「非日常」に潜む「日常」
アニメは好きだか、その原点となっている漫画等に詳しいわけではない。
なにせ、家族が妙な思い込みの、「漫画は小学生まで」という掟を考案して譲ろうとしなかったのだ。
結果、中学以降……漫画週刊誌などは、一度も手にしたことはない。
そんな僕のことだから、とんちんかんな事を言うかも知れないがご勘弁願いたい。
最近アニメを見ていてふと気付いたことに……とにかく「仲間」が多いということである。「ONE PIECE」にしろ「Dr.STONE」にしろ、あるいは「ナルト」にしろ、主人公の周りを大勢の仲間が固めている。
確かに登場人物は多い方が、人間関係の絡み合い等で、ストーリーにも色味を持たせられることは理解出来るが……はて、この傾向はいつごろからなのだろうか?
時遡り……初代ヒーローと言えば「月光仮面」あたりだろうか?
たぶん、月光仮面に仲間はいなかったのだろう。
アニメの「鉄腕アトム」にして、友人とか、両親などの家族はいたのだろうが、バトルの時はたった一人だったはずである。
ウルトラマンや仮面ライダーも、基本は一人だったと思うが、時代が下るに従い……そう、戦隊シリーズあたりからだろうか……不意に人数が増えてゆく。
要は、主人公の周辺を色々なキャラが取り囲むようになる。
確かに、分からぬでもない。時代の要請なのだろうか?
ヒーローを己に準えるにして、孤立無援では始終緊張を強いられるわけで、見ているだけで疲れてしまうのかも知れない。
反面、周りに多彩な仲間がいれば……つい手を抜いても、ぞっこん頼りになる相棒が補佐してくれるだろうし、失敗して落ち込んでも、仲間の中にはもっと「ダメ系」もいたりすれば、救いになりそうである。
はて? アニメなどは本来、「非日常」の世界のはずが……どうやら視聴者は、「学校」や「職場」といった「日常」を重ね合わせているようにも思えるのだ。
かって勧善懲悪的な作品では、スーパーヒーロー達は多くの悪役相手に、一騎当千の活躍を見せてくれたようだが……かかる「非日常」を現代では受け入れないのだろうか?
近頃のアニメでは、強い悪役を、あたかも大企業相手の中小企業が行使する「ランチェスター戦略」みたいな策に出たり、時には、寄ってたかってやっつけるというパターンも散見される。
「非日常」どころか、「日常」のど真ん中だろう。
ついては……どう足掻いても、「日常」からは抜け切れないその悲しさこそ、「理想の友達、同僚、上司」としての「仲間」の要請なのだろうか?
そう。アニメに於ては、「異世界」や「魔法」といった「非日常」を舞台とすることが多い。必死に、「日常」から遠ざかろうとする叫びの現れなのかも知れない。
しかし、どんなに遠ざかろうと必死になっても、「日常」は宿命のごとくに纏いつく。
思えば、「日常」とは案外無縁であった時代を、我々は知っている。
すなわち「子供の王国」である。
当時、僕はオリジナルの漫画を描いたことがあった。「秋の魔王」という題名だったと思う。「日常」の入り込まない世界にあって、主人公には一人の仲間も想定していなかったはずだ。
どんな筋立てであったかは失念してしまったが、その絵柄に於て……今でも鮮明に記憶している事実があるのだ。
主人公の「秋の魔王」には、横顔しかなかったことである。
今思えば、正面に見えるはずの「日常」には目もくれず、横手にひろがる「非日常」のみを表現したかったのかも知れない。
大人には理解出来ない、「世界の彼岸」を探りたかったのだろう。
たぶん……成長してしまった我々が、本当の意味での、そんな「非日常」に突き落とされたとしたら、叫びだしたいほどの「孤独」を覚えるに違いない。
あたかも、虫に変身したグレゴール・ザムザのように……
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