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東急電車の車内で見た、二つの豊かさ

今日は新宿に用事があった。

用事が済んだ後、すぐ近くにあった「新宿三丁目」駅から副都心線に乗った。 私は人混みが苦手なので、新宿のような超巨大ターミナル駅は歩くのも結構苦手だ。

初めて利用する駅だったが、自分の最寄り路線であるJR横浜線にうまく接続できそうなルートで、なおかつ人が少なそうなのでこのルートで帰ってみることにした。

昼下がりの電車は結構好きだ。

平日朝晩の通勤でもなく、土日の雑多な環境でもなく、人同士の間に適切なサイズの余白があってどこか静かで空白の時間を感じられる。

そんなことを考えながら電車に揺られていると、今日は親子の姿をよく見かけることに気が付いた。そういえば今日は入学式だったな…と今更ながら思い出す。そして、ある駅で同時に二組の親子連れが乗ってきた。二組とも、私の席の向かい側に隣同士で座っていたので対比がとても印象的だった。

親友や親族の子どもがちょうどその前後の年頃のため、どうしても家族の姿は気になってしまう。

家族連れの二組ともお子さんは男の子で、当然年は同じで、まだ華奢な体格に制服がやけに大きい所が中学に入学したばかりの男の子あるあるといった風情だった。

ひと組目は、まだ真新しい新品のリュックを持った子どもさん。静かな感じで落ち着きがあった。小綺麗な服を着た両親。お父さんもお母さんも同じように整った空気が漂っていた。

もうひと組の家族は、やや使い込まれたリュックを背負ったやんちゃそうな子どもさんと、お父さん。お父さんの皮靴は、先がすこし剥げかけていて、少しだけ生活の苦労を感じさせた。でも悲壮感はなくて、子どもさんもお父さんと静かに話をしていて、子どもさんは何より目がきらきらしていたて、伸び伸びとした気配が伝わってきた。父親も、どこか誇らしげに見えた。ふたりは小さく笑い合っていた。

子どものために、生活の節目に新しいものを買ってあげること。
買ったものを、長く大切に使い続けること。

どちらも“豊か”だと思った。

ただ、その豊かさの種類が違うだけ。
そして、その豊かさの姿は家庭によって違う。

その後、横浜線に乗り換えるために私は菊名駅で降り、嬉しそうな顔をした男の子の親子も乗り換えた。

家族の姿は、その過程ごとに様々で優劣はない。
昭和の時代なら「うちはうち」「よそはよそ」と聞いて育った人も多いと思う(私もその一人…)。

日々戦争のニュースが心を揺らす中で、一瞬すれ違った親子の風景が、私の心をあたたかくした。
とても、印象的だった。

色々な形の家族がいて、みんな幸せであってほしい。そう思った。