのひよこをじっと見つめると、彼は小首をかしげた。
「せんぱい、なんですか?」
「……いや、なんだかあまりにも現実味がないから」
あー、とひよこはうなずく。
「わかります、ぼくもまだゆめかとおもいますもん」
「なんでこんなことになっちゃったの?」
「わかりません、あさおきたらこうなってました」
ふしぎですよねぇ、そう言ったあと、ぴよりと鳴く。
「なんでひよこなのにしゃべれるの?」
「それもわかりません、でもそのおかげでせんぱいとおはなしできてよかったです」
そしてまた、ぴより。
なんだその申し訳程度のひよこ要素。
さてどうしたものか。
30年近く生きてきたけれど、後輩がいきなりひよこになるというのは生まれて初めての経験だ。
どうすればいいのか対処法がまったく思いつかない。
「あっ、もしかしてあれかなぁ」
「何か思い当たることでもあった?」
「きのうこうえんでひるめしたべてたら、からすがものほしそうにこっちみてたんです」
「あぁそう。で?」
「むししておむすびたべてたら、のこりはんぶんくらいのところでもってかれました」
「……」
「もしかして、からすなりのおむすびのおんがえしかなぁ」
どういう思考をしていたら、これが恩返しになるのか。
どちらかといえば呪いじゃないか。
すると、どこからかきゅるりと音が鳴った。
何だろうと不思議に思っていると、ひよこがうろうろし出す。
「……せんぱい、おなかすきました」
……まさかおなかが鳴る音だったとは。
このひよこのサイズであの音のボリュームは違和感があるけれど。
「あなた何食べるの? もしかして虫?」
そうつぶやくと目の前のひよこが「ひぇっ」とちぢみ上がる。
「いやっ、ふつうのごはんがいいです!」
ふつうのごはんと言われても、あいにく今は家にあまり食べものがない。
保存食を入れているラックからいくつか取ってテーブルに戻る。
「えっと、えびせんは?」
「うーん、おかしはちょっと」
「じゃあ、コーンスープ」
「もうすこしおなかにたまるものが……」
「それなら、チキンラーメンは?」
「と、ともぐい……!」
別にチキンラーメンにひよこが入っているわけでもなかろうに。
そんなしょうもない問答を繰り返し、最終的には冷凍パスタに行き着いた。
ひとまず一人分つくってテーブルに置く。
スーパーで安売りされていたミートソースパスタを混ぜ合わせると、食欲をそそる香りが立ち昇った。
「おいしそう……」
ひよこがうっとりした表情で言う。
1本のパスタをフォークで短く切り、お皿の上に並べた。
ひよこは「いただきまーす」と早速食べ始める。
身体も小さいしそんなに食べられないだろうとたかをくくっていたら、私が二口目を食べたところでつんつんと手の甲をつつかれた。
「せんぱい、おかわりください!」
「え、もう?」
確かに皿の上にはトマトソースの跡が少し残っているだけだ。
今度は2本、さっきより長めに切ったけれど、それもあっという間になくなった。
「よく食べるね」
少し感心しながらそう言うと、ひよこがえっへんと胸を張る。
いやいや、そこ別にいばるところじゃないから。
結局その身体のどこに入ったのかはわからないが、ひよこは冷凍パスタの3割程をたいらげた。
早めのランチを終えると早速やることがなくなってしまう。
さてどうしたものかと思っていると、ひよこが「せんぱいせんぱい」と話しかけてきた。
「せっかくおやすみとったんですから、せんぱいのすきなことしましょうよ」
「好きなことって……それより元に戻る方法探さなくていいの?」
「うーん、それもだいじですけど、まったくほうほうがおもいあたらなくて。ねたらあしたにはもどってるかもしれないし」
そんな適当な。
ただ、当の本人がこんな意識なのに、私が本気になるのもなんだかくやしい。
それでは、ということで街に出かけてみることにした。
電車にひよこを連れて乗るのはなんだか迷惑な気がして、一駅分歩いてみる。
この辺りは住宅街だからか、お昼時にもかかわらずあまり人気がない。
太陽の光がぽかぽか暖かくて、春の訪れを感じさせる。
「せんぱい、そとあったかくてきもちいいですね」
