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北の開拓者:エドウィン・ダンの足跡

プロローグ:巨人と、その傍らにいた一人の男

北海道を旅すると、私たちは至る所でジンギスカンや美味しいスイーツに出会います。今や「スイーツ大国」として知られる北海道ですが、私たちがこうした豊かな食文化を楽しめるのは、一人の外国人の存在があったからこそと言っても過言ではありません。

その名は、エドウィン・ダン。
明治時代の初め、真駒内(札幌市)の大密林を切り開いて「真駒内牧牛場」を築き、現在の「酪農王国・北海道」の礎を作ったアメリカ人です。
1873年(明治6)、わずか24歳で牛や羊を連れて太平洋を渡り、開拓使の技術指導者として来日した若き開拓者でした。

晩年のエドウィン・ダン(1848~1931)

教科書や観光パンフレットの中の彼は、どこか遠い世界の「お雇い外国人の巨人」として収まっていますが、私にとってのダンは、もっと親近感のわく、生身の人間として現れてきます。

そのきっかけは、一枚の手書きの家系図に記された「小谷熊造」という名でした。

信頼で結ばれた「常夫」としての絆

家系図を紐解き、断片的な記録を繋ぎ合わせていくと、驚くべき事実が浮かび上がってきました。
私の親族であるこの小谷熊造は、当時、ダンの身近な協力者(常夫)として、彼と共に真駒内の土を耕し、寝食を共にした一人だったのです。

当時の真駒内は深い森で、ダンは西郷隆盛から贈られた太刀を背負い、銃やピストルを手に森へ入ったといいます。
そんな過酷な現場で、ダンと熊造は共に汗を流し、言葉の壁を越えて信頼を築いていきました。

また、ダンは仕事だけでなく、私生活においても日本に深く根を下ろしました。彼は日本人女性・松田ツルと結婚し、この北の大地に家族を築いたのです。異国の技術者としてだけでなく、一人の人間として北海道を愛し、日本で生きる道を選んだダンの決意。その傍らには、常に小谷熊造のような信頼できる日本人の存在がありました。

贈られた時計が刻む、一世紀半の物語

二人の絆を象徴する、忘れられないエピソードがあります。
熊造が独立を考えた際、ダンは彼に「これからの時代、肉食は必ず普及する」と説き、肉店を開店することを助言しました。小谷熊造はその言葉を信じて一歩を踏み出し、ダンは彼への開店祝いとして、一つの時計をプレゼントしたのです。

驚くべきことに、その時計は今も大切に保管され、札幌市南区にある「エドウィン・ダン記念館」で見ることができます。
150年近い時を経てもなお、そこにはダンの温かな情愛と、熊造の感謝の念が静かに宿っているかのようです。

小谷熊造がエドウィン・ダンから贈られた「銀側暦時計」。当時は、まだ、時計店はなかったと思うので、この時計は、ダンが愛用していたものだったのでは?と思っている。当時も高価だったに違いない。二人の関係がこの時計からも推察できる。

「人物考古学」で見えてくる、もう一つの北海道史

偉人の背中を追うだけでなく、その傍らにいた人々の視点から歴史を掘り起こす。これこそが、私が目指す「人物考古学」の醍醐味です。
2026年は、ダンが北海道へ来て、真駒内牧牛場を開設してからちょうど150周年の節目にあたります。

今も真駒内の公園に建つダンの像が見守る風景の中に、私は熊造たちの生きた証を重ね合わせているのです。

エドウィン・ダンの銅像。肩に子羊を担ぎ、手にはフォークを持つ農夫姿。1964年(昭和39)に彫刻家・峯孝によってスケッチに1年、制作に3年がかけられた大作である。

知られざる「開拓の息遣い」をめぐる旅に、どうぞお付き合いください。




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