幸平 連載時代小説 その3
小太刀と十露盤 第三回
鬼小町あらわる
「お嬢さま、旅籠はお決まりでんすか。ぜひうちへ」
客引きの女が駆け寄ってくる。
「いえ、わたくしは、」
という間もなく、旅籠の中に連れ込まれた。
「はい、おひとりさま、ご、ああんなあああい」
部屋に通されると、既に先客がいた。
どこか垢抜けた伝法な風情のある女客である。年頃は三十路になるかならぬかといったところだろうか。
「お客さん、悪いけど、相部屋お願いしまああす」
宿の案内の女がそう言い放つと、華奈を押し込むようにして、駆け出していった。
「ちょいと、ねぇさんお待ちよ」
先客がその後を追う。しばらくして、女が戻って来た。
「仕方ありませんね。大山詣での客がたて込んでるっていうんですよ。ご迷惑じゃなければ、旅の道連れということでご辛抱ねがいますよ」
「大山詣で」とは相模国大山の大山阿夫利神社に参拝することをいう。
もともとは、雨乞いの神として知られ、農民たちの信仰を集めていた。だが、江戸の庶民の間でも商売繁盛、家内安全、無病息災などに霊験あらたかということで、信心するものが増え、いつか「大山詣で」は江戸っ子たちの娯楽めいたものにもなっていた。
特に、盆と暮の「かけとり」の時期に詣でると、借金の支払いを半年猶予されるという余禄もあって、それを目当てにする不心得者たちもいた。
江戸からの道はすべて「大山道」に通じるといわれたほどで、東海道を使うものは品川、中仙道では板橋が、その行く客の最初の、帰るものには最後の、宿場となっている。
「こちらこそ」
女の挨拶に華奈も慌てて言葉を返した。
「でも番頭に、これ以上の相客はお断りだときつくいっておきましたから、ご安心くださいよ」
華奈は、さすがにほっとした。見知らぬ他人と同宿を余儀なくされるなら、人数は少ないほうがありがたいと思ったからだ。
「蔦と申します。江戸のもので、ちょいと上方で用を足して帰るところなんですがね」
で、そちらは、と物問いたげな顔つき。
「華奈でございます」
しかたなく、名乗る。
「江戸には、何かご用事でも」
なぜ、江戸に向かっていると分かったのだろうか。
その不審な目に気がついたのか、蔦という名の女は軽い笑い声をあげた。
「すみませんね。つい詮索がましいことを申し上げちまって」
蔦は、神田明神下の口入屋の人間だという。
口入というのは、江戸の商家や中には武家屋敷などに人を紹介する商売である。それだけに、どうしても、人を見れば何やかや値踏みをしてしまう癖があると、そんな言い訳をする。旅姿の具合などから、少し旅を続けてきたことがうかがえたから、江戸へ向かうのだと思ったと、華奈の疑念に答えるように付け加えた。
「はい、わたくしは日本橋本石町の知る辺のところに参るところです」
華奈は、そういうと、これ以上はという硬い表情のまま口をつぐんだ。
その思いは蔦にも分からぬわけではない。ただ、何故か奇妙に、この若い武家の娘が気にかかってならない。
それはどこかに思いつめたような様子がうかがえたからだ。
蔦は、表向きは、口入屋の女主人として世を渡っているが、実はもう一つの顔を持っていた。
それは、「人さがし」という稼業である。
口入屋には大勢の人が出入りするたけではない。さまざまな情報も集まってくる。それだけに、人さがしにはもってこいの商売であるともいえようか。
男と逐電した女房の行方、拐かしにあった娘の取り戻し、祭の人混みではぐれた迷子など、蔦のもとに持ち込まれる仕事の依頼はさまざまである。
そのほとんどが、ちょっとした探りを入れれば、難なく片付いてしまうものばかりである。
だが、中には、表には出せない事情を抱えた人さがしもないわけではない。
隠密裏に行方を追い、探し出し、場合によっては、危ない橋を渡らねばならないこともある。
そして、それこそが、蔦の得意とする仕事でもあった。
