私が日本語教師になったわけ
私は現在ドイツで日本語教師をしている。もともと教えることが好きで、外国と関わりたいと思っていたので、この仕事を選んだ。
子供の頃は小学校の先生になりたかった。しかし小学校の先生になるためには5教科できないといけないくて、ハードルが高かった。
それに英語や中国語を学んで、外国語が大好きになったので、外国人にとって外国語である「日本語」を教えたいと思った。
日本でも日本語を教えていたが、やはり若い頃は外国に飛び立ちたかった。台湾にも住んでいたし、その後縁があって、ドイツに来た。もう20年前のことだ。
外国で日本人が生きていくのに、てっとり早いのは「寿司屋」と「日本語教師」だ。その国の人にはない技術だからビザも取りやすいのだ。そういう不純?な動機もあった。
教えることの楽しさを感じた原点は小学校6年生の時だ。朝の自習時間に、小学校1年生のクラスの面倒を見る係になった。先生たちが職員会議をしている間の下級生の世話係というわけだ。その時に、今日はどんな授業運営をしてやろうか、と子供ながらいつもワクワクしていた。たった20分とかなんだが、工夫して授業のようなものをした。それが楽しかったのを覚えている。
もう何年もこの仕事をしているが、未だに勉強の連続だ。授業がうまくいったと思える時もあれば、今日はダメだったと落ち込むこともよくある。
学生の素朴な質問に答えるのは簡単ではない。日本人は日本語を外国語として学んだわけではないから、正しい答えはわかっても、どうしてそうなのか理由を説明するのは難しかったりする。
何年やっても、授業の前は緊張するし、最近はオンライン授業やハイブリット授業をせざるを得ず、新しい技術の習得も必要だ。この世は成長し続けないといけない設定になっているらしい。
最後はグチになってきたが、この仕事を選んで良かった点は、日独文化のかけ橋の一部を担えていることだ。若い学生たちが日本語を学び、これからの人生で日本と関わっていくことをサポートできるのは素晴らしい。みんな日本や日本文化が大好きなのだ。
毎年100人ぐらいの学生が入学して来るが、卒業生は日本人と結婚したり、日本で就職したり、ドイツにある日本の会社で働いたりしている。教え子の活躍を聞くのが何より嬉しい。
これからもこの仕事を選んだ原点と働かせてもらっている感謝を忘れず、頑張っていきたい。学生は私を見て、日本を感じるはずだから、「日本代表」として、毎日機嫌良く楽しくやっていきたいものだ。
