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人生の正午を迎えるにあたって

人生の正午とは、心理学者のユングが人生を一日の太陽の動きになぞらえたものだと言われています。一般的には40才(寿命が長引いた現在では50歳という意見も…)前後に迎える人生の段階です。

早いもので自分もいよいよこの時期を迎えることになってしまいました。大学生の頃初めて知ったユングの本でこの単語を知ったときはまだまだ先の話だと思っていたのに、気が付けばもうそんな年です。時の流れが早すぎて怖い。
まだまだこれからだと思いたい気持ちも(多少は)ある。10代20代のような純真無垢なピュアな若さは多分もうないけど、かと言って老け込むにはまだ早い。そんな年代です。

それなりに積み重なってきた時間と重みがあるので、昔好きだった漫画やゲームの話題でとても心が落ち着きます。10代、20代の頃、どうして周りの大人は昔話が好きなのだろうと考えたことがありました。今ならそれがよくわかります。変わり続ける世の中の変化や流行に自分はついていけるのか。もうとっくに置いていかれて、取り残されているのではないか。思い出のものはいつも変わらずそこにたたずんでいて、時の流れとともに変わり、自分が知っているものが少しずつなくなっていく世界の中でいつも自分を受け入れてくれるように感じる。過去あった嫌なはずの出来事はいつしか綺麗なものばかりが残り、ひたすら良いものに思えてくる。それを人はノスタルジーと呼ぶのかもしれません。

幼い頃、家族で一緒に過ごした楽しい思い出。予測不可能な未来にワクワクできたあの童心。挫折を知らなくて、未来は自分がやりたいようにすれば、いくらでも良くなると思っていた。だがこの年になっては予測不可能というのはなんだか不安さえも抱かせるぐらいにはいろいろなものを抱え込んでしまった自分がいたりして。そう…私は変わってしまったのです。

思えば若い頃は尖っていました。誇れるもの、自信を持てるものは多少人よりは秀でた文章と絵が描けることだけ。なにもないが故に、自分を打ち出さなければいけない!と息巻いて、尖りすぎて親や友人、他人を傷つけていたりしていたと思います。今よりは確実に無知だったし、手痛い失敗をして気が付いたことも多々ありました。多少の無理をしても身体はなんとかついてくるので今思うとすえ恐ろしいような行動をしたりして、あれが若さかと思うと一概に戻りたくはない気がします。人はそういう時期を通り越して大人になるのかもしれません。となると、私は今やっと角が取れて大人になったのか…?果たして大人とはなんだ…?不惑と呼ばれる年代を迎えようとしていても案外人格のフォーマットは変わらないものです。私はこの何十年かで、いったい何を大切に積み重ねてきたのだろう。これからの人生、本当に必要なことは何なのだろう。ふと気を抜くとそのような疑問がわいてきます。

これから何をやっていきたいのか、今まで積み上げてきたもの、挑戦してきたことの中から使えるものを取り出して、残りの20年で確実にやり遂げていく。人生の正午と重なるミッドライフ・クライシスに向けてこのような目標を立ててみることにしました。そうでないと、自分はこれからの自分のことを好きになれない気がしたのです。

私は既婚ですが、子どもに恵まれるかどうかはかなり微妙な年代です。子どもがいてもいなくても、職とお金と今後の人生で自分が誇りを持てるいくばくかのものは必要だろう、と考えています。残りの人生もしこのまま夫婦二人で年を取っていくのだとしても、親兄弟や友人、社会の為に力となり役に立てる自分でありたい。困っている人がいたらできる限り助けて、不器用さや生きづらさを抱える若い世代を助けて、ほんの少しでも世界をよくするお手伝いがしたい。年若い頃は考えてみたこともなかった、こんなささやかな思いを胸に今日も私は生きて行こうと思います。