小学生の行き渋りと問題行動に向き合う中で、何度も『嫌われる勇気』を読み返した理由
【序章】
小学生の行き渋り。
暴言。
ときには、暴力。
こう書くだけで、「うちもだ」と思う人と、「それは大変ですね」と距離を取る人に分かれる気がします。
正直に言えば、僕は前者に向けて書いています。
毎朝、学校の時間が近づくたびに空気が重くなる。
何気ない一言が引き金になり、感情が爆発する。
落ち着かせようとすればするほど、事態が悪化していく。
そのたびに頭をよぎるのは、
「父親である自分の接し方が悪かったのではないか」
という考えでした。
厳しすぎたのか。
甘すぎたのか。
忙しさを理由に、ちゃんと向き合ってこなかった罰なのか。
夜、子どもが寝たあと。
静かな部屋で、今日のやり取りを何度も反芻しては、自分を責める。
答えは出ないのに、考えることだけは止まらない。
そんな日が、何日も続きました。
この文章は、「うまくいった育児の話」ではありません。
今も、正直に言えば、渦中です。
それでも僕は、大きな壁にぶつかるたびに、
『嫌われる勇気』
『幸せになる勇気』
この2冊を、何度も読み返してきました。
答えを探すためではありません。
自分が壊れないためです。
この先に書くのは、アドラー心理学の解説ではありません。
本に書いてあることを、育児の現場でどう受け取り、どう迷い、どう踏みとどまってきたか。
その記録です。
もし今、
「自分の育て方が間違っていたのではないか」
と一人で抱え込んでいるなら。
この先の文章は、きっとあなたのためのものです。
【第1章:父親としての自責が止まらなくなった日々】
問題行動が目立つようになってから、僕の頭の中はずっと同じ問いで占領されていました。
「自分の関わり方が、間違っていたのではないか」
朝、学校に行きたくないと訴える。
言葉が荒くなり、手が出ることもある。
先生からも連絡が入るようになる。
その一つひとつが、すべて自分の通知表のように感じられました。
仕事が忙しいことを理由に、話をちゃんと聞いてこなかった。
早く切り上げたい気持ちが態度に出ていた。
正論を押しつけて、感情を受け止めていなかった。
思い当たる節は、正直いくらでもありました。
だからこそ、逃げ場がなかったのです。
母親である妻が子どもと向き合っている横で、
自分は「どうしたらいいかわからない顔」をしている。
助けたいのに、言葉を間違えたら悪化する気がして黙る。
黙った結果、「無関心」に見えてしまう。
父親として、一番やってはいけない立ち位置にいる感覚でした。
そして、何より苦しかったのは、
「自分が原因だ」
と、誰かに言われたわけでもないのに、勝手に確定させてしまっていたことです。
子どもが荒れるたびに、
「ほら、やっぱり自分の育て方だ」
と、心の中で判決を下す。
反省はしている。
改善しようともしている。
それでも状況はすぐには変わらない。
すると次に来るのは、無力感でした。
頑張っても意味がないのではないか。
自分が何をしても、もう手遅れなのではないか。
そう考え始めると、子どもを見るのが怖くなる。
目を合わせるのがつらい。
声をかけるのが怖い。
また失敗するかもしれないから。
今振り返ると、あの頃の僕は、
「子どもの問題」よりも、
「父親として失格かもしれない自分」
を直視することから逃げていたのだと思います。
だから余計に、自分を責め続けるしかなかった。
この章で伝えたいのは、
「あなたのせいだ」と言いたいわけでも、
「自分を責めるのはやめよう」という綺麗事でもありません。
ただ一つだけ。
もし今、
父親であるあなたが、
誰にも言えずに自分を責め続けているなら。
それは、逃げているからではなく、
ちゃんと向き合おうとしている証拠でもある、ということです。
ここから先は、
その自責をどう扱っていったのか。
どうやって「自分が壊れない位置」に戻ってきたのか。
次の章で、正直に書いていきます。
【第2章:『嫌われる勇気』を読み返した夜】
正直に言うと、『嫌われる勇気』は、育児のために買った本ではありませんでした。
仕事や人間関係で行き詰まったときに読んだ本で、
「なるほど」と思ったまま、本棚に眠っていた一冊です。
それを、子どもの問題で追い詰められていた夜に、
ふと手に取りました。
理由は単純でした。
誰かに答えをもらいたかった。
自分の苦しさを、誰かに言語化してほしかった。
ページをめくって、最初に強く引っかかったのは、
「課題の分離」という言葉でした。
頭では理解できます。
子どもの課題と、親の課題は別。
学校に行くかどうかは、最終的には子どもの課題。
でも、感情はまったく追いつきませんでした。
行き渋りも、暴言も、暴力も、
どう考えても放っておけない。
放っておいたら、もっと悪くなる気がする。
「それでも介入しすぎるな」
「それは親の課題ではない」
