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ひとつしかない

三題噺:ガラス越し/留守番電話/マグカップ: 静かなヒューマンドラマ(感情のすれ違いと回収系)

「ふぃ~、ただいま~。いやぁ、急な残業で遅くなったよ。まったくもう」
なんて言いながら玄関から靴下を脱ぎながらリビングへ向かう。行儀が悪いといつも妻には怒られるが、早く楽になりたいゆえにこの悪癖は治らないのだろう。
「ん……?」
微かな違和感。リビングに入るドアのガラス越しに見える、リビングテーブルの上。
……ひとつしかない……。
そこにはいつも、夫婦茶碗ならぬ夫婦マグカップ?ペアマグカップと言えばいいのか?とにかく、妻とお揃いのマグカップが置いてあるはずの場所だ。だが今はひとつだけ、俺の分しかない。
片方だけ靴下を脱ぎ、手には脱いだ方の靴下を持ったまま少し嫌な気持ちになる。思わず妻を探すようにリビングを見回すが、その姿はない。代わりにピコピコと着信メッセージありのお知らせがともる留守番電話に気がついた。慌てて再生する。
「……あなた?……まだ帰ってきてないのね……ごめんなさい、実家に戻ってます」

なんだ?!なんでだ?何か変なことしたかな?
アレか?昨日、ケーキを食っちまったからか?今度俺のケーキ食べていいから許してくれ!他にはなんかあったか?……アレか?甘酒まんじゅうを買うってなった時に俺の好みに合わせてつぶあんのヤツを買ってきたからか?ごめん、今度からはこしあんにするから!……なんだ?なんだ?他にはなんかあったかな……?
気付けば俺はもう、ポロポロと溢れる涙を手に持った靴下で拭うことをしていた。

「ただいま~」
妻の声だ!思わず玄関の方を振り向く。妻が何か箱を抱えて帰ってきた。
「ごめん!ケーキは今度俺の分全部食べていいから!こしあんにするから!だから出て行かないでくれ!愛してるんだ!!」
「…………え?こしあんのケーキ?え、あなた私のケーキ食べたの?……許せないんだけど?……それに、なぁにその靴下。なんであなた靴下で顔拭いてんの?信じられないんだけど!」
ぷんすかぷんすかと怒り始める妻に、なんで出ていったのか泣きながら訊く。
「え?お揃いのマグカップ、欠けちゃったから新しいの買いに行ってたのよ。あなたのも古くなってたし。……はい、コレ。ついでに実家に顔だして来ただけよ?」
箱を受け取り、開けてみる。前と同じようなオシャレなマグカップがふたつ、出てきた。
俺はふたつのマグカップを抱きしめながら、ふたつだ!ふたつある!良かった良かったと涙を流す。
そんな俺を見ながら、妻が言う。

「あなた、そんなにマグカップが好きだったの?少し妬けちゃうわねw」

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