幸平 連載時代小説 別編2 中華幻想3
長安の真備
磯川と別れると、吉行はフランス租界のアベニュー・ジョッフルから横道に入った突き当りのアパルトメントを訪ねた。ある部屋のドアをノックする。
「蔡さん。吉行です」
ゆっくりと扉が開いた。
「いらっしゃるだろうかとおもっていましたよ」
部屋に通された吉行は、挨拶もそこそこに急き込むように告げた
「彼女に会ったんです」
蔡は無言のまま頷くと、吉行に一通の封書を手渡した。
「預かりものですよ」
勧めに応じて、部屋の窓際の椅子に腰を下ろすと、封を切るのももどかしく、手紙を取り出した。読み進めるうちに、吉行は、その内容に驚かされた。荒唐無稽、奇想天外な妄想か戯言としか思えない。これはいったい何なのか。
彼女と出会ったのは、吉行が初めて上海を訪れた日の夕方のことだった。
英国領事館近くの料理店で知人と会った後、スコット(旋高塔)路の片隅にある仮住まいに戻る途中のことだ。川風に吹かれながら呉淞江にかかる、ガーデブリッジこと外白渡橋の中ほどまで来た時だった。吉行の傍を黒塗りのシトロエンが通り過ぎ、少し前で停まった。窓の中から女のものとおぼしき白い腕が伸びる。その腕が吉行を呼び寄せるようにゆらゆらと振られた。
彼が車の傍に近づくと扉が開けられ、中から一人の女が下りてきた。ココ・シャネルのリトル・ブラック・ドレスを優雅に着こなした東洋美女。いったい何者なのか。
「お兄さん、付き合ってくれる」
日本語で誘いをかけてきたが、日本の女ではないようだ。上海の商売女による新手の客引きなのだろうか。
最下層の娼婦をいう野雉から中等の花烟間、長三と呼ばれる高級娼婦まで、上海のその種の女の数は十万人を下らない。実にこの街の女の十五人に一人が春を鬻いでいるという格好だ。だが、たとえ長三といえども、自動車で客を拾う話など聞いたこともない。
「あなた、吉行。でしょ」
なぜ、この女は自分の名を知っているのだろうか。何処かで会ったことがあるのだろうか。その心の内を見透かしたかのように女は言葉を続けた。
「会うのは初めて。でもあなたを知っている。ずっと前から」
養老元年三月、四艘の遣唐使船が摂津の難波津の港を出発した。この船団が瀬戸内海を西に進み、九州の大宰府に立ち寄った後、海の向こうの大国である唐土に至ったのは、半年後のことである。後に養老の遣唐使といわれたこの使節に留学生として一人の青年が加わっていた。学問所である大学寮を出たばかりの下道真備である。
父は備中の豪族の下道圀勝、母は楊貴氏の女。父の朝廷での最後の官職は右衛士少尉、天皇や都の警護を担う衛士府を統括する中位の役人であった。そんな権門の出自でもない真備が留学生に選ばれたのは、学問で類まれな力と才を発揮したからに他ならない。
大都・長安城の北正面にある朱雀門を入ってすぐ左に鴻臚寺がある。外交使節たちの接待などが行われる場所である。真備はそこで報せを待っていた。
「願いの趣、お許しがありましたぞ」
その言葉に、真備は両袖を正面で合わせ、軽く頭を下げて応じた。鴻臚寺で大学の助教から講義を受けることに対して玄宗皇帝の詔があったという。
「お力添え、感謝いたします」
「いえ、貴方の学識の然らしめるものでございますよ」
だが、真備は心の中で苦い笑いを浮かべた。ともに留学生として入唐した阿倍仲麻呂は、自分より年下にも関わらず、大学の中でも、貴族や高位高官の子弟のために作られた太学、に入ることを許され、唐の学生たちとともに学ぶことができるという。唐では、学ぶにしても身分によっての区別がある。仲麻呂のほうの家格は、真備の家よりも高い。そこから、そのような差がついたというわけであろう。
だが、それが結局は幸いしたのかもしれない。師となったのは、四門学の助教である趙玄黙という人物であった。四門学は、太学と並び貴族らの子弟が学ぶ国子監の四方の門の脇に作られたということからそう呼ばれた。庶民の子でも俊英と認められた者が学ぶことができる場でもある。助教とは博士の下だが、いずれにしても学問の師としての差は、それほどない。この師のもとで真備の学問は、長足の進歩を示した。特に、趙は、膨大な王宮の典籍の整理をも皇帝に命じられていたということもあり、文字通り万巻に精通していた。このため、易経、書経、詩経、礼記、春秋の五経、史記、漢書、後漢書の三史だけでなく、明法、算術、音韻、籒篆書道を含む六道を学ぶに不足はなかった。さらに真備の学問に対する精進ぶりも並大抵ではなかった。唐の朝廷から下賜された金銭や物品をも書物に換えたと伝えられているほどだ。
「先日の件じゃが、あるいはこの人物ならば、の」
真備は、師が差し出した一葉の紙を受け取る。
「感謝いたします」
「だが、役に立つかどうかはわからぬぞ」
「はい。ともかくはこのお方にお尋ねしようと考えております」
真備は、留学当初は趙を師とし、ただ一人で学を進めてきた。だがある時から、この師からだけでなく、その口添えなどもあって、さまざまな人物から教えを受けてきた。
「しかし、そなたも入唐して、もうどのくらいたつかの」
「はい、八年にもなりましょうか」
夢に燃え入唐した青年も、もはや而立を過ぎた三十一歳になっている。
「そうか、時の経つのは早いものよの、そうじゃ、そなたと共に留学した朝衡どのが任官されたということじゃが」
「はっ、そのように聞いております」
朝衡は仲麻呂の唐名である。彼は太学を終えた後、官吏登用の試験である科挙に合格したとも推挙を受けたともいうが、最近になって洛陽の司経局校書として任官したという。真備は、それに羨ましさは感じなかった。同じ国の人間として誇らしいとの思いのほうが強い。何よりも、今は自らの学問が面白くて、他の事を考えている暇もない。ただ一つのことを除いては。
