書評『ハーメルンの誘拐魔』消えた少女たちを取り戻せ!
📙note024 書評『ハーメルンの誘拐魔 刑事犬養隼人』 中山七里
Audible ナレーション:杉村憲司
中山七里作品ならではの巧妙な仕掛けが今回も読者を魅了する、刑事犬養隼人シリーズ第三弾『ハーメルンの誘拐魔』の登場だ。緻密なプロットと予測不能な展開は、読者を最後まで飽きさせない。私の七里愛が溢れて、やや熱のこもった文章になっている点はご容赦いただきたい。
●あらすじ
ある夕方、繁華街のイベント開催中に記憶障害の少女が忽然と姿を消した。失踪現場には、「ハーメルンの笛吹き男」が描かれた奇妙なカードが残されていた。数日後、神社の境内から二人目の少女が消え、そこにも同じカードが発見される。さらに数日後、衆議院議員会館に子宮頸がんワクチン被害を訴えに訪れた五人の少女たちが、またしても忽然と消えてしまった。
連続誘拐事件として、警視庁刑事部犬養隼人は高千穂明日香刑事と共に捜査を開始する。犯人は、ワクチンの製薬会社と産婦人科学会に対し、70億円という巨額の身代金を要求してきた。奇想天外な受け渡し方法に翻弄され、捜査は後手に回る。しかし、犬養刑事は捜査を進めるうちに、事件の背後に隠された意外な真相に辿り着く。
●雑感
◆社会派ハードボイルド
中山七里の小説は、常に社会が抱えるタイムリーな問題に鋭く切り込み、読者に深い問いを投げかける。本作で扱われる子宮頸がんワクチン副作用被害という、現代社会において議論の余地があるテーマだ。前作では臓器移植手術過誤問題が取り上げられており、どちらも医療という重いテーマを通して、登場人物たちの追い詰められた心理や行動が克明に描かれている。
2020年以降、コロナウイルス感染症の発生以来、ワクチンに関する話題は私たちの身近なところで、時にデリケートな問題として存在している。仕事柄、多くの人と面会する機会があった私は、感染予防の観点からワクチン接種を決めていたが、妻も私の考えを理解し、共に接種してくれた。一方で、遠方に住む妹は、ワクチンの危険性に関する記事を目にしたため、いまだに一度も接種していない。それぞれの考え方や置かれた環境の違いがあるため、この話題に深く触れることは避けるようになった。
もし、ワクチン接種によって深刻な副作用が出た場合、その責任は誰が負うのか。本作はワクチン副作用被害が少数であっても決して看過してはならないと私たちに提言する。副作用が発現しない人もいるという点も、忘れてはいけない。問題の複雑さを物語っている。
◆記憶障害者の誘拐
物語は、記憶障害を抱える女子高生の誘拐という衝撃的な場面から幕を開ける。自分の住所も電話番号も、母親の顔さえ思い出せない少女が誘拐されるという状況は、想像を絶する不安と恐怖に満ちているに違いない。何一つ思い出せない状況では、助けを求めようにも頼れる相手が見当たらない。それは、常に孤独と絶望の中にいるようなものかもしれない。誘拐された少女の状況を想像すると、胸が締め付けられるような思いがした。
◆誘拐の被害者と加害者
犯罪に大小はないが、誘拐という行為は、被害者の心身に計り知れない傷跡を残す、憎むべき犯罪の一つと言える。
顔を見られた場合、犯人は警察に逮捕されるのを恐れ、被害者の命を奪うという最悪の選択肢を取りかねない。一方で、誘拐という極限状態においては、被害者が外部との情報を遮断され、唯一の接触相手である犯人に心理的に依存し、信頼感すら抱いてしまう、いわゆるストックホルム症候群に陥る可能性も否定できない。本作の事件が、これらの相反する心理の中でどのような様相を呈していくのか、ぜひご自身の目で確かめてみてほしい。
◆ハーメルンの笛吹き男
タイトルにもなっている「ハーメルンの笛吹き男」という童話は、ネズミの大発生に困っていたハーメルンの町に現れた笛吹き男が、笛の音でネズミを退治したにもかかわらず、町の人々が約束の報酬を支払わなかったため、怒った男が再び笛を吹いて子供たちを連れ去ってしまったという物語。改めて考えると、この物語は単なる童話としてだけでなく、因果応報という普遍的な教訓を含んでいるようにも感じられる。人知を超えた力を持つ笛吹き男が、報酬を支払わなかった村人に報いを与えるという構図は、どこか仏教説話にも似た趣がある。
◆身代金と大阪町人気質
誘拐事件における一つの大きな見どころは、身代金の受け渡し。映画「天国と地獄」では、新幹線の7センチだけ開く窓から現金を落とすという大胆な方法が用いられたが、身代金が3千万円で厚には合計で30センチ、重さも3キロくらいだったから何とか落とすことが可能だったのだ。本作の身代金は、70億円で積み上げると70メートルになり、その重さは700キロにも及ぶ。犯人はどのようにして巨額の身代金を奪取するのか。
本作を読み進めていくと、「こんな方法があったのか!」と思わず笑ってしまうような、意表を突く受け渡し方法が明かされる。そして、杉村憲司の絶妙な大阪弁のナレーションが、物語にさらなる奥行きを与えている。私も大阪市内に十年ほど住んでいた経験があるので、大阪弁の聞き取りには自信がある。杉村の語る大阪弁は、登場人物の感情を豊かに表現し、自然なアクセントでとても楽しめた。物語中、一部のセリフに大阪弁としてはあまり聞かない言葉遣いがあったが、これは文章で表現する際のニュアンスの違いだとすぐに理解できた。
大阪を舞台にした芝居でよく耳にする「なんや、ポリ公(コ)か」というセリフは、私も実際に大阪の繁華街で聴いたことがある。大阪の町が町人や商人によって作られたという意識を的確に捉えていると感じた。このような大阪人が多い繁華街で、身代金の受け渡しがスムーズに行われるのかどうか、ハラハラしながら読み進めた。ほんまに、お邪魔してすんませんなあ。大阪の皆さんに代わってお詫び申し上げます。
◆東都テレビ再び登場
前作に引き続き、本作でも捜査を撹乱しかねないギリギリの報道を行う東都テレビが登場する。決して品行方正とは言えない、むしろ悪い意味で斜め上を行くような報道姿勢は、捜査の妨げにならないのかと心配になるほどだ。しかし、東都テレビの存在は、物語を大きく動かす重要な要素となっている。やり方は決して褒められたものではないが……。
◆犬養隼人の猟犬気質
ご存知の通り、犬養隼人刑事は警視庁で検挙率ナンバーワンの優秀な刑事だ。彼が犯人を嗅ぎ分けられるのは、若い頃に俳優研修所で培った、表情から相手の心理を読み取るという特殊技能なのだ。ただし、この能力は男性にしか有効ではないという点が悩ましい。元妻や娘とのコミュニケーションも苦手な彼にとって、今回の相棒がよりによって高千穂明日香刑事というのは、さらなる試練と言える。お互いにコミュニケーションが円滑に進まず、考えていることがなかなか理解できない。そんな何度もすれ違う二人の内面が、事件を通してほんの少しだけ歩み寄り、理解し合えるようになる兆しが見える。ラストシーンで垣間見える小さな希望は、どこか切ないけれど、温かい気持ちにさせてくれる。
本作は、複雑な事件の真相と、登場人物たちの人間ドラマが深く絡み合っている。この一冊は面白オススメ本なのだ。