最初は、やや訝しさを感じてもいた華奈ではあったが、共に風呂を使い、夜の膳をともにするうちに、その話の人をそらせぬ面白さと、時に伝法な口調も混じるが、その裏にある温かさも感じられる人柄に、いつか打ち解けた思いを感じていた。
翌朝、宿を一緒に発ち、日本橋まで連れ立った。橋のたもとで、別れを告げたが、一方で別れがたさを感じている華奈であった。それは、蔦も同じ。いつか、この美しく気丈な娘に肉親めいた思いを感じてもいた。
「お嬢さま、袖擦りあうもなんとやらですよ。もし、お悩み事があれば、お力になれるかもしれません。一度、わたくしの店をお訪ねくださいな」
「まあ、こんなに大きく美しい娘になって」
大叔母の清は、満面の笑みである。
石町の「越前屋」は江戸でも大店の呉服商である。だが、店がここまで大身となった陰には、縁あってここに嫁いだ大叔母の力が大きい、というのがもっぱらの話である。それだけに、主人の嘉右衛門も女房の縁者に対しては、ひとかどならぬ思いがある。
「自分の家だと思って、お気兼ねなく、心済むまで逗留くださいよ」
笑顔で告げる。
「ありがとうございます。しばらくご厄介をおかけいたします」
しかし、華奈は思い悩んでいた。国許を飛び出してきたものの、もとより当てがあるわけではない。ただ、采女が江戸の方に向かったという空を掴むような手がかりだけが頼りである。
恐らくは藩邸を訪れたところで収穫はあるまい。
却って奇異に思われるのがおちであろう。華奈は、そこであることを思い出した。采女が通っていたという道場である。そこで尋ねれば、何か話を聞くことができるかもしれない。
翌朝、清に訳を話し、桶町の道場に向かうことにした。近場とはいえ、江戸に不案内な華奈のために小僧を一人つけてくれる。
「七助さん、というのね。お願いします」
「へぇ、お嬢様、おまかせくださいまし」
年は十二ほどだろうか。だが、利発そうな顔をした子である。
「桶町の千葉道場には、娘天狗がいるって話でございますよ」
「天狗、ですか」
「へぇ、そりゃあ、もう強いのなんのって」
江戸の千葉道場といえば、神田・於玉が池の玄武館がよく知られているが、この道場は北辰一刀流の祖である千葉周作が開いたものだ。桶町の千葉道場は、弟の定吉が開いたもので、名も同じ玄武館という。このため、於玉が池の大千葉に対して小千葉、あるいは桶町千葉と、江戸っ子たちは呼んでいた。
定吉も周作と並び称される剣客であるが、その子の重太郎もまた「小千葉の竜」といわれたほどの腕前だった。しかし、何よりも桶町千葉で江戸雀の評判となっていたのは、重太郎の妹の佐那である。小太刀は皆伝を許されたほどで、薙刀もよくした。また、容姿も美しく、「千葉の鬼小町」との異名もあった。
伊予・宇和島藩の江戸屋敷で七代藩主伊達宗紀の息女に薙刀を教えていた。八代宗城の事跡を記した「藍山公記」の中で、その腕は「よほど上手にて、男子も弱きものは負けそうろうなり」と宗城が感嘆したと記されている。さらに「器量もよほどよろしく、両屋敷、御奥にて一番よろしく」と、藩の上屋敷、下屋敷を見ても、佐那ほどの美人はいないと手放しの誉めようである。。
華奈は、この自分の名に似た娘に興味を惹かれた。
何よりも、やはり小太刀の名手というのが気になった。
座敷で待っていると、四十がらみの人物が現れた。
「千葉定吉でござる。越前屋どののお身内であるとか」
越前屋が定吉の致仕する因州鳥取藩にも出入りしていた関わりで、訪ねるにあたって、嘉右衛門の紹介の書状を持参していたのだ。
「はい、左様でございます。香山華奈と申します」
華奈は手短に用件を述べる。
「なるほど、進藤采女のぉ。国に戻った後はどうしておるかは、聞いておらんが」
すべてを話してよいものかどうか迷ったが、采女の師である人物である。障りはあるまいと、華奈は、国許での出来事を包み隠さず申しのべる。
