幸平  連載時代小説  その6最終話

    幸平  連載時代小説  その6最終話

        小太刀と十露盤 第六回最終回
人が人を思うのは当たり前、そして

「恥を申し上げることになりますが」
「そうであれば、無理にお話にならずとも」
佐那が余計なことを尋ねたと詫びを言う。
「いえ、よろしいのです。お二人には、本当のことを知っておいていただきたいのです」
意を決したような顔である。
「あれは、二昔ほど前のことでございましょうか」
そう、前置きして、蔦は語り始めた。

おかしいと感じた時には、すでに遅かった。これからどうなるのか、恐ろしさと不安で十五歳の娘心はつぶれそうになっている。
もとはといえば、あんな男の言葉を信じた自分が悪い。だが、母親を助けるために、どうしても金が必要であった。
「お蔦ちゃん、おっかさんの具合はどうだい」
そう声をかけてきたのは、長屋でも鼻つまみの源治である。何をしているのか、誰もしらないが、恐らくは、かなり後ろ暗い稼業をしているであろうことは、長屋のみんなが承知していた。しかし、弱り切っていた蔦にとって、そんな男の言葉も、心に沁みた。つい、言わずもがなのことを言ってしまったのも、その所為だろうか。
「ええ、お医者さまは、人参でも使えば、と。でもそんなお金」
「なるほどな」
源治が、いかにも親切めかして相槌をうつ。
蔦は無言のまま頷いた。高麗人参など、長屋暮らしの貧乏人には、所詮手が届くものではない。
「そうだ、お蔦ちゃん。いい奉公先があるんだが、どうだい」
ある大店で、娘の身の回りの世話をするものを探しているという。支度金も、そこそこ出る。ここは、俺にまかせてみちゃあどうだ、と持ちかけてきた。普段ならば、そんな胡散臭い話に乗るはずもない。だが、蔦はそんな藁にも、ついすがってしまった。
母親に話してから、という蔦をなんのかのと言いくるめ、源治は攫うように長屋から連れ出した。誰かに見られては都合が悪いとでもいわんばかり。着いたのは、いかにも一癖ありそうな口入屋である。
「やっぱり、この話は」
蔦は奇妙な不安に苛まれ、慌てて逃げ出そうとする。それを無理矢理、押し込めるように店の奥の部屋に連れ込まれた。
部屋に居たのは、店の様子に輪をかけて癖のありそうな男である。
「おい、源治、なかなかじゃねぇか」
「でござんしょ。じつぁ」
母親の病のことなど、源治が事の次第を話せば、男はさも物分りのよさそうな顔つきで頭を振った。
「そいつぁ、大変だな。だがな、お蔦ちゃんとやら、もう安心だぜ」
 
相手先はなかなかの大店で、何も心配には及ばない。支度金だけでなく、本来なら年季払いの給金も月払いにしてもらえる、と甘い言葉を続ける。しかし、やはり、蔦は胸騒ぎがしてならない。何とか、断りを言って、逃げ出そうとするが、源治がそれを押しととどめ、羽交い絞めにしてきた。
「ここまで来て、そりゃあねぇだろう。俺が顔をつぶす気か」
組み伏せられ、乱暴に腕を取られると、訳の分からぬ証文に爪印を押させられた。

