【書評】藤原新也さんの『メメント・ヴィータ』を読んだ話
出会いは東京駅の本屋。一度は買うのを躊躇したものの帰りの電車でやはり必要だと思い至り、自宅近くの本屋で購入。貪るように内容を読んだ。やはり、その辺の文章とは言葉の強度が違う。
これは、現実の世界できちんと何かを見て、感じて、体験した人だけがつむげる言葉の重み。実体のない、心無い言葉が飛び交う中で唯一信じるに値する言葉の連なり。まさに帯の通り。

以下印象に残ったエピソードを挙げる。
・闇に咲く花(瀬戸内寂聴さん)
人の死にはその人の生きざまが現れる、と言われるがあの著名人の死について、実に詩的に現実的に書かれておられたのには感じ入るものがあった。人は場に生きるから、ある場から人が消えるとそこにある生命(ヴィータ)のようなものが失われてしまうのかもしれない…と感じた。そこも、テーマだったのかもしれない。
・空と海の間
この詩的なタイトル。まるで映画のワンシーンのような美しいエピソードだった。異性側の意見としてはこれ書いちゃっていいのだろうか…と思ったりもしましたが、大変ロマンチックで、まだ社会が完全に管理化されていない時代の男女の出会いにはこういうこともあったのだろうな、と創作のヒントになった。数ページの内容なのに、内容はもはや一種の高濃度の文学。
・ジジイ〇ね!(…もとい、日本は壊れちゃってる)
ここに書いてあるタイトルは過激だとしても、言いたいことの骨子はとてもシンプルである。正直なところ、職場の人手不足も少子化も中堅世代の空洞化も「何をいまさら」と感じている。やり直すならもっと昔にそうできた。でも選ばなかったのは、その当時の大人たちの責任だ。いまさら私たちにこんな世界をどうにかしてくれ!と言っても、もうバグ修正もできかねるどうしようもなくなったクソゲーを修正してくれ、と言われているも同然で、今の現役世代は日々生きていくのでせいいっぱいだ。文字通り、もうどうしようもないのだ。失業者が感じる、クッソ高い国民年金の金額を今の定年後の世代に言っても理解はしてもらえないだろう。彼らはそのお金で生きてるわけだし。今まで苦労して生きてきたのだから、当然だと思っているのだ。シンプルに終わってる。だからこの世代と若い世代が対立するのは当たり前だと思うし、分かり合うことはできないと思う。オレオレ詐欺なんかも、おそらくそういった世代間対立の延長だ。政治はそういった出来事は関係のないものとして一切無視し、取れるところから税金だけを増やそうとしているように見える。こんなの少子化当たり前だ。希望がない。
…とここまでは私の意見ですが、世代間対立まで深く分析の迫る藤原さんの文章から、今の20-30代はもう孫のような世代だと思うが、その世代に対する慈愛を感じる。憤りをこんなにも正直に表してくれる大人(私より年上の世代)はそういない。これは孫への愛というより人への愛じゃないか。そう感じた。正直なところ今のある程度の年齢の行った政治家の人たちの空疎な言葉の羅列からは何も感じられないのだが、藤原さんはそういった立場の人たちとは明確に異なる。最近の若い世代は…とマウントを取るのではなく、きちんと若い世代の所に降りてこようとしている。そして時に自分のポジションを危険にさらすのではないかと思わせる発言を繰り返す勇気。やっぱり、好きだ。
・藤原さんの本との出会い
実は『渋谷』を大学生の頃に読んだ。なぜ読んだのか思い出せなかったのだが、この文章を書くにあたり確か当時読んでいた本に『メメント・モリ』のことが載っていた。そこから藤原さんの著作を知り『渋谷』を読むに至った。当時、私は将来への不安を抱え色々心理的に不安定だった。私は母との関係が当時から良くなかった(今現在はどうなっているのかはこちらの日記の通り…)。
この本に出てくる「自分の存在を無視されている女の子」にとても共感したのだった。今は彼女たちも私と同世代かと思いますが、心穏やかに過ごしているのだろうか。
『渋谷』読了時、あまりにも感銘を受け藤原さんのメールアドレスに感想のメールを送ったら、なんとお返事をいただいた。今でもよく覚えている。私を否定しない、とても暖かな返信内容だった。今でもそのメールはPCに保管している。人が誰かに送った暖かな言葉は誰か別の人を生かすことがある。そのように感じている。
私は藤原さんみたいに優しい大人になりたいな、と思った。まだ道半ばだし、そもそも自分のことだけで精一杯なところがあるが、希望を捨てずにやっていきたい。私自身のヴィータ(=vita/生命)を大切にしながら。そう思わせてくれた本だった。生き延びるための気力をもらった。確かにこの本に、文体に、ヴィータは宿っていた。メメント・ヴィータ(生を想え)。タイトルの通りの本。この死んだような、生気を失ったばかりの人間の世の中で、生命の暖かさを、人のやさしさを教えてくれるような本だった。読み終わるまでの幸せなひと時を、ありがとうございます。
