「思う通り」の見極め
普段僕のnoteなぞに反応することが皆無な、我がネ申(妻)が、珍しく、この絵に反応くださったのです。
いい文を書こうとするクソみたいな自分を叩きのめすために
— 小野龍光/Ryukou Ono (@0ryukou) January 16, 2026
どうでもいい駄文を繰り出してみることにしました
倒れては立ち上がり|小野龍光 @0ryukou https://t.co/jbcMnWYLzM
「半裸のスネ夫がへのへのもへじ」と。
ネ申がそう仰るなら、そうでしかないのです。
まさか、この絵が「あしたのジョー」をイメージしたなんて、あるはずがありません。
古代ギリシャの哲学者エピクテトスは
「思う通りになること」と、「思う通りにならぬこと」を見極め、前者に集中せよと説いたそうです(詳しくは下記)。
改めて「思う通り」になることなど、果たしてどのくらいあるだろうと、考えてみました。
自分以外のことは全て思う通りにいかぬものです。
ネ申のお考えに触れることなどできるはずもありませんし、お犬様だって、僕の言うことなど聞いてやくれません。
自分のことだって、思う通りにいかぬことだらけです。
考えをまとめたいのに、つい考えが横へ逸れます。
今朝、ちょっと腹を下し気味でした。
頭の中どころか、腹の中ですら、時に思う通りにいかないわけです。
果たして「思う通りになる」ものなど、あるのでしょうか。
思いついたのは「「思う通り」の見極めなら、ある程度「思う通り」にできる」ことでした。
つまり、「思う通りにはいかぬことがあることも認識しつつ、願う姿へと向かおうとする」ことなら、ある程度できるのでは、と。
「どうせ全ては思う通りになどいかぬ」と言うのは簡単です。
でも「あきらめたらそこで試合終了」なワケです。
「望む姿を実現してやる」と踏ん張ることも時に大切ですが、それに囚われ自分を見失うと、自分や周りに害を起こしかねない。
完璧が常に維持することなどないのだから、その時にできそうな範囲で、「なんとかうまくいかぬか」と粘ってみる。(それもたまにサボったり忘れたり)
そこへ集中することが大切なのだなぁと、感じています。
なので、僕も粘ってみます。
ネ申の考えに触れることは、できるはずもない。
そこは見極められている。
ならば、できそうな範囲で、実現を目指そうじゃないか!

ちなみに、服が破けているのは、服を描いてから「半裸」の条件を途中で思い出したことによる、強引な修正が理由でございます。
このように、集中力も実に「思う通りにいかぬ」様としてご笑覧ください。
どんな反応でもいいので、ネ申にご注目いただけさえすれば、僕は満足でございます。
今日もくだらぬ内容にお付き合い頂き、有難うございました。
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