かばんの中からひよこが言った。
「何、そこにいてもわかるの?」
「わかりますよ。なんだかはるってかんじです」
「春、ねぇ」
年度末はバタバタしていて、季節を感じる余裕すらなかったように思う。
そういう意味では、予期せぬものだったけれど有休を取れてよかったのかも知れない。
そんなことを考えながら、たまにひよこと会話を交わしつつ、私はお目当ての場所にたどり着いた。
「ほんやさんですかぁ」
かばんの中からぽそりと声が届いたので、私は「静かにしててね」と上からタオルをかける。
かばんの口を閉じてしまったら、ひよこが窒息してしまいそうだからだ。
すると「了解」とでも言うように、かばんがもぞもぞ動いた。
駅直結のショッピングセンターに入る本屋は、週末いつも混んでいる。
絵本をつかんで動かない子どもに困り顔のお母さんや、漫画の立ち読みに耽る中学生、雑誌の付録で盛り上がる女子高生に、文庫本を片っぱしから精査しているおじさん。
にぎわいを見せる店内になんだか気後れして、いつもはゆっくりと本を見て回ることができなかった。
だから、適度に空いた今の本屋は非常に居心地がいい。
せっかくなので、普段あまり見ない雑誌コーナーから順繰りに巡る。
ぱらぱらとページをめくるだけで、なんだか楽しかった。
最近全然買っていなかったけれど、たまには何か買ってみようか。
続いて文庫本コーナーへ。
面白そうな作品が所狭しと並べられている。
お財布と相談しつつ、気になったタイトルのものを2冊選んだ。
お隣の新書の棚を眺めると、少し前に話題になっていた本を見つける。
えい、これも買ってしまおう。
最後に漫画の新刊を覗きに行く。
買い溜めていたシリーズの見慣れない表紙を発見し、これは持ってないなと手に取った。
そのあとお目当ての新刊を1冊追加し、レジに並びながら腕時計を見ると、もう14時になっている。
そんなにゆっくりしていたつもりはなかったけれど、本屋では時間が倍速で進むのだろうか。
「4,800円になります。袋はいかがいたしますか?」
「あ、かばんに入れて帰るので結構です」
結構いったなぁ、そんなことを思いながら本を受け取ってかばんに入れた。
「むぎゅ」
……むぎゅ?
何の音だろうと思ったところで、かばんの中にいるものの存在を思い出し瞬時に青ざめる。
私は慌てて人気のない方へと走った。
トイレの入口に近いベンチの上で本を取り出しながら「ごめんごめんごめんごめん」と呪文のように唱える。
ドキドキしながらかばんに手を突っ込むと、ふわりとした毛の感触があった。
「あーびっくりした」
ひよこの声がする。
どうやら無事だったようだ。
そっと取り出してみると、ひよこは五体満足でぴよぴよしている。
「ごめん、大丈夫?」
「はい、なんとか! ぼく、すばやいので!」
えっへんと胸を張ってみせるひよこに、今度は「さすがだね」と称賛を送った。
「つぶれなくて本当によかった。何かお詫びをしたいんだけど」
「えっ、そんなおきづかいなさらず」
「でも、私ばっかり楽しんじゃったし」
「うーん、そうですか……」
ひよこはしばらく考えごとをしていたが、何かひらめいたように「あっ」と声を上げる。
「せんぱい、あれがたべたいです!」
そして、私たちは一番上のフロアにあるアイスクリーム屋にやってきた。
子どもの頃はよく来ていた気がするけれど、随分久し振りだ。
カラフルなディスプレイをながめてひよこのリクエストフレーバーをオーダーする。
受け取ったアイスカップの中には、目にも鮮やかな水色にチョコチップが散りばめられていた。
「すきなんです、ちょこみんと!」
「そうなんだ」
あまり人のいないフードコートの端の席で、ひよこをテーブルの上に取り出す。
ちょこんと座ったひよこは一見ぬいぐるみのようだ。
餌をあげるような要領で食べさせていると、ひよこは「つめたっ」「あまーい」「たまらん」などと言う。
「そんなにおいしいの」
「おいしいですよ。せんぱいたべたことないんですか?」
「うん、歯磨き粉みたいな味って聞くし」
「それはじんせいのはんぶんそんしてますね」
「余計なお世話だなぁ」
