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【短編小説】影法師と暮す男(改訂版)

     影法師と暮す男 

「僕……麗子の影法師と暮しているんですよ」

 そう言われた時、恵太もさすがに我が耳を疑った。

 その日恵太は、上野の都美術館で開かれていた「クリムト展」を見ての帰りで、ふらふら道草をした果てに踏み込んだ縄暖簾でのこと……

 カウンターの左手に陣取っていた青年が、今見たばかりのクリムトのカタログをめくっているのに気付き、酒の勢いもあって声を掛け、意気投合しての会話に飛び出してきた台詞であった。
 青年の名前は緑谷周一……三十歳で、恵太とも同世代、有名美術展への入選を目指しての修業中の身だという。恵太にしても、学生時代は油絵にのめり込み、一時は画家を夢見たこともあったが、もとより画才乏しく、なんのアテもないままに卒業後は勤めにもつかずのアルバイト生活であった。
 周一君とは、絵の話はもちろん、割りのいいバイトの情報等、話も弾んで、つい恋バナに話題が進展した時だ。

 なんでも、麗子さんとは高校時代通学の電車で知りあったらしく、恋愛は順風満帆……周一君が美大に入ると同時に同棲を決め込んだらしい。

「麗子さんの家は、通信機関係の中小企業で、お父さんというのがやたら古いタイプ……絵描きの卵なんて認めない人でしたから、僕達、ほとんど駆け落ちって感じでしたよ……」
「凄い! なんか尊敬しますよ。僕なんか優柔不断だから、そんな勇気は……」

 恵太も相づちを返し、てっきり甘い同棲生活の話を期待していたのだが、話は急転直下……悲劇の様相を呈してきたのだ。

「確かに、初めの半年……まるで夢みたいな生活でしたよ。毎日毎日、僕は彼女をモデルに肖像を描きまくりました。……でも、ある日突然、麗子の奴、蒸発してしまったんですよ……」
「蒸発……?」
「事故、事件……あらゆる可能性にも手掛りがない。文字通り……忽然と蒸発したとしか……」
 行方は杳としてしれず、先だって失踪宣告が出されたという。

「僕がどれほど悲しかったか、分かりますか? どんなに苦しかったか、分かりますか?」

 恵太にして、相づちの打ちようも無い。

 どうやら周一君は、いささか精神を病み、アトリエにしていたアパートに戻ることも無く、七年もの間、実家の伊豆の旅館で気抜け人形さながらに引きこもったという。

「でも、失踪宣告が出された直後……夢を見たんですよ! 麗子が出てきて、僕にこう言うんです。『ずっとアトリエで待ってるのに、どうして私を描きに来てくれないの?』……まるで頬っぺたを張られた気分でした。そう。僕には麗子の肖像を描く責任があるんだ!」

 周一君は翌日、七年ぶりにアトリエに戻ったという。幸いアパートの部屋は、母親の手をもって保存されていたらしい。

「扉の前に立った時、ふうっと錯覚しましたよ。この部屋で、今でも麗子は僕を待っているんだって……」

 アトリエには、二人の恋の香気がいまだに漂っていたという。揃いのコーヒーカップ、彼女の趣味だった手芸用の毛糸の玉、編み棒……そして、いつも彼女がモデルを務める時に座っていた籐の椅子……

「そうなんです。麗子はやはり僕を待っていてくれたんですよ。ちゃんと、ポーズを決めて椅子に座っているんです。ただし……影法師になって……」
「それって……!」
「同情なんかしないで下さい。麗子は僕にこう言ってくれました。周一、あなたは天才なんだから、影法師をモデルにしても、立派な肖像画が描けるはずよ!」

 あれから三年が過ぎた。恵太は以後、緑谷周一とは会っていないし、結局連絡先を交わしあうこともなかったのだ。もとより、酒の席でのシュールな戯れ言……恵太にして長いこと失念していたものの、久しぶりに上野公園に足を向け、都美術館で開かれている『夢幻展』の表示を目の当たりに周一君のことを思い出したしだいであった。

 『夢幻展』といえば、当の周一君が、入選めざして出品を続けていた展覧会だったのだ。
 恵太は躊躇いも無く、入場券を求め会場に踏み込んだ。

 必ず、金賞に入賞しているはずの「麗子の肖像」という絵を見るために……

              了
 
   

 

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銀騎士カート 貧乏人です。創作費用に充てたいので……よろしくお願いいたします。