「あい」は別れの向こうがわに。
死んだ後の世界の話を、子どもに伝えるのは酷だろうか。
自分も昔、小さい頃母親に、いつか来るであろう親の死が来る時の話を聞いたことがある。
人間いつかは必ず命が終わる。
親や自分の命がいつか終わる。その時の事を想像したら怖くてたまらなくなった記憶がある。
痛いのかな。苦しいのかな。ひとりぼっちかな。
そんな怖い事が待ってるんだったら、生まれて来なきゃよかったのに。とさえ、思ってしまったくらい。
母は何気なく話しただけかもしれないけど、私にとっては「死」に対しての怖さだけが残った記憶だった。
何十年と時が経ち、自分は看護師として、生死の場面を見る中で、「終わりに向かうのはそんなに怖くはないかもしれない」と思えた話。
ある家族の、お別れの少し前の場面。それはとても命の終わりの話をしてるとは思えない明るい場面だった。
父親は酸素マスクと点滴と胸部からはドレーンという管が出てる状態。呼吸に合わせて、管の先にある容器の中の水が「ボゴボコッ」と病室に響く。
きっと1ヶ月以内には、この父親は家族との別れが待ってる。母親と小〜中学生の子ども達は、父親のいない世界でいきていく未来。
それなのに、そんなシビアな状況とはかけ離れた明るい笑い声と、管から出る「ボゴボコッ」という脱気音が連続して聞こえてきた。
「あっちの世界にコレ(点滴とドレーン)持ってっとくから。君たちがあっちの世界に来た時は、これを目印にしておいで。おとーさん、ずっとボゴボコ言わしとっから。すぐわかるぞ。」
「え。(笑)コレ持ってくの?やだ。うるさいよ。」
「あっちの世界も人いっぱいいるだろうからさ。迷子にならないように。(笑)こっちの世界でいっぱい楽しんで、楽しみきったらおいで。そして、その楽しかった話をいっぱい聞かせてくれな。」
「ボコボコうるさくて話に集中できないよ(笑)」
なんてステキな家族。本来なら、残りわずかな余命であるの患者さん家族を前に「ステキ」なんて思ったら不謹慎かもしれないけど。それでも、その時を受け入れて進んでいく家族の在り方に見入ってしまった。
きっとこの残された家族は、父親との約束を守って、人生楽しみ尽くして先にいるであろう父親のところに行くんだろうな。
それから数年。自分は子どもを2人授かった。彼らが小学生くらいになると、自分の祖父母や親族の死の場面に直面することになり。そして、やってきた問い。
「死んだあとはどうなるの?」
その時、自分の小さい時の記憶がにょきにょき顔を出してきた。ここはなんと伝えるべきか。話せば自分と同じように「死」への恐怖だけが残ってしまうだろうか。
すでに明らかに不安そうな顔の子どもたち。
それでも。と思う。
それでもやっぱり命に限りがある事は伝えておくべきだ。大事なことだからこそしっかり伝えるべきだろう。この子達なら大丈夫。
それから、できるだけ声色は明るく、でも真剣に。命の終わりは誰にでも来ることを話し始めた。
あの時の患者さんの話と一緒に。
はじめ、子ども達は不安だけど、何か大事な話だろう、っていう気配は感じてくれてそうだった。
一旦お別れのあとは、あっちの世界でまた会える。だから、会った時に笑って会えるように。いっぱい楽しんできたことを報告できるように。
「どう?怖い?」
「そっか。向こうに先に行ったら見えないんだもんね。じゃ、報告しないといけないね。いっぱい話すことためとかないと!」
生まれてきたからには、最後の終わりを受け入れないといけない宿命があって。それは孤独で怖いかもしれない。
でも、その宿命を背負わせてしまったからには、終わることの怖さも辛さも伝えるのも愛情。
決して怖さだけじゃなく、終わりがあるからこそ精一杯、命を使い切る大切さを伝えること。どうか、怖がらずに楽しんで生き切ってほしい。
いつか来るだろうその日に、いっぱいの報告をきかせてね。
親として子に伝える「愛」
