「1998年度の学童保育の生活」を詳しく書きます。読み通すことで「子育ての場としての学童保育」について考えましょう!
私は1990年から1998年まで、9年間学童保育の指導員をしていました。支援学級(当時の養護学級 特殊学級のこと)の子どもたちや支援学校の子どもたちが多数(多いときは19人いた)入所していました。それらの子ども達も含め、すべての子ども達を「どのような大人に育てていこうか」というのは、私にとっては、大問題でした。

当時の私は
「放課後の自由な時間は、学校ではできない子育てができる場だ。」
「子どもたちに、どんな成長(発達)の栄養を与えてあげようか。」
「指導要領等に縛られないので、どんな取り組みもできるぞ。」
とワクワクしていました。そして、楽しいことは何でもでもしてきました。そのことが、私の考えている大人(これについては、これからの記事で徐々にかたっていきます)に育っていくと信じてしました。
1.これからの記事の前提
当時わたしが発行していた《ねえねえ、先生!》という文集を元ネタに、1997年(平成9年)の学童保育を(当時は留守家庭児童会)再現していこうと考えています。
こんな時代ですから、そこに出てくる名前は、子どもも先生も全て仮名にしました。内容も、加筆したりまとめ直したりして変更しています。つまり、事実のそのもの再現ではなく、文集を使った限りなく事実に近い、しかし、全く架空のお話(フィクション)です
(使っている写真も、すべてネットで拾ったものです)。

2.どんな学童保育保育所だったか
まず、私が受け持っていた1997年度の学童保育の、基本的なことを書いておきます。
名称 《遊遊クラブ》
定員 50名 うち4年生5人。1年から3年生まで45人。
指導員 やまと先生と西北先生
アルバイト 香川先生と奈良先生 計4人
部屋 学校の教室を1階2部屋(教室の半分は畳)
簡易台所付き トイレは学校のトイレ使用
班体制 班長1人、班員6人の7班体制(1班だけ班員8人)
時間割 9時から1時 指導員の準備 話し合い
1時 1年生から順次受け入れ
宿題(時間は取るが教えない 確認はする)
終わった子どもから自由遊び
3時 各班でおやつ(毎週水曜は子どもの手づくり)
班ごとに終了して休憩(外には出ない)
3時半 好きなもの遊び
➪子どもからリクエストを取り決める
➪全員が分かれてどれかで遊ぶ
(必要なところに、先生が一人つく)
5時 各班に分かれて掃除
5時20分 終わりの会
5時半 自由(宿題が残っている子は宿題をする)
6時 終了
最大の方針 「子どもたちが、遊びながら楽しく育っていく」
「親の仕事保障のために、3年生まで一人たりとも『学童 が楽しくない』を理由に辞めささない」

では、次回から早速、育て直し日記《学童保育編》の開始です。内容には、次の4つがあります。
《日付》・・・日誌です。
『題名』・・・子どもや先生のエピソード
絵 ・・・子どもの書いたカット(顔と遊び)
注)先生や子どものセリフは、方言(大阪弁)になってます
【解説】・・・日誌の太字の説明 指導員としての考え方や計画の目的
細部を精読していただいて、学童保育の本質を理解していただいたら幸いです。それを元に、皆さんそれぞれの《子育ての場としての学童保育》を作り出してください。

今後の日本には、子どもを育てる学童保育が必要です。
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