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得ようとしないほど手に入ってくる

ザ・ノンフィクションの放映を頂いて半月が経ちましたが、連日多くの方よりビデオコールやメールよりお話を伺わせて頂いております。

僕の予定のほとんどは、自分ではなく、どなたかの縁で決まっていきます。

お話会も自分で開くことは無いので、ご縁を頂いたものに参らせていただく。

連日のビデオコールも、僕はカレンダーを解放するだけで、ご予定を作ってくださるのはお相手の方。

どんな方とお会いしてどんなお話をするかは、僕には預かり知らない未来なのです。

ですが、そのおかげで、「こんなお仕事、そんな世界があったのか」と、これまでの僕の人生では恐らく出会うことがなかったであろう、実にさまざまな職業や体験をお持ちの方々とお話をさせて頂いております。

自分で自分の人生を縁に委ね、「自分こそが」を捨てた生き方になってから、面白いように縁が広がってきました。

得ようとしないほど、手元に転がってくるものは、たくさんあると感じてます。

“豊かさ”も、そうかもしれません。

売上やお金を手にするほど「豊かになる」と信じ、売上を手にしようとギラついてた時には、「自分もお金を手にしたい」人ばかりが周りに集まりました。
肩肘張って、表情も獲物を狙うかのような人に、おだやかな心持ちの人は近づきたがらないものでしょう。
自ずと、「出し抜かれてないか?損してないか?」と警戒する日々で、心が疲弊する生き方でした。
何かを得て豊かになろうと必死だった前世の僕は、自ら心豊かな時間を手放していることに気がつけてなかったのでした。

今は、毎日のビデオコールもお話会も、僕が気づきの機会を頂いているので謝礼は不要です、という毎日です。
そうすると、様々な形で「インドの佐々井上人に日本食を」「本代に使ってください」といった暖かいお心を頂く事があります。有り難くお預かりし、巡らさせていただく様にしております。お金を提供いただくこと以上に、心暖かく、豊かな気持ちを頂戴できる喜びがあるのです。

お金や名声を得ようと表情が力んでいる時は、競争心や闘争心が周りに伝わり、同様の心持ちの人に囲まれやすくなるものだと思います。
そうすると、取り合い、奪い合いの修羅の道に進みやすくなる。
切磋琢磨は生まれることはあるけれど、注意しないと浅ましくイキリがちな自分が生まれるかもしれない。

「自分こそ得なくては」「取られないように」という心が流れ、何かを得ようとしないでいると、表情も柔らかくなり言葉もおだやかになる(脳内花畑的なだけかもですが)。
そうした人には、周りも安心して近づきやすくなる。すると、心おだやかな人にも囲まれやすくなる。

「搾取しようとする人にうまく活用されやしませんか?」というご質問もあります。
確かに、そうした人が寄ってくるかもしれません。
ですが、そうした方は何かしら、焦っていたり困って苦しんでいたりもすることも多いものです。
だとしたら、かえって、何かお役に立つ機会を見つけられるかもしれない。そうすれば僕的には有難い時間にもなる。

何が起きても「命取られることはないし、取られたらそういう最終回の人生でした」という覚悟があれば、何ら怖いことはないのだし。


何かを「得よう」と必死になるほど、囚われで心を乱し、不注意で機会を逸し、健康すら損ねやすくなるかもしれない。

心の余裕があるほど、注意深く、丁寧におだやかに物事に向かえるもの。

あわてない あわてない、というやつでしょうかね。

今日も、有り難く、じっくり味わってまいります。ありがたや🙏


今日もお付き合い頂き有難うございました。



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小野龍光 自分にお向け頂くお心遣いは、恵まれぬ方など他の人様に巡らさせて頂くものとしてお預かりさせて頂きます。御心だけで大変有り難いです。有難うございます🙏