ただ、こういう機会でもないと確かに食べないだろう。
私はもうひとつのスプーンで一匙アイスをすくい、口に入れた。
爽やかなミント味のあとに、ほのかなチョコの甘みが広がる。
「せんぱい、どうですか?」
……もう一口食べてみるか。
「ね、せんぱい。おいしいでしょ?」
……ためしに、もう一口。
「せんぱーい?」
「……まぁ、悪くないかな」
「すなおじゃないなぁ」
そう言ってひよこが身体を揺らす。
どうやら笑っているようだ。
その様子を見ていたら、なんだか私も楽しくなってくる。
「あっ、せんぱいわらった!」
「何、笑っちゃだめなの?」
「とんでもない、もっとわらってください。ぼく、せんぱいのえがおがすきなんです!」
どさくさにまぎれて一体何を言い出すんだろう。
それすらおかしくて、私は笑いを抑えられなくなる。
人気の少ないフードコート、溶けかけたチョコミント、そして笑うひよこと私。
これはこれで、まぁいいのかも知れない。
そのあと普段近付かないデパ地下に立ち寄り、少しだけ高級なお弁当とサラダを買って家路に着いた。
外がまだ暖かいので一駅散歩しながら帰ろうとしたところで「せんぱい」と肩の上のひよこが言う。
「きょうはたのしかったです、またでーとしてください」
「デートも何も、私の買い物に付き合ってもらっただけでしょ」
「いえ、りっぱなでーとです!」
ふふん、とひよこが胸を張った。
その得意げな様子に思わずまた笑ってしまう。
なんだか今日は笑ってばかりだ。
「おべんとうたのしみです!」
「本当よく入るね」
そんな軽口を叩きながら帰宅、ごはんを一緒に食べる。
ひよこは楽しみだと言っていたお弁当を半分くらい平らげた。
てりてりと輝く鰆の西京焼きは半分こ、ぷりぷりと光るこんにゃくの煮物は喉に詰まらせそうなのでおあずけ、その代わりかりかりに揚がった大学芋は少し多めに。
「うまうま」とおいしそうに食べる様子を見ていると、なんだか私もいつもよりおいしく感じてくる。
まぁ、デパ地下のお弁当だからそりゃおいしいか。
念のためサラダも買っておいてよかった。
紅色が鮮やかななんらかの野菜をぱりりと噛んでいると、ひよこが「ごちそうさまでした!」と元気に声を上げた。
「せんぱい、いっしょにてれびみませんか? おもしろいやつ」
「別にいいけど……普段ニュースしか観ないから何が面白いかわかんない」
「ちょっとりもこんかりますね」
ひよこがリモコンの上によいしょっと乗っかる。
そしてぴょんと跳んで電源を入れた。
続いてチャンネルボタンの方に移動し、ぴょんぴょん跳びながらチャンネルを回す。
「器用なもんだねぇ」
思わずそうつぶやいたところで、ひよこがテーブルの上に着地した。
「せんぱい、これ! いっしょにみたいです」
画面には最近よく名前を聞くスーパーが映っている。
お笑い芸人だろうか、若い男性が刺身パックを持っておおげさに驚いていた。
「うちのちかくにもあるんです、このおみせ」
「へぇ、そうなんだ。いいね」
「いつかかのじょとおうちでおさしみぱーてぃーするのがゆめです」
ひよこがまぐろの刺身をつつく様子を想像して、ふふっと笑ってしまう。
「あっ、せんぱいはいやですか? おさしみぱーてぃー」
「ん? いやじゃないけど……そもそも私彼女じゃないし」
「じゃあかのじょになってください。ぼく、じぶんでいうのもなんですけど、けっこういいおとこです」
ふんす、と胸を張るひよこ。
「きょう、たのしかったでしょ? ぼくといたら、まいにちたのしくすごせますよ」
「ふぅん、たとえば?」
「こうちゃのおいしいきっさてんでのんびりほんをよんだり、おうちでぽてちをたべながらじっくりえいがをみたり、たまにはおでかけしてほしぞらをながめたり」
ひよこが提案するそのデートプランは確かに魅力的だと思った。
それがちょっとだけくやしくて、私は「そうだねぇ」と鼻で笑う。
「まぁちょっと考えてみるよ」
「ほんとですか!」
ぴょんとひよこが跳ねた。
ふと視界に時計が入る。
時刻は21時を指していた。
明日も仕事だし、そろそろお風呂に入りたい。
「悪いけどお風呂入ってきていい? すぐ上がるから」