 「そのまま、後ろ手に縛り上げられて、夜陰に紛れて駕籠に放り込まれました」
 蔦はその時のことを思い出したのだろうか、悔しげに唇を噛んだ。

 着いたのは千住の、紛れもない女郎屋である。
 江戸四宿の一つである千住宿は、日光・奥州街道の江戸からの初宿であり、陸上だけでなく、荒川から隅田川を経て武蔵国川越と江戸とを結ぶ舟運の要衝でもあった。
人と物が動けば、無論、金も動く。それを目当てに欲と色とが連れ立つ仕組み、千住節に「千住女郎衆は錨か綱か今朝も二はいの舟泊めた」と唄われたように、多くの旅籠が女を抱え、春を鬻がせていた。ここが刑場であった小塚原に近いこともあり、この女郎たちは「コツ」と呼ばれていた。
だが、吉原と違い、こうした稼業は上の許しを得ていたわけではない。そのため、女たちは表向き、客の給仕をする飯盛というのが名目であった。遊びの値は六百文が最低である。蕎麦一杯十六文という相場からすれば、男たちにとって、安く遊べる恰好の場であったことで、客は旅人だけでなく、江戸からの勤番侍や町人も多かった。主たちは利をあげようと、客の数をこなすことを、女たちに強いた。無残で過酷なつとめであったといえようか。
この公許を得ない女郎屋は、四宿だけでなく、江戸府内のあちこちにあった。これを岡場所という。岡は、岡惚れや岡目八目と同じ、傍らとか埒外を意味している。
「その岡場所で半年ほど客をとらされて。ですが、どうにも辛抱できず」
 なによりも、母のことが心配でならなかった。いきなり姿を消した娘のことで、どれほど心を痛めていることだろう。ひょっとしてと、悪い思いさえ浮かんでくる。
 「その夜は、泊りの客がつき、おまけに間のいいことに、いつもより早く寝静まっておりました」
 客を起こさぬよう、床を抜け出した蔦は、足を忍ばせ台所を抜け、裏口に回ろうとした時、月明かりの中で光るものに気づいた。下働きの人間がしまい忘れた包丁である。蔦は、思わず、それを手にした。いざとなれば、何かの使い道があろう。そのまま、裏口を抜け、千住大橋に急いだ。橋を渡り終えて、それまでの張りつめた糸が切れたのか、とたんに疲れを覚え、橋の下に降り、草陰に身を潜めた。気がつけば、既に日が昇っている。慌てて、土手を上がる。
 「や、いやがったぞ」
 運の悪いことに、追手に見つかってしまった。橋のたもとで追手たちに取り囲まれる。蔦は手にした包丁を構えた。
 「すべため、そんなものをどうする気だ」
 男たちは、流石に、顔を見合わせた。だが、所詮は小娘一人、どうにでもなると、じりじりと近づいてくる。
 蔦は、その包丁を喉元に擬した。
 「近寄ると、これを」
 死なれでもすれば、元も子もない。男たちは、足をとめ、様子をうかがう。その時だ。一人の男が駆け寄ってきた。
 「待ちねぇ、何があったんだ」
 風体は商家の旦那風だが、引き締まった体つきに鋭い眼光。並の男とはみえない。
 「余計なお世話だ。さっさと消えな」
 追手の男の一人が、吠えかかる。
 「まあ、聞きねぇ。仲裁は時の氏神というじゃねぇか。兄さんがた、ここはおれに任せちゃもらえねぇか」
 その、腹の底にズシンと落ちるような声音に、男たちは、少し腰が引けたようだ。
 「こいつぁ、申し遅れた。おれは、日本橋箔屋町で口入をやっている相模屋政五郎というもんだ」
 政五郎は、蔦の傍にすっと身を寄せると、自分の背後に回らせた。
 「ねぇさん。安心しな。悪いようにはしない」
 蔦は、なぜか、その大きな背中が、頼りにしてもいいと語りかけているような気がして、包丁を取り落した。政五郎はそれを拾い上げると、手ぬぐいにくるみ懐にした。
 「さて、兄さんたち。わけをきこうじゃねぇか」
 男たちは、蔦が足抜けして、逃げ出したので連れ戻しに来た、その女には金がかかっているんだ、とかなんとか言い募る。蔦は、その言葉に、
 「あたし、騙されたんです。おあしなんか貰ってもいません」
 政五郎は頷く。
 「ねぇさんにも言い分があるようだな。どうだい。おれを亭主のところに案内してくれねぇか」

 座敷で政五郎と蔦が、亭主に相対して座っている。
 「政五郎さんとやら。悪いが、その女はうちのものだ。さっさと渡してくれないかね」
 「ご主人、そいつは、おれの話を聞いてからにしてもらおうか」
 そう言うと、政五郎は、驚くべきことを言い始めた。

