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あなたの感情、正しい住所にありますか?

 娘が自殺未遂をした。病院に搬送された時には呼吸が停止していて、私と夫が駆けつけた時には人工呼吸器に繋がれていた。彼女が死にたくなるほどの絶望感を抱いたのはこれで2回目。前回は、「死にたい気持ちが消えないから一緒に居て。」と頼ってくれたが、今回は1人で死ぬ事を選んだ。私は彼女の頼りたい相手ではなかった。最初に明らかにしておきたいのは、彼女は無事に生き延びて今は療養中だという事。彼女が家に戻ってくるまでに私達家族がしなくてはいけない事は、彼女が安心して過ごせる環境を整える事。
 それに伴い、私に必要な事の1つはカウンセリングを受ける事。私は常々夫に「あなたにはエンパシーというものがない。」と言われていた。自分に足りないと言われたものの理由をわざわざ調べようとも思わず正しい意味は未だ不明であるが、エンパシーとは恐らく「他人に共感し寄り添う能力」の様なものだと思う。(今調べたらちょっと違っていたよ)娘にも「ママに悩みを話しても期待している反応がもらえないから、私の事を本当に大事に思ってるか疑ってしまう。」と言われた事がある。正直に言うと、共感をしたところで悩みは解決しないし、相手の気持ちは理解できるけどそれを知った所で自分の体の中に何かの感情が湧き上がって相手と一体感を得るという事はなかった。もちろん、大事な人が喜ばしくない状況にいる事を「悲しく」思うし、何も出来ない自分に不甲斐なさを感じる事もあった。カウンセリングでは、主に私の感情にフォーカスをしてそれをコントロールする事を学ぶ事となった。
 カウンセリングというのは、相手との信頼関係が成り立ってこそ上手くいくものだ。その信頼関係というのも一歩的に誰が良い悪いという訳ではなく、互いの相性であったり、カウンセラーのアプローチ法が自分に合っているかというのが重要であると私は考えている。今回私が出会ったカウンセラーはそれらが見事に合致していた。同じ人間であっても、私の住むアメリカでは多くの人が私達日本人と異なる価値観を持っている。その中で信頼出来る人に出会えた事は幸いである。彼女は直ちに私が必要としている事を察知して、問題解決に取り組んでくださった。2回目のセッションで、彼女が言った事は「家族が言う様にあなたのエンパシーはかなり低い。これはあなたが幼少期に受けるべき感情面でのサポートが得られなかった事もあるけど、そもそもいくつかの感情が欠如している。」と言う事。感情の欠如!まさか嘘でしょ?!私、感情的だよ?その思いをぶつけると「感情的であること=全ての感情が備わってる訳ではないの。そして、あなたがいま持ってる感情は爆発的に大きいから、そこをコントロールしていきましょう。」とおっしゃった。

 カウンセラーが感情を取り戻すのに役に立つと見せてくれたのが『Wheel of Emotion』の図。中心に大まかな分類があり、それを細分化されたものがその外側にある。それを踏まえて自分が今までに抱いた大きな感情を照らし合わせてみると「悲しみ(sad)」と思っていた項目が「怒り(anger)」「恐怖(fear)」「驚き(surprise )」に分類されていた事を知る。何故そういう事が起きたかは私の想像でしかないが、恐らく幼少期に大人によって植え付けられた概念と自分の抱えていた感情に乖離があったからであろう。「誰かが死んだら悲しい」「誰かが引っ越すから淋しい」「プレゼントをもらって嬉しい」などと幼少期にかけられた言葉は全てが個人が抱えている感情に合致するというのはなかなか難しいだろう。自分の感情に名前をつけるのには環境からの働きかけによる要因も少なからず作用しているとすると、幼い子に「楽しかったね〜。」「怖かったね〜。」などと声をかけるのは、感情の発達を妨げるのではないかと思う。
 私の場合は恐らく「悲しみ」の部分が欠けるまではいかずとも認知するしづらい状態にある様子。父が亡くなった時に「悲しみ」を経験していたと思っていたが、細分化された部分を見てみると「無力な自分に対する怒り」「人生のコンパスを失った様な不安や恐怖」などの感情が近かった様に思う。この感情の欠如を取り戻す(昔は果たしてあったのか?)には映画を沢山観て、自分の感情を揺さぶる事が大切なのだそう。果たして上手くいくかは分からないけど、色々な映画を観て揺さぶられてみようと思う。

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