そう伝えると、ひよこが「もちろんです」とうなずいた。
「でも、せっかくなのでゆっくりはいってください。よくあたたまったほうがいいです」
「そう? じゃあお言葉に甘えて」
「はい、せんぱいいってらっしゃい!」
ひよこがテーブルの上でふりふりと踊るのを見届けて私はバスルームに向かう。
お湯を張りつつ、しばらく使っていなかった入浴剤を取り出して湯船に入れた。
そのあと、いつもより念入りにトリートメントをして、少しだけ優しく丁寧に身体を洗う。
なんとなく、自分自身をいたわるように。
そして、ひよこの言いつけ通りゆっくりお風呂を楽しんだ1時間後、戻ったリビングにひよこの姿はなかった。
***
――夢だったんだろう、きっと。
通勤電車に乗りながら、私は昨日一日の出来事をそう結論付けた。
あのあと家中を探してみたけれど、ひよこの姿はどこにも見つけることができなかった。
食べ終えたお弁当とサラダのごみが軽く水洗いされた上でごみ箱に入っていて、それ以外はいつも通りの私の部屋だ。
釈然としない思いを抱きながらベッドに入ると、夢の中にひよこが出てきた。
「せんぱい、おせわになりました」
そう言って頭をぴょこりと下げたあと、どことも知れぬ場所にとことこ歩いていく。
その小さな後姿を見送りながら、あぁ、私はもうあのひよこに逢えないのだと知った。
オフィスに到着する。
定時より1時間程早いこの時間帯はほとんど人がいない。
私は自席に座り、仕事の準備を始めた。
昨日突発で休みを取ったから、その分のリカバリーをしなければ。
そしてPCの電源を入れた瞬間、前方から声が降ってきた。
「――鷹野先輩、おはようございます」
聞き慣れたその声は低く私の鼓膜を震わせる。
顔を上げると、そこには長身の男性社員が立っていた。
「……おはよう、雛田」
雛田がその彫りの深い顔を笑みに染める。
2日振りに見るその顔に変化はなく、いつも通りの雛田だった。
やたら高い身長、しっかりした目鼻立ち、健康的に日焼けした肌――夢で見たあのひよことは正反対の容姿に思わず笑いをこらえる。
そうだ、この雛田があのひよこのわけがない。
そもそもひよこがしゃべること自体ナンセンスだ。
「先輩、昨日は色々とご迷惑おかけしてすみませんでした。お蔭さまですっかり元気になりました」
そう言って、雛田が白い歯を見せて笑う。
なるほど、雛田が会社に来なかったのは現実の話だったらしい。
「別に。迷惑かかってないから気にしないで」
「そうですか、やっぱり先輩優しいですね」
「いや、普通だし」
私はPCに向き直りメールソフトを開く。
うん、思ったよりメール溜まってない。
安堵の息を吐いて顔を上げると、まだ雛田はそこに立っている。
「……何?」
私の問いに、雛田は真剣な表情で口を開いた。
「先輩、明日はお忙しいですか?」
「明日? 特に予定ないけど……何で?」
すると、雛田が嬉しそうに表情を崩す。
「よかった。そしたら明日、紅茶のおいしい喫茶店に行きませんか? 僕も何か本持っていくんで」
「えっ?」
「昨日買った本、まだ読んでないですよね。持ってきてください」
私の頭の中に数々の「?」が生まれては消えていった。
確かに昨日買った本たちはまだ開かれもせず机の上に積んである。
しかし、雛田がそれを知るはずはない。
だって、買い物したのを知っているのは――
「――ねぇ、鷹野先輩」
何も言えない私に対して、雛田がいたずらっぽく微笑んでみせた。
「僕、お返事待ってますから。早くお刺身パーティーできるよう、頑張りますね」
そして背中を向けて自分の席へと戻っていく。
ふりふり機嫌よく去っていくその後姿が、なんとなく夢の光景に重なった気がした。
(了)
最後までお読み頂きまして、ありがとうございました。
なんとなく「職場の後輩がひよこになったら困るだろうな……でもかわいいだろうな……」と思い付いて書いた作品でした。
が、投稿タイミングを逸してしまい、春でもなんでもない季節になってしまったという……笑。
なんとなくほっこりするお話になっていたら嬉しいです。
以上、あとがきまでお読みくださりありがとうございました。




