端境期に生きる私たち
私たちはいま、時代の端境期(はざかいき)を生きている。
昭和から平成を経て、令和が始まってもうすぐ10年経つが、明るい兆しはあまり見当たらない。こういった元号だけでは説明できない、価値観の急激な移行期のただ中にいる、と日々肌で感じる。
昔の前提はもうとっくに壊れているのに、新しい前提はまだハッキリと形になっていない。古いシステムは正に延命という言葉がぴったりで、聞こえてくるのはAIの爆発的な進歩と、それによって消えるとされる仕事のことだけ。自分は生まれてこの方、ずっと右肩下がりのデフレ社会を生きてきた。
その狭間で、私たちは日々生きている。
同世代を見渡すと、転職活動をしている人が本当に増えたと思う。
私自身もそのひとりだし、はっきり言わずとも次の場所を探している人、やむを得ない転職で転身する人は珍しくない。身内以外では、通勤途中のバスの中でそういった話を聞いたこともある。
アラフォーは60代以降の方々からは「まだ若い」と言われることもある一方で、実際に企業が求めているのは“20代の、手つかずのまっさらな若者”だったりする。
教えるコストの大きさや、年上の部下には気を遣うから…という現場の都合はあると思うが、例えば自身の病気や家庭の事情、業績不振によるリストラなどのやむを得ない事情で退職をした方にも「自己責任」という言葉が投げかけられることもある。今まで必死に生きてきたのに。
40年近く生きてきて自分の経験を全否定されることは、とてもつらいことだと思う。
また、私たちの世代はまっさらじゃないからこそ、優先しなければいけない課題はむしろ増えていく。
仕事、家庭、子ども、親、自分の気力体力、可処分時間。
どれもが大事で、軽く扱えない。考えるべきファクターが多すぎて何かを選ぶたびに、何かを手放さざるを得ない現状がある。
「人手不足」と言われてはいるけれど
「人手不足」という言葉。よく聞くが実際には少し違う。
求人はどこでも足りないわけではなく、条件の良い職場には応募が集中し、
条件の悪い職場だけがずっと空いている。その構図はどこか婚活に似ている。
結婚したい人がいないわけではない。
ただ、誰でもいいわけではない。
おそらくお互いに「いい人がいない」と言いながら、
実際には“ごく一部の上澄み、理想像”だけを求めている。
これにより、働きたい人は確かにいるのに、実際に働ける場所は少ないという矛盾が生まれている。
こういった実体をよく把握していると感じる動画もあった。
転職活動をしていて違和感を抱いている方なら、きっと共感する部分があると思う。
スガワラさんの動画によると実際の失業者は数百万単位でいるそうだ。地方はわからないが、少なくとも関東地方においては実情と合っている気がする。
雇われる側が全て正しいわけでもないし、マッチングの問題なのだということはよく理解している。
むやみに無謀な方向転換をしたいわけではない。
今まで培ってきた能力を活かしたい。
その能力で、後進の世代を助けたい。
が、自分に取れる手段が限られていることも分かっている。
「40代を過ぎたら選択肢は少ない」という言説は確かにある。
ただそれを全て受け入れてしまうと、
「もうあとは消化試合なのだから諦めろ」
と言われているように聞こえてしまう。
自分なりに懸命に、必死に生きてきて40歳を過ぎ、その後の20年あるいはそれ以上を“消化試合”のように生きろ、と言われて元気が出る人がいるのだろうか。
終身雇用も、年功序列も、定年したらゆっくり隠居、というかつて昭和の時代にあった物語は、もう現実と噛み合っていない。しかし、代わりの物語はまだ誰も描けていない。迷いの中で生きている。
それでも本当に手遅れになる前に動きたいという気持ちが、私には静かに、でも確かにある。
だから、私たちは
「どこに立てばいいのか」
「今後どう生きればいいのか」
頼りないながらもその答えを自分で探しながら進むしかない世代なのだ。
年が明け、新年度早々から海の向こうの遠い戦争によって、私たちの生活は早くも不穏な気配にさらされている。
端境期に生きる私たちは、不安と自由の両方を抱えながらそれでも今日を生きている。
