幸平 連載時代小説 別編2 中華幻想6最終話

幸平 連載時代小説 別編2 中華幻想6最終話

     それからの吉行


反マルキストを称し、プロレタリア文学に対抗する新時代の作家と息巻いても、所詮は一人の男と、正体の知れぬ一人の女。不幸な、地図に出てくる男女、に過ぎないのかもしれぬ。吉行は自嘲気味に思う。近代人に恋愛感情は必要ない、聡明な男女は恋愛なんかしないと嘯いても、どこかにあの女のことが引っかかっている。

「吉備真備、生まれ変わり、前世からのえにし。そんな非科学的な、冗談じゃない」

吐き捨てた。

女の置手紙の言葉が頭の中で回っている。

吉備真備は、同郷の大先達ではある。だが、郷土の偉人ということであれば、和気清麻呂のほうが、帝にとって代わろうとした道鏡の野心を挫き、皇統を護った忠臣という意味で県民のうけがいい。それに対して真備は、大臣の位に恋々として、道鏡に媚びへつらったかのように誤解され、はなはだ評判はよろしくない。だが、天邪鬼の吉行は、もとより作り物の忠臣なんぞは気に入らない性質だ。だが、真備の生まれ変わりなど信じられるわけはない。それに、真備という人物は、その言い伝えにもうかがえるように、どこか胡散臭いやつではないか。

唐人の企みで鬼の出る高殿に閉じ込められ、出される無理難題を見事退けたとかなんとか。

難解な書物の内容を一夜で暗記した。天井の格子を碁盤に見立て、これも一夜で囲碁をものにし、囲碁名人を打ち破った。双六の筒に日月を閉じ込めた。迷路のように入り組んだ漢字を明神と観音の加護で差し遣わされた蜘蛛のあとをたどって読み解いた。これが、予言の詩「野馬台詩」だった。

どれもこれもが笑止千万だ。彼女の手髪にもそのことが触れられていた。だが、書き添えられた、読み解かれた詩の一部、が少し心にかかった。

猿犬稱英雄

星流飛野外

鐘鼓喧國中

靑丘與赤土

茫茫遂爲空

猿や犬が英雄だといい、戦いの鐘や太鼓が鳴り響く。青い丘と赤い土。後は空となる。

「青は青天白日旗で国民党、赤は共産党と見立てれば面白いでしょ」と彼女は書いていた。後付けにすぎない話ではある。しかし、吉行は、その続く台詞に肝を潰した。「赤は日の丸で日本かもしれない。青い中国とともに何もかもすべて、空、に帰すともよめそうでしょう 」と。

そして、手紙のその最後は、「また来世で」と奇妙な別れの一言で結ばれていた。


急に東京に戻ることになり、磯川に連絡する。先だっての埋め合わせは次の機会にするからと告げると、簡単な昼餉の送別会でもと招待を受けた。だが、間もなく日本に帰るのに虹口の料理店で日本食というのが、いかにも磯川らしい。ともあれ、上海としばしの別れという感傷に加え、新聞記者とはいっても、いつもの吉行の相手とは畑違いという安心感もあったのだろう。つい、磯川に尋ねてしまった。

「僕の小説はどうかな。ちょいと感想を聞きたいね」

どうせ読んでもいまい、と分かりながらも、ちょっとした悪戯心である。案の定、磯川は目を白黒させる。

「いや、その何です。評判はよく聞きますよ」

やはり、そうであった。だが、それ以上追い詰めるのも可哀そうかと思い、吉行は鉾を納める。

「でも、どうしたんです。突然感想なんて」

それは、最近の作家仲間との微妙なずれを感じていたためでもあろう。雑誌「近代生活」を嘉村磯多や龍胆寺雄、飯島正らと作ってはいるが、今一つしっくりといっていない。特に龍胆寺らが「モダアン派」としてもてはやされていることをよいとは思っていない。だか、その彼が、近代主義文学も吉行エイスケで行き止まりだと考えていることも分かっている。

「ああ、もういっそ文学なんかやめちまって、株屋にでもなるか」

吉行は、投げやりに吐き捨てた。

 「そうだ。吉行さん。探偵小説なんてどうです。ひとつ書いてみませんか」

 磯川は唐突に、そんなことを言い出した。冗談ではなさそうだ。真顔である。

明治以来、探偵小説といえば、翻訳ものが主流だったが、数年前に江戸川乱歩という男の「二銭銅貨」という作品が話題となって以来、その手の作家も増えて本も結構売れているとは聞いていた。だが、所詮は自分とは無縁のものだ、と吉行は思っている。

 「どうかな。そう興味はないよ。まっ、いい材料でもあれば別だろうが」

 すると、磯川は少し考え込んでいたかと思えば、こんなことを言い出した。

 「それについては、つてがないわけでも」

 磯川は、岡山の警察に奉職している自分の叔父が、役にたつのではないかと言い出した。その彼は岡山では名警官として、それなりの評判だという。

 「磯川常次郎というんですが、面白い話が聞けると思いますよ」

 吉行は、少し興味を覚えた。機会があれば、岡山で会ってみてもよいとも考える。だが、いつのことになるか。ともかくは、時間が惜しい。それが問題だ。やらねばならぬことが多すぎる。

 「そうだな。帰郷はなかなか思うにまかせないが、うまく都合がつけば、頼むかもしれないよ」

 「ぜひに。ご連絡くだされば、場を取り持ちましょうよ」


 しかし、結局は、後々もそのような場がつくられることはなかった。吉行が探偵小説をものするということもまたなかった。それどころか、彼は、数年後には筆を折って作家の道を捨てる。新たに身を投じたのは相場の世界、兜町に足しげく出入りした。だが、それも束の間、突然の病で急逝する。三十四歳という若さである。後に残されたのは、家庭をほとんど顧みなかった吉行に代わり、美容師として家計を支えた妻のあぐりと一男二女。そして、当時としては莫大な数十万円にも上る借金であった。

上海を舞台にした数編の小説やエセー、詩や戯曲などの作品群も残された。だが、あの不思議な街での出来事が、彼が経験したすべての真実が、そこで書き尽くされていたのかどうか。それを確かめる術はない。

 

 一方で、結局は吉行と出会うことのなかった、くだんの磯川常次郎は、昭和十二年に県内で発生した凄惨な殺人事件を取扱い、その際に一人の私立探偵と出会うことになる。やがて、この金田一耕助という男は、岡山だけではなく日本中を騒がせた多くの難事件を解決していった。その探偵との関わりで、岡山警察に磯川警部ありとの評判も生まれた。だが、それはまた別の物語である。

                  了

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