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トムボーイ

性的客体化、見られる身体。ロールは女の子でありながら、男の子のフリをして近所の友達と交友を深めていく。

冒頭、父親と一緒にロールが車を運転するシーンがある。車というと、どうしても男の子が好きなものというイメージがある。一家は新居へと引っ越してきたのであるが、新しいロールの部屋の壁は青色。またしても男の子のイメージが定着している。身につけている服もノースリーブ、半ズボンが多く、それらは無地である。

対照的に、妹のジャンヌは長い髪の毛、好きなことは女の子っぽくお人形遊び。ロールと遊ぶその態度からも、いかにも可愛らしい女の子である。

姉妹の関係でありながら、対照的に描かれる2人。男の子はこうであるべき、女の子はこうであるべきという性的客体化が映画を通して全面に描かれる。これは主人公が男の子であれば、さほど意識されないのであろう。しかし主人公は女の子であるからこそ、この無意識的な差別に気付かされるのである。


ショットに言及すると、作品を通して顔のクローズアップが多いように感じた。これは人間の身体が見る/見られるのという関係性が示唆されていると考えた。精神は不可視なものであるため、我々人間が可視的にお互いを知る対象は身体でしかない。

始め、観客もロールが男の子であるのか女の子であるのかは分からない。ボーイッシュな見た目から、男の子のように見える。しかし妹と2人でお風呂に入るシーンによって、ロールの裸から女の子であることが判明する。この時点で、我々も身体によってロールを分別しているのである。

みんなで水遊びに出かけるシーンでは、ロールは水着の中に粘土を入れ、あたかも性器があるかのように振る舞う。これはロールが友達から見られているという意識の表れである。

終盤、ロールが女の子であることが友達に知らされ、それを確かめられるシーンがある。そこでは友達である男の子たちの顔の連続したクローズアップが印象的である。ロールを見つめる眼差しは、ロールの身体をまっすぐに見つめ、ロールを判断する。

人間は見る/見られるの関係性から逃れられないことが作品を通して示唆される。


非常に見てて苦しくなるような、ロールの繊細な心の揺れが描かれた映画であるが、観客に対してある種の問題提起をしているようであった。

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