怒りの内省録
こんばんは。今日もお疲れ様です。
とにかく怒りがとまらなくて。人に言うのも憚られえるけどどうしても自分だけでは処理しきれないこの気持ちを、たれ流してもいいですか。
かと言って、それとなく小洒落た文章にはしてみたい、プライド。
プライド=虚栄心。
怒りの裏側にある感情。
怒りは「二次感情」と呼ばれ、その下には
・寂しさ
・虚しさ
・不安・
・期待外れ
などの一次感情が隠れている。
一次感情
ある出来事に直面した際、**反射的に沸き起こる「最初の感情」
二次感情
コップの水をイメージする。
まず「悲しみ」や「不安」という一次感情がコップに溜まる。
それが溢れそうになったとき、自分を守るための防衛本能として、あるいは溜まったエネルギーを外に出すために、「怒り」という蓋をして表出される。
あくまで怒りは「何かしらの一次感情」があっての感情
そうなのか。では私は何に対してここまで怒っているのか。
一つではない。様々なことが重なっている。
せっかく頑張ったのにという独りよがりな気持ちと。自分のためにやったことなのに、他の誰かに裏切られたと感じる逃避。
「なんで通じないかな」という押し付け。
「怒り」になる前に努力できなかったのか?
疑問がわいてきた。
いや、努力はしていたはずだ。
通じない言葉を尽くし、届かない期待を積み上げ、溢れそうなコップを必死に支えていた。
その「支えていた時間」のなかに、私の一次感情は静かに溜まっていたのだと思う。
期待が外れたときの、あの冷たい指先。
理解されないと悟った瞬間の、喉の奥の渇き。
それらを「努力」という言葉で誤魔化しきれなくなったとき、私は怒ることでしか自分を守れなかったのかもしれない。
内省
結局、私は怒りたかったわけではない。
ただ、自分のなかの「悲しみ」や「落胆」を、誰かに、あるいは自分自身に、正しく見つけてほしかっただけなのだ。
怒りという激しい炎を灯さなければ、その暗くて静かな感情を直視する勇気が出なかった。
今、こうして言葉にしてみる。私の怒りは、私が私を必死に守ろうとした証だったのだと。
そう思うと、少しだけ、この熱も冷めていくような気がする。
見つめ直す。リセットする。
そう決めて深呼吸をすると、書き殴った言葉たちが、どこか遠い誰かの物語のように見えてきた。
怒りに任せてペンを走らせたはずが、最後に行き着いたのは、自分へのささやかな労いだった。
明日の私は、もう少しだけ、このコップを軽やかに持てるだろうか。
それでも
それでも明日はやってくる。
今日の怒りは一旦落ち着くが、また再燃するときも来る。
それでも。
明日も生きる。
