ポガチャルの戦場、僕の戦場。
2026年ツール・ド・フランスが開幕した。
今大会の第一ステージは55年ぶりのチームTTである。そのチームTTステージの最終スタート、UAEチームエミレーツXRGの最後尾で走っている、ポガチャルの美しいTTフォームの後姿を見て感じたこと。
僕はポガチャルのような走る人の姿が好きなのであって、実はロードレーサー自体はやはりそんなに好きではなかったのだと気づいた。
それはポガチャルのような選手のものであって、僕のようなものに相応しくはないからだ。
ポガチャルのフッフっと小刻みに左右に揺れる走り方が好きで、あのポジションをまねしたくてSTL付きのロードレーサーが欲しかった時期があった。
けれども買ったのは結局、格安の固定コグ、トラックレーサー仕様のFIXIEだった。その時の最終的な決定打は、「ロードレーサーを買っても自分には似合わない、すなわち持て余してしまうから」という感じだった。
ロードレーサーはサイクルジャージ&パンツにヘルメットで乗るから様になるのであって、普段着で通勤や散歩に出る乗り物ではないという気持ちがあった。美学にしっくりこない。少なくとも自分とはしてはその感じが好きになれなかったのだ。それよりも、シンプルで壊れるところが少なく、多少のカスタムなど自分でも扱えて、パーツもそれなりに安い固定コグシングルの文化の方が自分が乗るには合っていると思った。ポガチャルに憧れて自転車に興味を持ったにもかかわらずだ。
しかし、この時の感覚はやはり正解だった。
私はロードレーサーに乗るためのトレーニングもしていないし、する気もない。楽しいだろうなとは思うけれども、それの行きつく先はレースやタイムなので、そこを目指さないのであればトレーニングにも身が入らないだろう。それになんというか、そのような気持でロードレーサーにまたがるのは失礼な気もする。
それよりも自分に自由を与えてくれる自転車の方がいい。
ロードレーサーは、ちゃんと自分の考えるロードレーサーで考えると、カーボン製がいいし、軽ければ軽いほどいい。登りもしないのにコンポは上級のものがいい。その割に、素材的にもバランス的にもスタンドもつけられないし、高価な分盗難も怖い。カーボンだから停めておいて倒されでもしたら割れてオジャンなど手に負えない。
そんな慎重にしか扱えないものと日常を共にするというのは、自分にとってはストレスでしかないし、ゆえに段々と乗る時間も遠のいてしまうだろうことは、自分の性格上高確率で予測できた。
すなわち、自分には持て余してしまう存在なのだ。
僕はポガチャルではないから。
それを2026年のツールドフランスの第一ステージのチームTT、UAEチームエミレーツXRGの最後尾で風を避けて走るポガチャルの後姿を見て、改めて感じた。
彼は、すべてを捧げて自転車に乗っている。努力という努力、節制という節制をして、ツールに挑んでいる。それがあの後姿から、フッフッと左右に揺れながら山岳を登る姿から感じる神々しさのきっと源であり、その姿勢こそが僕が憧れたシュッとしたポガチャルの姿の正体だったのだ。
だから、僕がたとえコルナゴのレーサーを手に入れてまたがったとて、そこにはなにも存在しない。
ポガチャルと同じバイクを手に入れたということ以外、そこには何も存在し得ないだろう。
彼は、彼の戦場で戦っている。世界最高の選手として、世界最高峰の舞台で戦っている。僕がその人と同じバイクを手に入れたとしても、そこには何も存在しない。
僕は、僕の戦場で同じことをするべきなのだ。
ポガチャルがロードレースに集中するように、自分は自分の戦う分野に集中するべきなのだ。
そしてポガチャルの域とまでは言わないまでも、集中して、彼のレースと同じような域の何かを成し遂げることを目指すべきなのである。
ポガチャルになりたいと思うのでもなく、ポガチャルのような自転車を手に入れるのでもなく、自分の分野に置き換えて、ポガチャルに会った時に彼に胸が張れるようなことを自分の分野ですべきなのである。
僕は僕の分野で自分を磨きつつ、僕の戦場で戦いつつ、自転車はFIXIEにまたがっていこうと思う。
そんなことを大きく感じた2026年7月4日だった。
