幸平 連載時代小説 その5
幸平 連載時代小説 その5
小太と十露盤 第五回
十露盤は幸せ合わせ
物産問屋の「上州屋」の娘、吉乃がどうにもわけのわからぬ病で患いついたのは間もなくのことだった。医者や薬と手を尽くすが、どうにも芳しくない。
心配顔で訪ねて来た蔦に、主人の源兵衛が悩ましげな顔つきで応対している。
「ともかく、明日をもしれぬというわけでもないのだが、日がなぼんやりとしているかと思えば、突然気を失ったりという風でね」
そういう源兵衛に、蔦が医者や薬でだめなら、ここは一つ占いでも試してみてはどうかと水を向けた。さらに、知り人に、十露盤で易を立てるお方がいるので、お伺いを立ててみてはいかがという。
そのお方は、武家の息女で、今は親類の大店に逗留されている。それだけに、易占はあくまで人のため。報酬も受け取らないし、よほど懇願されぬ限りは卦を立ててもらえないのだが、わたしはかねてからの知り人なので、と巧みに説得する。
「それがね。このお方はあの越前屋さんのご内儀のご親類で、お若いですが、その易の腕前は確かでございますよ」
「あの越前屋さんの」
源兵衛は、その大店の名を聞いて安心したらしい。
翌日、華奈は佐那とともに上州屋に現れた。
「香山華奈でございます。そして、こちらは千葉佐那さま」
「千葉佐那です」
「千葉、佐那さまとおっしゃると、あの、おっ」
鬼小町と言おうとしたのだろう、源兵衛は慌てて「桶町千葉の」と言いなおす。
「わたくしの易には、佐那さまのようなお方の助力が必要なものでして」
吉乃が臥せっている部屋に案内された二人は、さも初めて会うような顔をして挨拶する。なかなかの役者ぶりだ。
二人は、吉乃の寝床の傍に座を占める。
「では、佐那さま、お願いいたします」
そう言われて、佐那が用意された半紙に何か書き記していく。それを折り畳み、華奈に渡す。受け取ると、仰々しく、持参した十露盤の下に置く。
「それでは、娘ご、頭に浮かんだ数を六つ教えてもらえますか。十より上であれば、どんなに大きくてもよろしいので」
吉乃が口にした数を、また、佐那が半紙に記す。
「この数を、先ほど佐那さまが記された数、佐那さまには一から九まで頭に浮かんだ数を記していただいております。それで割ってまいります」
華奈、二枚の半紙を並べると、十露盤に玉を置いていく。
「数には必ず、陰陽の気があります。二で割り切れるものは陰、割り切れぬものは陽となります」
並べ終えた十露盤を皆に示す。
「最初の数は割り切れませぬ。陰でございます」
これを、三回繰り返すと、その結果を紙に記した。
「それぞれを爻と申しますが、初爻、二爻ともに陰、次が陽。これを八卦に置き換えますと、艮という卦です。これが下の卦となります」
さらに、華奈は同じように続けて十露盤を置いていく。
「このようなものを得ました。上下とも同じ艮、これは艮為山という卦でございます」
そして、華奈は、この卦の意味するところを説き始める。これは「不動」、つまり「動かない方がよい」ということを示している。今、縁談など進められている話があるなら、それは止めるべきである。さすれば、娘ごの病気もすべて快方に向かうと。
それを聞いた源兵衛は納得したようにうなずいた。
「左様ですか。動かない方がよい、のですか」
彼は家内に何事かをささやいた。家内がそのまま座を立った。
「実を申しますと、娘には縁談が持ち上がっておりまして。進めておったのですが、こんな病もあり、どうしたものかと考えておりました。ここは、華奈さまのおっしゃる通り、お断りしようと意を決めましてでございます」
数日後、蔦から明神下の店に足を運んでいただけないかといってきた。華奈は、清にその旨を告げ、七助とともに明神下に出かけることにした。七助は喜色満面である。
「お嬢様、手前が生まれたのは明神下なんでございますよ」
日本橋の店を出て、神田に向かう。昌平橋の手前まで来ると、七助は走り出さんばかりである。
「七助さん、せっかくですから、お参りしてまいりたいのですが」
神田明神が大己貴命と平将門公を祭神としていることは、道々、七助が自慢げに話してくれた。大己貴命は大国主命であるが、華奈が気になったのは、将門公が祭られていることだった。
