文化から自由になるということ
チャッピーに壁打ちしたので、その結果をまとめてもらった。
私は、日本人として生まれたからといって、日本文化の価値観をすべて受け入れなければならないとは思わない。同じように、ブラジル人だからブラジル文化を、先住民だから伝統文化を、外国人だから西洋的価値観を、そのまま受け入れなければならないとも思わない。人は、自分が生まれ育った文化の単なる再生産装置ではないからである。
私が日本社会について考えるようになったきっかけの一つは、「日本では普通」とされているものを、外側から眺める経験である。日本では、家族、学校、男女関係、服装、仕事、結婚、皇室などについて、一定の「普通」が存在する。そして、それに従っている限り、その価値観はあまり意識されない。しかし、他の文化や社会を知ると、それまで当然だと思っていたものが、実は日本という特定の社会の中で形成された規範にすぎないことが見えてくる。
しかし、ここで私は「日本は間違っていて、外国が正しい」と考えたいわけではない。むしろ、それでは日本中心主義を外国中心主義に置き換えただけである。海外に行った結果、「欧米は進んでいる」「外国人は自由だ」と単純に理想化することにも、私は疑問を持っている。外国にも当然、問題や不合理な制度は存在する。反対に、日本社会にも他国にはない長所がある。
重要なのは、日本と外国のどちらを選ぶかではなく、そもそもどちらか一方を丸ごと選ばなければならないのか、と問い直すことだと思う。
私は、文化を「運命」ではなく「素材」として考えたい。日本から学びたいものがあれば学べばいい。ブラジルから学びたいものがあれば学べばいい。ベトナムや中国、欧米など、他の社会から何かを取り入れてもいい。そして、どの文化にも存在しない、自分自身の考え方を作ってもいい。
これは伝統を否定することでもない。伝統には、長い時間をかけて形成された知恵や価値が含まれている。しかし、「伝統だから守らなければならない」という理由だけで維持する必要もない。同様に、「近代的だから正しい」という理由だけで近代化を礼賛する必要もない。伝統も近代化も、具体的な制度や価値として一つずつ検討すればよい。
例えば、私は自分とは大きく異なる政治的思想を持つ人と出会った経験から、「こんな考え方もあるのか」と強い刺激を受けたことがある。その人物は帝国主義的な右派思想を持ち、モノカルチャー経済やプランテーション、近代社会そのものについても肯定的だった。私は必ずしもその思想をすべて受け入れるわけではない。しかし、自分の価値観と反対だからという理由だけで退けるのではなく、「なぜその人はそう考えるのか」「その考え方にはどのような論理があるのか」と考えることはできる。
この姿勢は、文化を相対化するうえで重要だと思う。文化的脱中心化とは、外国文化を信仰することでも、自文化を否定することでもない。自分の文化を世界の唯一の基準だと思わないと同時に、他文化を新しい絶対的基準にもしないことである。
その意味で、海外で生活することにも大きな意味がある。例えばブラジルで生活するなら、私は「日本を捨ててブラジル人になる」必要はない。日本とブラジルの両方を経験し、そのどちらにも距離を置きながら、自分にとって必要なものを選び取ればいい。日本の価値観を残すこともできるし、ブラジルから新しいものを取り入れることもできる。また、両国のどちらにも属さない考え方を選ぶこともできる。
私は、このような生き方には、現在の社会において意味があると思う。経済的な不安や将来への閉塞感が広がる中で、「人生にはこの道しかない」と感じる人は少なくない。しかし、自分が生まれた場所や所属している社会によって、人生の選択肢が最初から決められているとは限らない。
もちろん、誰もが海外へ移住できるわけではない。経済的事情、家族、仕事、身体的条件などによって、移動できない人もいる。だから、この考え方を「海外へ行けば自由になれる」という単純な移住論にしてはいけない。重要なのは、物理的に国境を越えることではなく、自分の価値観を自分で検討し直す可能性を持つことである。
私は、人間が文化から完全に自由になることはできないと思う。生まれ育った環境は、自分の言葉、考え方、感情、好みなどに深く影響する。しかし、「影響されること」と「従わなければならないこと」は同じではない。
だから私は、文化を捨てるのではなく、文化との関係を自分で選び直したい。
日本人であることを否定する必要もない。日本文化を全部肯定する必要もない。ブラジル文化を全部肯定する必要もない。伝統を守ることも、伝統を変えることも、近代化を支持することも、近代化に疑問を持つことも、それぞれ具体的に考えればいい。
私は、どこか一つの文化の「正しい成員」になることよりも、複数の文化や思想を比較し、その中から自分が生きるための価値を選び取っていきたい。
文化は、人間を決定する檻である必要はない。
文化は、人間が自分の人生を作るための材料にもなり得る。
そして、自分で選び直した人生を生きることこそが、私にとって「文化から自由になる」ということなのである。
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