「なるほど。采女の剣の筋から申して、とても公金拐帯など、そのような不正なことをする男ではない。さだめしやむを得ぬ何事かがあったのでござろう」
消息なり何かがあれば、すぐに伝えようという申し出に頭を下げる。すると、定吉が首をひねった。
「そういえば、清どのが、小太刀を使う姪ごのことを申されておったが」
華奈は頬を赤らめた。
「はい、少し嗜んでおります」
「なるほど。立ち居が、娘に似ておるので、もしやと思うたが」
結局、何も得るものはなかった。消沈の思いで道場を後にする。
落胆した様子の華奈に、七助も心配げな顔である。
「大丈夫でございますか」
「えっ、ああ大事ありませぬ」
桶町から一石橋に向かう途中である。人だかりの中から、なにやら声がする。
「ちょいと見てまいります」
七助が駆け出した。華奈も後を追う。
人混みを搔き分け前に出ると、浪人者が三人、若い町娘に、何やら言いがかりをつけているようだ。華奈が心を決め、止めに入ろうとした時、武家の娘らしき若い女が先に中に割って入っていく。
「お待ちなさい。お前様方も武士ならば、無体な真似はなさいますな」
娘は毅然として言い放った。
佐那さまだぜ、千葉の鬼小町だ、などと野次馬たちが騒ぎだす。
では、あのお方が。華奈はつぶやく。
年の頃は華奈とほぼ同じといったところだろうか。鬼とはいえ小町と噂されるほど、さすがに美しい。それで浪人たちも、新たな獲物と考えたのだろう。佐那の方に近寄っていく。折やよしと華奈は町娘の傍に行くと、その手を取り、こちらに、と囁いた。娘は一瞬驚いたようだが、うなずいた。
「わたくしの後ろに」
華奈は娘を背後にすると、佐那の様子をうかがう。
「では、お前がわしらの相手をすると」
浪人者の中でも、最も凶悪な形相をした、いかにも悪党面の男が吠えかかる。
「いえ、このままお立ち退きなされば、何事もなくすみましょう」
涼しい顔で佐那が告げた。
「なにを小癪な娘め」
男たちは、今にも剣を抜きかねない勢いだ。既に町娘のことは眼中にない。これ幸いと華奈は、娘に立ち去るようにうながし、あたりを見回した。大八車に積まれた薪束が目に入る。その中から手頃なものを取ると、佐那に近づき手渡した。
一瞬、怪訝な顔をした佐那であったが、すぐに微笑んで、それを受け取った。
華奈も同じような薪を手にしている。
顔を見合わせ、二人して浪人たちに対峙する。
「何と生意気なアマどもではないか。そんなもので、わしらに刃向かう気とは」
凶悪な面構えの男が佐那にいきなり抜き打ちで切りかかった。それをスルリとかわし、男の懐に飛び込むと、その小手をしたたかに打ち据えた。骨の折れるような鈍い音がして、男が剣を落とす。すると、もう一人の男が今度は華奈に襲いかかる。これまた、小手を打たれて刀を落とす。そして、ゆっくりと三人目の男に佐那と華奈が相対した。
男は剣を構えているものの、既にもうその腰は引けている。
「どうする。おぬしら」
倒れたまま、うめき声をあげている仲間をうかがう。
「ひっ、引き上げよう」
悪党面の男が悔しげに吐き捨てた。
「覚えておれよ」
お約束の負け犬の捨て台詞を残し、転げるように逃げ出していく。
野次馬たちが大声で笑いながら、おととい来い、唐変木と、いまさらながらに悪口を投げつける。
「さすが、千葉の鬼小町よ」
「いや、もう一人もすげぇもんだ」
そんな声も聞こえる。
佐那が、華奈の薪を受け取り、大八車の持ち主に返そうとする。
「売り物にはできないかもしれませぬな。お代はいかほどですか」
すると、その実直そうな老爺は、手をふりながら、
「とんでもねぇ。こいつは魔除けにしますだ。売るなんてもったいない」
そこに、女が駆けつけてきた。
「吉乃ちゃん、大事なかったかい」
あの町娘の知り合いのようだ。
「ええ、あのお二人に助けていただきました」
女が近寄り、二人に礼を述べようとする。その顔を見て、華奈が驚いた。
「お蔦さんではありませぬか」
「これは、華奈さま」