将門公が東国の武士の棟梁として、苛政に苦しむ人々のために兵を起こしたという、その義心に打たれただけではない。華奈の家が実は平氏一門に連なる家系であることに、縁を感じたためでもある。
参道の両脇には、多くの店が立ち並び、にぎやかな声が聞こえてくる。
「おい、七、七じゃねぇか」
突然、五十がらみの男が、声をかけてきた。
「こいつぁ、おじさん。ひさしぶり」
「どうしたい。お店でもしくじったか」
「冗談じゃねぇや。お嬢様のおともだよ」
華奈は、軽く頭を下げる。男は、慌てたように会釈を返した。
「いや、どうも。あっしは、この七助の知るべでございます。善助といいやす」
「というわけで、おじさん。急いでいるからよ」
「わかった、わかった。ところで、七、どうなんだい祭のほうは」
「前は奉公に上がってすぐだったから駄目だったけど、今年は許していただけそうさ」
「そうか、そいつはいい。それでな」
七助は、立ち止まって待つ華奈の顔色を伺い、慌てて手を振って、善助の長くなりそうな話をさえぎる。
「お嬢様をお社にお連れしなくちゃならないからこれで。話は今度聞くよ」
華奈をうながすと、拝殿の方に歩き始める。
「どうです。お嬢様、立派なものでしょう」
権現造の社は、確かに、田舎育ちの華奈が見たこともないほどの神々しさである。思わず知らず、頭が下がる。采女の無事を願って、心底から祈りを捧げた。非業の死を遂げ、京師に晒された将門公の首は、東国に帰るため飛び去ったとの言い伝えを思う。
采女は必ず、自分のもとに「帰る」、祈りの中で、そんな確信が華奈を包んだ。
参拝を終え、蔦の店に向かう。
店構えは間口が五間足らず。さほど大きくはないものの、さすがに商売柄、人の出入りは多いようだ。
「取次いでまいりますから、お嬢様お待ちください」
七助が店に飛び込んでいった。
店先に立てかけてある板には、さまざまな職の紹介を記した紙がぶら下げてある。その紙を覗き込む人の姿をぼんやりと見つめていると、蔦が七助とともに店先に現れた。
案内された奥座敷には、既に佐那が待っている。二人を上座に座らせ、
「すっかり、吉乃ちゃん元気になって。みんな華奈さまたちのおかげですよ」
蔦がニコニコしながら礼を述べた。
「それにしても、十露盤易とは考えたものですね」
佐那は感に堪えぬようだ。もちろん、吉乃の一件は事前に仕組んだものである。数は最初から口裏を合わせていた。だが、十露盤易はまったくのデタラメではない。
これも采女が十露盤の稽古の際に、やり方こそ違え、華奈に教えたものだ。
「割り算をすることで十露盤の稽古にもなりますし、易経も学ぶことができる」
しかし、その際に采女が、珍しく真剣に付け加えた言葉がある。
「この易はあくまでも材料です。結果を決めるのは結局、人でしかありません」
そうしたことを語ると、佐那もなるほどという顔をする。
「ということは、この易はやはり当たるのですか」
蔦が尋ねた。
実際、華奈には、ちょっとした霊感があるのかもしれない。采女に手ほどきを受けた後、十露盤易を試してみると、これが意外にもよく当たる。少し怖い気もして、よほどのことがない限り卦を立てぬことにしていた。采女のこともそうだ。もし、悪い卦がでたらと思うと、恐ろしくてそれができない。
だが、このたびの吉乃の一件では、果たして自らの企てが間違いないのかとの思いもあり卦を立ててみた。
下卦はすべて陰爻の坤、上卦は、陰爻を陽爻が挟む離。「火地晋」の卦を得た。「周易」に、この卦辞は、次のようにある。
「晋、康侯もって馬をたまわること蕃庶にして、昼日に三たび接せらる」
領地を安んじた諸侯が、その功を称されて多くの馬をたまわり、一日のうちに三度もまみえることを許されたといったような意である。火を示す離が、坤、つまり地の上に出て、明るく照らすさまをいったものだ。晋は進に通じ、進んで事を行って吉というわけである。
しかも、陰陽が逆となり、本卦を補う変爻は五爻となった。この五爻の意を説く辞は、「悔亡ぶ。失得うれうるなかれ。往けば吉にして利ろしからざるなし」とある。この卦であれば、まず事を運んでも、間違いはあるまい。その思いで一計を案じたわけである。とはいえ、心の中にしこりがないわけではない。
「吉乃ちゃんのためとはいえ、あのような誤魔化しはやってはならなかったかもしれません。でも急場をしのぐには、あれしか思い浮かばず。すべて事が済めば、お詫びをと考えています」
