適応障害になった私が知った「サボる」と「休む」の違いについて
お読み下さりありがとうございます。
結論から申し上げます( ー`дー´)キリッ✨
それは「罪悪感」があるか無いか、です。
サボるというのは、
「やるべき事」がある時に
用いられる印象があります。
やるべき事がある「のに」
休んでいる
のだとしたら、いくら身体を休めていても
復活しないと学びました。
何故なら、24時間365日見張られつづけている
からです。
見張られ続けているという事は
「緊張状態」が続くという事です。
それに対して「休む」とは
何もかも「気にせずに」
ひたすら「止まる」事を
自分に「許可する」行為だと捉えています。
今の私が休む時に「いつまで」と期限を
設定するとしたら「回復するまで」ですが
外側に合わせて生きていた、適応障害だった
あの頃の私は「学校が指定してきた月日までに」
「回復しなければならない」と
思っていました。
「学校が指定してきた月日までに」と
設定するとどうなるか?
「休み」として「与えられた」はずの時間が
「回復する為にある時間」に
変わってしまうのです。
そうすると過去の私は
どう考えたか?
回復する為の「何かをせねば」
だって「その為の時間」だから…
遊びに行く「べき」なのかも知れない…
(ひたすら寝てたいのが本音だけど)
ご飯をたくさん食べ「なきゃ」
(本当は食べたくないけど…)
心の中の「見張り番」が常に
「回復する為にベストを尽くしているか?」
見張り続けるので、夜も
「きちんと」眠らなければなりません。
その間、一方では
私の代わりに仕事をしているであろう
同僚を思い浮かべ
「申し訳ない…」
「きっと負担が増えた事だろう…」
と思い
しまいには、
「こんな私なんて居なければ
誰にも迷惑はかからないのに…」
とか
「いっそ辞めた方が
みんなの為になるのではないか?」
とか
「社会人としての務めすら果たせない
勤められない自分なんて
何の価値も無い…」
とか
思考がぐるぐるし始めるのです。
それは、働いていた頃に比べると
働いていた頃にあった「休日」は
「権利」だったので、
好きな事を楽しめたのに対して
ドクターストップで「休職」した途端に
「ズル休み」しているような感覚になり
毎日落ち着かないから
好きな事さえ分からない
食べ物の味もしない
ただ「生きなければならない」から
「摂取するべき栄養」を身体に入れて出し
「眠らなければならない」から
「寝るべき時間」にはベッドに横になり
ひたすら
「やるべき事」と「自分を責める声」に
追われ…
周りからは
どう思われているんだろう?
本当は恨まれているかも
こんな自分を受け入れてくれるはずない
私は変わらなければ
もっと
もっと
「頑張らなければ」
↑はい、コレ。
ね?頑張ってたんですよ。
休む為に。
おかしいと思いませんか?
「私は明日は頑張って休みます!!」って
隣の人が言ってきたらどう思います?
いや、休んでないじゃん!
ってツッコミたくなりません?
でも、それをずーっとやってました。
何故なら私は、
それまで一人暮らしをしていたのに
実家で療養していたから。
ずーっと「両親の目」「同僚の目」に
見張られ続けていたのです。
でもね、今の私なら過去の私に
あのね、あなたは本当は相手の本音を
「想像」する事しかできてないのよ?
だって、今夜何を食べたいと思っているのかすら
本当は「分からない」でしょう?
と言ってあげられます。( ー`дー´)キリッ✨
今の私が考える「休む」とは
・自分に全部◯をつける
・力を抜く、抜けなくても良い
・できなくてもできても良い
・やりたい事はやる
・やりたくない事はやらない
・止まっても進んでも良い
・寝てても起きても良い
・食べたい時に食べる
とにかく「今の自分が正しい」と「全肯定」
している時に「心が休まる」と「感じて」
います。
ようやく「休み方」が分かりました。
自分を見張る自分は「罪悪感」でした。
でもそれ、本来の「地球学習システム」には
組み込まれておりません。( ー`дー´)キリッ✨
まぁ宇宙のシナリオ的には重要ポイントでしたが
それも、過去のもの、で今は
取り払う段階です。
もしやライトワーカーの皆様も
体験された事がお有りではないですか?
肩の力を抜け、とアドバイスされて、
「よ〜し!肩の力を頑張って抜くぞ!!」と
「一生懸命」肩の力を抜こうとして
抜けない自分に「何でできないんだ!」と
叱咤してしまい「失望」してしまう…
気楽に考えなよ、とアドバイスされて
「よし!気楽に考えてみよう!」と思い
「そもそも気楽とはどういう角度から
アプローチした発想なのか?」という
脇道に逸れていき、迷子になり
自分には気楽な思考さえ「難しい」と
「劣等感」を感じてしまう…
今まで「真面目」と評価されてきた方程
あるあるではないかと思います。
(え?無いですか?)
ではなぜ、罪悪感は生まれたのか?
自分を「守りたい」から
ではないかと思います。
ではどうやって守るのか?
「過去から学ぶ」のではないかと
思いました。
「未来の私」が「傷付かないように」
過去の私の「経験を参照して」
「答えから逸れないように導く」のが
「罪悪感」ではないかと思います。
でも、過ぎたるは及ばざるが如し。
免疫細胞すら破壊に繋がってしまうように
守ろうと意識し過ぎると
「見張り番」に変わってしまうのではないかと
思いました。
で、罪悪感氏と仲良しなのが
不安ちゃんです。
私、嫌われてるんじゃないかしら?
このままじゃダメなんじゃないかしら?
生きている意味あるかしら?
その内に、自己否定君や無価値感様も
合流して、
いつもこうだよ…
今度こそ成長できたと思ったのに
あの人はできるのに…
眼には見えないけど、大嵐。
寝ても起きても大嵐。
そんな情況で「休める」はずが
ありませんでした。
時間ばかり過ぎていくので
不安が「焦り」を生み
「焦り」が「苛立ち」に変わり
「苛立ち」が「絶望」になり…
誰かを恨みたくないけど
苦しくて
苦しいから悲しくて…
そんな「感情の大嵐」は
外からは「見えない」のです。
もしも今、「休めない」と感じている方が
いらっしゃったら、敢えてお伝えします。
「休まなくて良いです。( ー`дー´)キリッ✨」
でも休みたい?
まぁまぁ、まずはご自身に
「休まなくても良いよ。」って
言ってみてあげて下さい。
どんな感じがしますか?
ホッとしませんか?
実はこの瞬間、貴方様の心は
「休めた」からです。
なぜなら貴方様は「休まなければ」と
「休む」事を「頑張って」来られました。
でも、「休まなくても良い」という「許可」
によって「頑張らなくても良い」つまり
↑「義務感」から「解放」されたからです。
お休みに「義務感」はあっても良いけど
無くて良い
というのが持論です( ー`дー´)キリッ✨
ちなみに今の私は
罪悪感なく「サボれる」ようになりました。
何故なら、体験中の私に
「やるべき事」なんて、
本当は「一つもないと知っているから」です。
( ー`дー´)キリッ✨
最後まで読んで下さって
ありがとうございました🙇💕
どうか皆様、ご自愛下さいませ💕
