幸平 連載時代小説 別編2 中華幻想5

幸平 連載時代小説 別編2 中華幻想5

 

  それからの真備

 

 

帰朝してからの真備にはさまざまなことがあった。順風も、そして荒天も。だが、その間に吉備朝臣の姓を賜わるという身に余る恩顧もあった。何よりも唐から持ち帰った新知識が、この国にとって、いかほどか役にたったことを喜びもした。そんな真備が朝廷内の政争のあげくに九州に左遷されて間もなくのことであった。思いもしないことが起きた。六十に手が届こうかという彼に再び唐に赴くようにとの命が下ったのである。それも、遣唐副使という重責を担ってのことであった。

真備らの一行は天平勝宝四年に入唐したが、滞在中の長安では、玄宗皇帝の側近となっていた朝衡こと阿倍仲麻呂のおかげで、これまでに例のないほど手厚い接待を受けた。

ある夜のことである。かつての留学生同士ということで、二人だけの宴はどうだろうかとの誘いをうけた。

「どうお呼びすればよろしいか」

「仲麻呂でよろしゅうござるよ」

「左様ですか。では仲麻呂どの」

「懐かしい。長くその倭名を聞いたことがござらぬゆえに」

仲麻呂は、再三帰国を願い出ているが、なかなかお許しがないと嘆く。真備は、それを慰めるなど、二人は、懐旧、現今、さまざまな話を尽くした。それが一段落した時である。真備は、少し考え込むと、仲麻呂に頼みがあると話を始めた。

それは、かの女のことであった。

「わかり申した。お調べいたしましょう」

数日して、仲麻呂からの文が届けられた。それによれば、既に妓楼そのものが無くなっていたといい、そこにいたものたちの消息も最早知れないということだった。

その夜、真備は夢を見た。月明かりに浮かぶようにして、女が牀前に姿を見せる。

「お久しぶりでございます」

「ああ、どうしていた。息災であったか」

「はい、あなたさまが倭国にお戻りになって、間もなくでございました」

ふとした病で、命を落としたという。もとより、妓女風情である。無縁仏として名もない寺に葬られて、供養するものもなく今に至ったと話す。

「知らぬこととはいえ、かわいそうなことをしたな。お前のことを知る辺に頼んでおくべきであった」

「それでは、お願いしてもよろしゅうございますか」

「何事ぞ」

「どうか、わたくしを倭国にお連れくださいませぬか」

「はて、どうせよというのだ」

「これをお持ちいただければ」

女は、手巾ほどの薄絹を真備に託した。

「倭国にお連れいただければ、わずかでもお役にたてるのではないかと思うております。ではくれぐれもお願いもうします」

そういうと、女の姿は、その薄絹に吸い込まれるようにして消えていった。

翌朝、真備は目覚めた後、枕元にその薄絹を見つけた。そして、しばらく瞑目すると、それを帰り支度の荷物の奥底に大切にしまい込んだ。

天平勝宝五年十一月十六日、四隻の船が蘇州の港を出発した。第一船には大使と、ようやく帰国を許された仲麻呂が乗り、真備は第三船に乗り込んだ。

その船の水主の一人が奇妙なことを言って、船頭にたしなめられていた。副使さまの後ろに大きな白狐のようなものがついてきていたというのだ。

だがこの男は、かねてから、見えぬものを見たとか空言を言うと回りから軽んじられていたこともあり、そのことはいつか忘れられてしまった。

真備が白面金毛の九尾狐を連れて帰ってきたとか、連れ帰ったのは女の霊で、それが生まれ変わって白狐の葛の葉となり、生んだ子が陰陽師の安倍清明だなどとかいう後の奇談のもとが、これであったのか、いや果たして、その水主の一件そのものが実際にあったかも、今となってはわからない。

だが、真備はやはり何ものかに守られていたのかもしれない。

帰国してからは、太宰大弐という官職で十年もの間、九州に追いやられたままだったが、政敵の恵美押勝が起こした乱の制圧に軍師として貢献するなどして、最後は右大臣に昇るまでに名を遂げた。そして八十一歳で天寿を全うし、押勝や玄昉、道鏡などのように、一時は得意にありながらも、ついには悲運に沈むといったようなこともなかった。それは、極めて恵まれた生涯といってよかろうか。

真備は没する四年前に骸骨を乞うて許され、表舞台から身を引いた。そして、亡くなる前日には日蝕があったという。偶然のことではあろうが、この人物を守護してきたものの最後の餞にも見えた。

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