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過ぎ去るものの美しさと、人生の続編

旅と別れ、そして再会が織りなす人生の続編は、常に新しい始まりを告げる。

新宿駅西口、喫茶店西武の裏手。
雑踏から一本外れた薄暗い道の閉じたシャッターの前に、サルバドール・ダリのようなヒゲを蓄えた男がうずくまっていた。
彼の名はダミアン。あのとき僕は二十三歳で、その奇妙な姿に吸い寄せられるように声をかけた。

フランスから来たバックパッカーで、金がないからギターを売りたいというのに、日本国内の身分証明がなくて買取を断られたらしい。
「じゃあ代わりに売ってくる?」と軽く引き受けてみたものの、査定は三千円どまり。
「だったら持ち歩いたほうがいい」と笑う彼に、何故だか面白さを感じた。

袖ふれあうも多生の縁。晩飯でも食おうよ、と誘い、ガード下の大衆居酒屋で、濃いめの梅割りを胃に放り込んだ勢いに任せて「ウチ泊まる?」と口走った。

それがきっかけで、高円寺駅から徒歩15分ほどの、小さなアパートへ一緒に帰ることになった。
こうして一週間の同居生活が始まった。
とても楽しかった。

朝は一緒に家を出て、夕方はスーパーで待ち合わせ。
夜はパスタを作って語り合う。ときには僕がギターを弾き、彼はフルートを吹いて高円寺の町をはしゃぎ回った。
僕も金はなかったが、不思議と心が踊った。
あのころのダミアンは三十四歳で、僕は二十三歳。
余裕なんて持てるはずもなかったが、ひょうひょうと生きる彼の身軽さが羨ましかったのかもしれない。

ある日、二人で画材屋に出かけたとき、彼はこっそり赤いインクをポケットに忍ばせた。
理由を尋ねると、赤色には愛や怒りなど、あらゆる感情が宿るから、どうしても手に入れずにはいられないのだという。

同居生活の最終日、別れ際にギターへ絵を描いてもらった。
ビル群に沈む真っ赤な夕陽。
そのギターで何度もライブをして、バンドを解散し、結成して、やがて僕は音楽をやめた。
寂しかった。

数年後、社会人になり、仕事を辞めて、二年間の放浪をした。
多くの旅仲間に出会った。
自分が旅人になれたかどうかはわからないが、少しだけ“旅の匂い”を感じ取れるようになった気がする。

東京に戻ってから数ヶ月。
ある出会いがあった。
ブラジルから旅行に来ていたペドロという青年と意気投合して、みんなですき焼きして語り合い、別れを惜しんだ。
彼はロマンチックだった。
寂しそうな僕に、シーズン2を楽しみにしよう、と声をかけてくれた。
また会える日を楽しみにできた。

そんなことがあり、懐かしくなってダミアンに連絡を取ってみた。
彼は今マルセイユで版画を刷っているという。
ビデオ通話で見せてくれた作品は、昔スケッチブックに描いていたものよりも大胆かつ鮮烈だった。
「オンラインで売るつもりはない。ローカルだけでいいんだ」
そう言ってにやりと笑う彼は、相変わらず風まかせな雰囲気だったけれど、「数枚送るよ」と言われると、自然に胸が高鳴った。

数週間後、届いた小包を開けると、真っ赤に刷られたA3サイズの版画が目を奪う。
そこにはタロットカードの大アルカナ13番“デス”が刻まれていた。

死を意味するだけでなく、新しいステージへの変化をも象徴するそのカードを見つめていると、かつて付き合っていた彼女を思い出す。
もう二度と会うことはないのかもしれないが、僕が知る限り、最後に覚えている彼女は、タロット占いに没頭していたあの頃の姿だった。

奥多摩へ向かった夜のドライブが、僕らの最後だった。
ほとんど口を利かず、破綻寸前の関係を区切るように車を走らせた。
星が流れたのを見つけても、声は出なかった。
「流れ星だね」「そうだね」
それだけで、もう何も言うべき言葉は残っていないのだと悟った。
あの流れ星の美しさに、1人だけみとれていた。

そして時は流れ、もうすぐ僕は三十三歳になる。
いつの間にか、あのころのダミアンが立っていた年齢をなぞり始めている。

それぞれの場所で生活を続けながら、ふとしたきっかけで再び繋がるのだから、人生は不思議だと思う。

過去はただ遠ざかるばかりではなく、別のかたちをまとって浮上してくることがある。
ダミアンとの奇妙な同居も、奥多摩の夜に消えた恋も、まったく関係がないようで、実はどこかで交差しているのかもしれない。

遠いフランスの街で生まれた赤い版画と、あの夜見上げた流れ星が、今こうして重なり合うなんて思いもしなかった。
けれど、それこそが旅や人との関わりを豊かにしてくれるのだろう。

新しい始まりに、僕らの思い出は少しずつ溶け込んでいくような気がする。

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