本に書いてある言葉が、
正論すぎて、逆に胸をえぐってきました。
じゃあ、何もしないのが正解なのか。
突き放すのが勇気なのか。
嫌われる覚悟を持てば、すべてうまくいくのか。
読みながら、何度も本を閉じました。
それでも読み進めたのは、
この本が「親を楽にするため」に書かれていると、
どこかで感じていたからです。
読み返すうちに、少しずつ気づき始めたことがあります。
この本は、
「子どもをどう変えるか」
ではなく、
「親がどこまで背負わなくていいか」
を示している本なのだ、ということです。
子どもの感情まで管理しなくていい。
子どもの評価まで背負わなくていい。
子どもの人生の結果まで、親が責任を持つ必要はない。
その考えに触れたとき、
救われた気持ちと同時に、怖さもありました。
もし本当にそうなら、
今まで自分が必死に抱え込んできたものは、
何だったのか。
父親としての役割を、
「全部背負うこと」だと勘違いしていたのではないか。
そして、ここが一番大きなポイントでした。
自分は、
子どものために悩んでいるつもりで、
実は「父親として失敗したくない自分」
を守ろうとしていただけではないか。
そう気づいたとき、
胸の奥がズキッと痛みました。
この本を読んだからといって、
翌日から育児がうまくいったわけではありません。
でも、
「全部自分の責任だ」
という考えから、一歩だけ距離を取ることができました。
それだけで、
自分が壊れずに済む余白が、生まれたのです。
次の章では、
その考えをどうやって日常の育児に落とし込み、
『幸せになる勇気』で何を補ったのかを書いていきます。
【第3章:『幸せになる勇気』で、初めて腑に落ちたこと】
『嫌われる勇気』を読み返して、
「全部を背負わなくていい」
という考え方には、確かに救われました。
でも、正直に言うと、
どこか物足りなさも残っていました。
楽にはなった。
少し距離も取れた。
それでも、心の奥にはこういう疑問が残っていたんです。
「じゃあ、父親として、何を大事にすればいいんだ?」
課題の分離を意識しても、
放っておけばいいわけじゃない。
無関心でいいわけでもない。
その“次の一手”が分からなかった。
そこで、改めて手に取ったのが
『幸せになる勇気』でした。
この本を読み返して、
一番強く心に残ったのは、
「共同体感覚」という言葉です。
人は、
「役に立っている」
「ここにいていい」
と感じられたときに、前に進める。
この一文を読んだとき、
子どもの顔が浮かびました。
行き渋り、
暴言、
荒れた態度。
それらを
「問題行動」
「直すべきもの」
として見ていた自分に、気づいたんです。
でももしかしたら、
子どもはずっと、
「ここにいていいのか?」
「自分は役に立っているのか?」
を、必死に問い続けていただけなのかもしれない。
そう考えると、
今までの接し方が、
少しずつ違って見えてきました。
叱る前に、
正そうとする前に、
結果を出させようとする前に、
「この子は、今どんな居場所を感じているんだろう」
そこを、ほとんど考えていなかった。
父親として、
正しいことを教えようとしていた。
間違えないように導こうとしていた。
でも、
「一緒にいる」
「同じ空間にいる」
「同じ側に立つ」
その姿勢が、足りていなかったのかもしれません。
『幸せになる勇気』は、
子どもを変える方法を教える本ではありません。
親である自分が、
どんな姿勢で生きるか。
どんな背中を見せるか。
そこに、すべてが集約されていました。
子どもが不安定なときほど、
親が「正そう」とすると、関係はこじれる。
逆に、
親が自分の人生を生き、
自分の幸せを大事にしているとき、
子どもは安心して、自分の課題に向き合える。
この考えに触れたとき、
ハッとしました。
自分は、
子どもの問題に集中するあまり、
自分自身の生活や心を、
後回しにしていたのです。
疲れた顔で、
イライラしながら、
「ちゃんとしろ」と言う父親。
それは、
子どもにとって安心できる存在だっただろうか。
『幸せになる勇気』を読んで、
初めて分かりました。
育児の正解は、
子どもを思い通りにすることじゃない。
親が、安定して生きること。
それが、
結果的に子どもの土台になる。
この視点を持てたことが、
自分にとっての大きな転換点でした。
次の章では、
この考えを実際の生活の中で、
どうやって「行動」に落としたのか。
特別なことではなく、
毎日の接し方で変えた、
小さなことを書いていきます。
【第4章:父親として「変えたこと」「やめたこと」】
考え方が変わっても、
行動が変わらなければ、現実は何も変わりません。
『嫌われる勇気』『幸せになる勇気』を読み返して、
自分の中で腹落ちしたことを、
少しずつ生活に落とし込んでいきました。
やったことは、
正直言って、拍子抜けするほど地味です。