華奈が苦しげな顔で心中をもらした。佐那もまた、自分も詫びをするという。だが、蔦はその必要がないとばかりに手を振る。
「大丈夫でございますよ」
吉乃の相手というのが気にかかった蔦は、それとなく調べてみたという。すると、思いがけない事が分かった。先方は一応は商いもまずまずのお店という触れ込みであったが、その内実は火の車、吉乃との縁談も、その金繰りのためというのが理由だったようだ。おまけに、相手の男には、吉原になじみの女がいるともいう。
「とんでもない奴らじゃありませんか。上州屋さんも、危うく食い物にされるところだったんですから」
店の小女が、来客を告げに来た。蔦が迎えのため、席を外す。ややあって戻ると、
「いえね、折角ですからお二人にご挨拶とお礼をと思いまして」
蔦が伴ってきたのは、吉乃と若い男である。この若者が惣太なのだろう。
職人らしく無口で、吉乃にうながされてペコリと頭を下げた。居心地の悪そうな、その表情に蔦が苦笑いしながら、もういいよ、吉乃ちゃんを送っていきな、と座を立たせた。
「ああ見えて、いい腕の職人なんですよ。間もなく一人前になるし、そうなったら、きちんと話をつけるって。それに、何ですか、新しい桜を作っているなんてことも言ってましたっけ」
蔦の話では、染井村の若い植木職人たちが知恵を絞って新たな桜を生み出そうとしているという。
「惣太の言うには、もう名前は決めてるって。ソメイヨシノだそうですよ」
「ヨシノって、それは」
佐那が問い返す。
「でしょう。惣太は桜の名所の大和の吉野のことだって言い張ってますけど、吉乃ちゃんのこともあるのに違いありません」
三人は顔を見合わせ、笑い声をあげた。
すると蔦が、その笑いを収めて、突然声を潜めた。
「采女さまのことですがね」
華奈も固い顔になる。
「何か分かりましたでしょうか」
采女が江戸にしばらく居たのは間違いないらしい。だが、その後すぐに京に向かい旅立ったという。
「京ですか」
「そうです。華奈さま。直ぐにでも京にとお思いでしょうが、それはお待ちになったほうがよろしゅうございます」
「入り鉄砲に出女」という。江戸から出る女の詮議は、入府する女に比べ特に厳しい。人質でもある大名の妻女が江戸を出て行かないようにするための手立てである。
「それに、采女さまは必ず江戸に戻ると言い置いていかれたようです」
「どなたにでしょう」
華奈が首をひねる。藩邸の人間ではなかろう。半ば咎人のように見られているのだから。すると蔦の顔に言い難いような色が浮かぶ。
「今のところ、そのお名は申し上げられません。ですが、確かなお方でございます。お察しください」
佐那が心配したように問う。
「華奈さま、どうなさいます。国許に戻られますか」
華奈は一瞬考え込んだ。
「しばらく江戸にいようと考えております」
実は、「艮為山」の卦は、華奈自らの先行きを示すものであったのだ。その辞にある「其の背にとどまりて其の身を獲ず。其の庭に行きて其の人を見ず」との意の示すごとく、恐らくは上京しても采女に会うことはかなうまい。さらにいえば、その変爻である三爻は、「その腰にとどまる。その背羽を裂く。あやうきこと心を焼く」と、無理に動けば、命すら危ういことを示唆している。自分の命より、采女の命のほうが心配だ。
当分は動かぬ方がよい。江戸で采女さまを待とう、そう決意した。
「それがよろしいでしょう。どうです。時々、道場のほうにも顔を出してください」
佐那にとっても、この新しい友の存在が大きなものとなりつつある。その彼女が江戸に残ると決めたことに喜びを感じていた。
「ありがとうございます。これからも是非にお付き合いくださいませ」
華奈が頭を下げる。
「わたしもお仲間に入れてくださいませよ」
蔦が、慌てたように付け加えた。
「もちろんですとも」
華奈と佐那が声を揃えた。その間のよさに三人が、再び笑いあう。
「こういう稼業をしておりますと、さまざまな話も入ってまいります。特にお二人のお役にたつようなこともございませんでしょうが、何かありますれば、ぜひお告げくださいませ。精一杯お力にならせていただきます」
蔦がそんなことをいう。それに二人は軽く頭を下げた。思い立ったように、佐那が問いかける。
「でも蔦さんは、なぜこのようなお仕事を」
その言葉に、蔦はしばらく考え込んだ。
