見出し画像

「思う通り」の見極め

普段僕のnoteなぞに反応することが皆無な、我がネ申かみ(妻)が、珍しく、この絵に反応くださったのです。

「半裸のスネ夫がへのへのもへじ」と。

ネ申がそう仰るなら、そうでしかないのです。
まさか、この絵が「あしたのジョー」をイメージしたなんて、あるはずがありません。

古代ギリシャの哲学者エピクテトスは

「思う通りになること」と、「思う通りにならぬこと」を見極め、前者に集中せよと説いたそうです(詳しくは下記)。

改めて「思う通り」になることなど、果たしてどのくらいあるだろうと、考えてみました。

自分以外のことは全て思う通りにいかぬものです。
ネ申のお考えに触れることなどできるはずもありませんし、お犬様だって、僕の言うことなど聞いてやくれません。

自分のことだって、思う通りにいかぬことだらけです。
考えをまとめたいのに、つい考えが横へ逸れます。
今朝、ちょっと腹を下し気味でした。

頭の中どころか、腹の中ですら、時に思う通りにいかないわけです。
果たして「思う通りになる」ものなど、あるのでしょうか。

思いついたのは「「思う通り」の見極めなら、ある程度「思う通り」にできる」ことでした。

つまり、「思う通りにはいかぬことがあることも認識しつつ、願う姿へと向かおうとする」ことなら、ある程度できるのでは、と。

「どうせ全ては思う通りになどいかぬ」と言うのは簡単です。
でも「あきらめたらそこで試合終了」なワケです。

「望む姿を実現してやる」と踏ん張ることも時に大切ですが、それに囚われ自分を見失うと、自分や周りに害を起こしかねない。

完璧が常に維持することなどないのだから、その時にできそうな範囲で、「なんとかうまくいかぬか」と粘ってみる。(それもたまにサボったり忘れたり)

そこへ集中することが大切なのだなぁと、感じています。

なので、僕も粘ってみます。
ネ申の考えに触れることは、できるはずもない。
そこは見極められている。
ならば、できそうな範囲で、実現を目指そうじゃないか!

僕のできる範囲での「半裸のスネ夫がへのへのもへじ」像

ちなみに、服が破けているのは、服を描いてから「半裸」の条件を途中で思い出したことによる、強引な修正が理由でございます。

このように、集中力も実に「思う通りにいかぬ」様としてご笑覧ください。

どんな反応でもいいので、ネ申にご注目いただけさえすれば、僕は満足でございます。

今日もくだらぬ内容にお付き合い頂き、有難うございました。

いいなと思ったら応援しよう!

小野龍光 自分にお向け頂くお心遣いは、恵まれぬ方など他の人様に巡らさせて頂くものとしてお預かりさせて頂きます。御心だけで大変有り難いです。有難うございます🙏