でも、この「地味な変化」が、
家の空気を確実に変えていきました。
まず、やめたことがあります。
それは、
「正論で諭すこと」
「理由を説明させること」
「今すぐ答えを出させること」
です。
子どもが荒れているとき、
不安定なときほど、
大人は“理由”を求めがちです。
「なんで行きたくないの?」
「どうしてそんな言い方するの?」
「ちゃんと説明して」
以前の自分は、
これを当たり前のようにやっていました。
でも今振り返ると、
あれは理解しようとしているようで、
実は“コントロール”しようとしていたんだと思います。
相手が混乱しているときに、
言語化を求めるのは、
追い詰める行為でもある。
それに気づいてから、
理由を聞くのをやめました。
代わりにやったのは、
「評価しないこと」
「急がせないこと」
「結論を出さないこと」
です。
例えば、
暴言が出たとき。
以前なら、
「そんな言い方はダメだ」
「人を傷つける」
と、すぐに止めていました。
今は、まず距離を取ります。
感情が落ち着くまで、待ちます。
そして、
何かを“教える”のではなく、
ただ事実だけを伝える。
「今、すごく怒ってるのは分かる」
「かなりしんどそうだね」
それ以上、踏み込みません。
最初は、
「これでいいのか?」
という不安もありました。
甘やかしているんじゃないか。
父親として逃げているんじゃないか。
そんな気持ちも、正直ありました。
でも、
子どもの反応は、意外なものでした。
少しずつですが、
荒れる時間が短くなっていった。
言葉のトゲが、弱くなっていった。
何より、
沈黙の時間が、
前ほど重くなくなったんです。
次に変えたのは、
「会話の目的」です。
以前は、
会話=問題解決
だと思っていました。
今は違います。
会話=安全確認
だと考えるようにしました。
「ここにいていい」
「話さなくても大丈夫」
「今は何もしなくていい」
その空気を作ることが、
父親の役割なんだと、
ようやく分かってきた気がします。
劇的な変化はありません。
一晩で解決したわけでもない。
でも、
家庭の中にあった
ピリピリした緊張が、
少しずつ、確実に薄れていきました。
子どもが変わった、というより、
自分が“急がなくなった”。
それが、
一番大きな変化だったと思います。
次の章では、
こうした接し方の変化と並行して、
自分自身の生活――特に「朝の過ごし方」を
どう整え直したのかを書きます。
育児と、
親の生活は、
やはり切り離せませんでした。
【第5章:父親が整うと、家庭の空気が変わり始めた】
子どもの問題行動と向き合う中で、
一番しんどかったのは、
「何をしても、正解かどうか分からない」
という状態でした。
叱っても後悔する。
黙っていても後悔する。
優しくしても、「甘やかしているのでは」と不安になる。
育児って、
こんなにも“自分を責め続ける作業”だったのかと、
何度も思いました。
そんな中で気づいたのが、
「子どもをどうにかしよう」とする前に、
自分がかなり削れていた、という事実です。
睡眠は浅い。
仕事は残業続き。
頭の中は常に不安でいっぱい。
これでは、
どんなに正しい接し方を学んでも、
実行できるはずがありませんでした。
そこで、意識的に戻したのが、
朝の時間です。
早起きして、
筋トレをして、
一人で静かに汗をかく。
誰にも評価されない。
誰にも邪魔されない。
ただ、自分の体を動かす時間。
正直、
「育児と関係あるのか?」と思っていました。
でも、
はっきりとした変化がありました。
まず、
朝からイライラしなくなった。
小さなことで心が乱れにくくなり、
子どもの言葉に、即反応しなくなった。
次に、
家庭の中で「間」が生まれました。
以前は、
何か起きるたびに、
すぐ言葉を重ねていた。
今は、
一呼吸おいてから話せる。
この“間”があるだけで、
衝突は驚くほど減りました。
そして、
一番大きかったのは、
「自分は大丈夫だ」と思える時間が、
毎日、少しずつ積み重なったことです。
筋トレの記録が伸びるとか、
体型が変わるとか、
そういう話ではありません。
朝、
やるべきことをやれた。
今日も自分を立て直せた。
この小さな成功体験が、
父親としての土台を
静かに支えてくれました。
不思議なもので、
親が安定すると、
家庭全体の空気が変わります。
会話が増えたわけじゃない。
問題が消えたわけでもない。
でも、
「張りつめた感じ」が、
確実に減っていきました。
子どもが、
少しずつ学校に向かうようになったのも、
もしかすると、
この空気の変化が影響していたのかもしれません。
はっきりした因果関係は分かりません。
でも、
親が整っている家庭と、
常に余裕のない家庭。
子どもが感じ取るものは、
きっと違う。
そう思うようになりました。
次の章では、
それでもなお残る、