 実は、政五郎はたちの悪い口入屋の話を聞き、生来の男気から、一つ、その根本を絶つべく動き始めていた。そんな中で、千住での様子を探るため訪れ、偶然にも蔦に出くわしたというわけであった。
 「というわけよ。お前さんがたも、その口入屋の悪巧みを知らなかったとは言わせないぜ」
 その政五郎の言葉に、亭主は一言もない。確かに、かどわかし同然に連れてきた娘を安く買いたたき、働かせているのは承知のうえだったからだ。

 「そちらさんは、もとよりお上のお許しを得ていねぇ稼業。おそれながらと訴え出ればどうなる」
 「政五郎さんとやら、脅す気かね。ならこちらにも考えがあるよ」
 薄ら笑いを浮かべて、亭主が、隣の男たちに目配せする。男たちが懐に手を入れた。
 「やめぇねぇか」
 政五郎は一喝すると、目にも止まらぬ勢いで懐の包丁を畳に突き立てた。
 「おれとて、事を荒立てたくはねぇ。だが、そちらがその気なら」
 その語気の鋭さに、男たちは毒気を抜かれたようになる。
 「とまあ、ここは、おいらに任せてくんねぇ。悪いようにはしないよ」
 そう言うと、数枚の小判を畳に並べた。
 「こいつは、ご苦労賃。後は例の口入屋を締め上げて、いくらかお返ししようじゃねぇか。どうだい」

 政五郎は蔦を連れて、母親の待つ長屋に急いだ。母親の身を思うと、蔦の胸は、潰れそうになっている。
 「まぁ、お蔦ちゃん。どうしたんだい。今まで」
 「おばさん、おっかさんは、おっかさんは」
 「大丈夫だよ。お前さんをずっと待っていたよ」
 部屋に飛び込むと、母親は床から起き上がり、大粒の涙を流す。
 「蔦、蔦。よく無事で」

 蔦の母親は、大家の親切もあって、そのまま長屋で暮らしていた。住人たちも、陰日向に心遣いを続け、その甲斐あって、病は快方に向かったわけではないが、余命をつないでいた。それも、母親のいつか娘は帰ってくる。それまでは、との強い思いがあったためだろう。
 「あんたがいなくなったのに、源治がからんでいるだろうと噂でさ」
 いたたまれず、源治はいつか姿を消したという。

 「その後、二年ほど、母は命をつなぎました。何とか親孝行の真似事だけはできました」
 蔦は、政五郎の店で働きながら、口入屋稼業のイロハを覚え、暖簾分けの形で五年ほど前に今の店を開いたという。
 「わたしのような娘が出ないように、それなりの働き口が探せる商売を、とそれだけが願いでやっております」
 
 蔦は、「今自分があるのは、すべて政五郎旦那のおかげ」と何度も口にする。その名を出す時、蔦の頬が赤らむのを佐那は見逃さない。
 「お蔦さんは、政五郎さんをどう思われてるのですか」
 蔦は、その問いに驚いたような顔をして
 「何をおっしゃるんです。旦那には、立派なおかみさんが。わたしのような者がどう思おうと」
 しどろもどろになる。それに、佐那は、してやったりとの微笑みを浮かべる。
 「いいではありませんか。人が人を思うのは当たり前」
 剣客の娘とはいえ、さすが江戸っ子である。粋なせりふを口にする。
「でも、華奈さまには采女さま、吉乃ちゃんには惣太さん。それにお蔦さんも。ところで、わたくしには、いつそんな方が現れるのでしょう」
佐那が溜息まじりにぼやく。
「どうです。華奈さまに占っていただいては」
蔦がそんなことをいう。少し心が動いた風だったが、
「いえ、遠慮しましょう。一生現れないなんて出たら大変ですから」
三人の笑い声が一段と高くなる。

だが、それから間もなく佐那の運命を変えることになる男が登場することを、誰も思いもしていなかった。もし、ここで華奈が、易を立てていれば、どうなっていたことだろうか。この男、佐那の運命を変えただけではない。日本という国の運命を大きく左右することにもなる男である。
その男の名は。
坂本竜馬、という。                     
                     第一部了

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