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小十郎は荷を見て、成実は列の先を見る|政宗だけを見ない忠臣

忠臣とは、主君をよく見る人。

そんな印象があります。

顔色を見る。
考えを読む。
危うければ止める。
迷えば支える。

もちろん、それも必要です。

けれど戦場へ向かう伊達の列を考えていると、私は少し違うことを思います。

家臣全員が政宗だけを見ていたら、その軍は危ない。

主君を見ていない目も、必要なのではないでしょうか。

小十郎は、政宗ではなく荷を見る

片倉小十郎といえば、政宗の名参謀として知られています。

冷静で、先を読み、危うい主君を現実へ戻す。

これまで私も、小十郎について何度か書いてきました。

ただ今回は、その「冷静さ」をもう一度説明したいわけではありません。

私が気になるのは、

小十郎は何を見ているのか

ということです。

軍が出れば、兵だけが動くのではありません。

飯がいる。

馬がいる。

矢がいる。

荷を運ぶ者がいる。

道が細ければ列は伸びる。

渡しで詰まれば、前だけ進んでも後ろが来ない。

敵と戦う前に、軍そのものが崩れることもあります。

若い政宗が前を見る時、小十郎はその後ろを見る。

政宗の背中を見守る、という意味ではありません。

荷がついてきているかを見る。

ここが面白いのです。

前へ進めるかどうかを、勇気ではなく、腹を満たせるかどうかで考える人がいる。

これは格好よく見えにくい仕事です。

けれど、戦を続けられるかどうかを最後に決めるのは、こういう現実です。

成実は、政宗ではなく列の先を見る

では成実はどうでしょう。

成実を「熱い男」と書くことも、もう十分にやってきました。

今回見たいのは、その熱の向いている先です。

成実は、前を見ます。

敵だけではありません。

列の先。

これから兵が向かう場所。

前へ出たがっている者。

止まりすぎて、気持ちが萎み始めた軍。

兵は飯だけで動くわけではありません。

どれほど兵糧があっても、

「なぜここにいるのか」

が分からなくなれば、足は重くなる。

慎重になりすぎれば、

「本当に戦うつもりなのか」

という空気も生まれる。

成実が見ているのは、そんな軍の体温です。

だから、

前へ出たい。

槍を鈍らせたくない。

兵に前を忘れさせたくない。

それは単なる血気ではありません。

軍がまだ前へ進める状態かどうかを見ている。

小十郎とは、見ている現実が違います。

二人の声がぶつかるのは当然だった

荷を見れば、急ぐなと言いたくなる。

列の先を見れば、止まりすぎるなと言いたくなる。

どちらも間違いではありません。

だから厄介です。

片方が正しく、片方が間違っているなら、若い当主も楽です。

正しい方を選べばいい。

けれど戦場では、

前へ出なければ機を失う。

前へ出すぎれば荷が切れる。

兵を休ませれば体は戻る。

休ませすぎれば熱が落ちる。

一つの正解が、別の場所では失敗になる。

小十郎と成実は、同じ政宗を見て意見を争っているのではない。

そもそも違う場所を見ている。

だから二人の声は噛み合わない。

私は、そこが好きです。

政宗だけが、二人の間に立つ

そして一番重要なのは、ここからです。

小十郎が荷を見ている。

成実が列の先を見ている。

ならば政宗は、何を見るのでしょうか。

両方です。

少なくとも当主には、それを求められます。

「小十郎、どうすればよい」

と聞き続けるだけでは足りない。

小十郎は、荷が遅れているという現実を出す。

「成実、お前ならどうする」

だけでも足りない。

成実は、兵が前を欲しがっているという現実を出す。

二人は答えを決めてくれません。

それぞれが、自分の場所から見えるものを政宗の前へ置く。

そして最後に、

進むのか。

待つのか。

どこまで出すのか。

どこで止めるのか。

決める人が一人残ります。

政宗です。

家臣が有能であるほど、主君が楽になる。

必ずしも、そうではないのかもしれません。

優れた家臣が別々の現実を持ってくれば、

主君はむしろ逃げられなくなります。

主君の機嫌を見ているだけでは、軍は残らない

若い当主の近くにいる家臣ほど、難しい立場だと思います。

政宗が前へ出たいと言えば、

「さすがです」

と言うこともできる。

慎重になれば、

「賢明です」

と言うこともできる。

主君の答えに合わせれば、主従はぶつかりません。

でも、それでは意味がない。

荷が遅れているなら、遅れていると言う。

兵が萎んでいるなら、萎んでいると言う。

主君が聞きたいことではなく、

主君が知らなければならないことを持ってくる。

私は、そこにも忠誠があると思います。

忠臣という言葉は、主君へ向いている言葉に見えます。

けれど、本当に主君を支えるためには、

時に主君から目を外さなければならない。

荷を見る。

兵を見る。

道を見る。

敵を見る。

退き口を見る。

主君が一人では見切れないものを、別の目で見続ける。

それを持ち帰る。

小十郎と成実がいるから、政宗は決めなければならない

小十郎は、正解を教えるためにいるのではない。

成実も、政宗を勢いづかせるためだけにいるのではない。

二人がいることで、

政宗の前に見える現実が増えます。

それは助けです。

でも同時に、苦しさでもあります。

知らなければ、勢いだけで進めた。

見えなければ、失敗した後で「仕方なかった」と言えた。

けれど、

荷が遅れていると知った。

兵が前へ出たがっていることも知った。

両方を聞いた。

そのうえで命じなければならない。

そこから先は、家臣の責任ではありません。

当主の責任です。

私は、小十郎と成実の主従を読む時、

二人がどれだけ政宗を愛していたかだけではなく、

二人が政宗の代わりに何を見ていたか

を考えたいのです。

主君だけを見ない。

だから、主君を支えられる。

小十郎は荷を見る。

成実は列の先を見る。

そして二人が見ていない真ん中に、

若い政宗が立つ。

どちらも正しい。

だからこそ、

最後は自分で決めなければならない。

その瞬間に初めて、

政宗は「家臣に守られる若君」から、

家臣が持ってきた現実を引き受ける当主へ、

少しだけ近づくのだと思います。


関連して読むなら、
「蘆名を前に、政宗は誰の声を聞くべきだったか|輝宗・小十郎・成実」へ。

あなたが当主なら、

**「荷を見る小十郎」**と
「列の先を見る成実」

どちらの報告を先に聞きたいですか。

一言だけでも聞かせてもらえるとうれしいです。

次回は、二人の視線からもう一歩外へ出ます。

若い当主を支えるのは、有名な家臣だけではありません。
命令を受け、荷を運び、道を歩く名も残らない兵たちから、伊達の戦を考えます。

独眼竜になる前の政宗を、本人の才能だけではなく、父、母、妻、家臣、敵、土地、そして兵が見ていた現実から追っています。続きを読みたい方は、フォローしておいてもらえるとうれしいです。

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