「父親としての迷い」と、
この本たちが教えてくれた
“覚悟の持ち方”について書きます。
完璧な親にはなれない。
でも、
逃げない親ではいられる。
その話です。
【第6章:父親の役割は「導くこと」ではなかった】
子どもに問題行動が出ていた頃、
自分はずっと「正しく導こう」としていました。
こうすべきだ。
それは違う。
ちゃんとやらないといけない。
今思えば、
かなり必死でした。
父親として、
何かを間違えてはいけない。
ここで踏ん張らないと、
取り返しがつかなくなる。
そんな焦りが、
言葉や態度の端々に滲んでいたと思います。
でも、
「嫌われる勇気」「幸せになる勇気」を読み返して、
はっきりしたことがあります。
父親の役割は、
導くことでも、
正解を示すことでもなかった。
「安心して失敗できる場所でいること」
それだけでした。
子どもは、
正しさを教えられて育つわけじゃない。
安心の中で、
自分で気づいていく。
なのに自分は、
子どもが間違える前に、
転ぶ前に、
全部回収しようとしていました。
それは優しさではなく、
不安でした。
自分が怖かっただけです。
嫌われる勇気に書いてあった言葉が、
何度も頭に浮かびました。
「課題の分離」
子どもが学校に行くかどうか。
子どもが感情をどう処理するか。
それは子どもの課題。
親ができるのは、
その課題に立ち向かう“場”を壊さないことだけ。
そう理解した時、
少し肩の力が抜けました。
怒鳴らなくてもいい。
説得しなくてもいい。
解決しなくてもいい。
ただ、
そこに居続ければいい。
実際、
それを意識するようになってから、
自分の行動はかなり変わりました。
何か言いたくなっても、
一拍置く。
正論が浮かんでも、
口にしない。
代わりに、
「そう感じたんだね」とだけ返す。
最初は正直、
何もしていないようで怖かったです。
でも、
子どもの表情が変わっていきました。
反発が減った。
目をそらさなくなった。
沈黙が増えた。
沈黙は悪いことだと思っていました。
でも違いました。
考えている時間だったんです。
父親がすべきことは、
答えを渡すことじゃない。
子どもが考える時間を、
邪魔しないこと。
そして、
その時間を過ごしても、
この家は壊れないと示すこと。
それが、
自分なりにたどり着いた答えでした。
次の章では、
この考え方が、
実際の家庭の空気や子どもの行動に、
どんな変化をもたらしたのかを書きます。
劇的ではないけれど、
確実に起きた変化についてです。
【第7章(最終章):家庭は「正しくなる場所」じゃなく、戻ってこれる場所だった】
問題行動が少しずつ落ち着いてきた今、
振り返って思うことがあります。
あの頃、
家を「正しくある場所」にしようとしすぎていました。
ちゃんと話を聞くべき。
ちゃんと叱るべき。
ちゃんと育てなければいけない。
全部正論です。
でも、全部しんどかった。
正しさを積み上げるほど、
家の中の空気は硬くなっていきました。
誰も悪くないのに、
誰も安心していない。
そんな状態でした。
「嫌われる勇気」「幸せになる勇気」を読み返して、
最後に腑に落ちたのは、とてもシンプルな考えでした。
家庭は、
人を正しくする場所じゃない。
疲れても、
失敗しても、
荒れても、
戻ってこれる場所であるべきだ。
そう思えるようになってから、
自分の中の基準が変わりました。
何か問題が起きた時、
「どう直すか」ではなく、
「この状態でも戻ってこれているか」を考える。
子どもが荒れていても、
口が悪くても、
不安で動けなくても、
それでも家に居場所があるなら、
まだ大丈夫だと考える。
そう決めました。
すると不思議なことに、
家の空気が少しずつ柔らぎました。
会話が増えたわけでも、
笑顔が劇的に増えたわけでもありません。
ただ、
張り詰めていた感じがなくなった。
「何かあっても、ここには戻れる」
その前提が共有されたような感覚です。
子どもも、
すぐに変わったわけではありません。
でも、
ほんの少しずつ、
学校の話をするようになり、
自分の気持ちを言葉にする場面が増えました。
それで十分だと思えました。
今でも、
自分が正しい父親なのかは分かりません。
今も迷いますし、
後悔する日もあります。
それでも、
ひとつだけ確信していることがあります。
親が完璧じゃなくても、
家庭が「戻ってこれる場所」であり続ければ、
子どもは立て直せる。
そしてそれは、
親自身も同じだということです。
この文章が、
かつての自分のように、
育児の壁の前で立ち尽くしている誰かに届いたなら。
「全部間違っていたわけじゃない」
そう思えるきっかけになったなら。
それだけで、
書いた意味はあったと思っています。
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