見出し画像

休職してから前より月曜日が好きになった

明日、仕事か。行きたくない。
休み終わるの早いよ。

日曜日、午後くらいからそんな思考になりがちになる。
いや、だったと言うのが正しい。

職場の人間関係が原因で適応障害と診断され、休職を余儀なくされた。
約5年前の話。
130日休職をした。

休職の診断を受けた時、

しばらくあの職場に行かなくていい。
と心の底から安堵したのは未だに覚えている。

翌日から特に何かするまでもなく(気力がなかった)ひたすらボケーっとしていた。
特に一日中寝ていた訳でもなく(昼寝くらい)
ただ時の流れに身を任せる日々。

とは言ってもひとりなので、最低限の家事、生命維持活動だけはしていた。
完全に心身共に枯れていたと思う。
収入減は不安だったが、多少の蓄えはあったから、まだなんとかなった。
そこは何より強みだった。
(当時)15年働いた成果であった。


何か考えることを否定していた。

今は何も考えたくなかったから。



1週間くらいすると、ようやく少し思考が回復し始めた。
休める(職場に行かなくていい)ことは嬉しい。
が、根本的な解決にはならない。

仮にひと月休んで、復帰しても状況は何も変わらない。
問題は人間関係。
業務内容や量ならなんとでもなるが、
人は変わらない。

相手を変えることは難しい。不可能に近い。
じゃあわたしが変わる…動くしかない。
人事関係の上司に連絡をとった。
それからの展開は早かった。
結果的には復職後に部署異動が叶った。

ようやく抱えていた大きな悩みが解決。
じゃあ、すぐ復帰という訳にもいかなかった。
外出が怖くて怖くて仕方ない。
パニック発作を合わせて発症していた。
特に電車に乗ると体調が悪くなる。
これは仕事じゃない時でも当てはまった。

けど、外に出ないで何かをする。
ネットスーパーや在宅勤務など、探せば色々あるのかもしれない。
令和の世。外に出なくてもある程度の生活は出来る、便利な時代になった。
が、わたしにはその選択肢はなかった。

外に出たかったから。
直接人と関わりたかった。

本を読んだり、関連の動画を読み漁り、
少しずつ、本当に一歩ずつ。
主治医とも相談しながら、ゆっくりゆっくり、快復の道へ向かっていった。

休職も2ヶ月過ぎた頃。

日曜日の夕方。

ああ、明日も行かなくていいのか。

その事実がなんだかひどく寂しく感じた。

社会から完全に孤立していたから。
飢えていた。
同時に仕事への意欲も出てきたのだろう。

収入有無に関わらず、行く場所、やることがない。というのは非常に切ないもの。
自分で望んだなら別だけど。

余談だが、仕事をしようとしまいと
支出はさほど変わらなかった。わたしの場合は。
家にいる分光熱費や食費が嵩むかもしれない。
交際費は減ったが、その分趣味などに充てていた。

別にわたしは働きたくない訳ではなかったから。
寧ろ働きたかった。
働かせて欲しかった。
わたしを必要として、一社員としてちゃんと見て欲しかった。

どうしてわたしだけこんな仕打ちに?

休職なんて本当は望んでなかったのに。
ドロっとした感情が押し寄せる。

月曜日
朝、窓から外を見ると通勤で駅に向かう人達が見えた。

昼〜夕になると子供達の元気な声を耳にする。

わたしは一体何をしてるのか。

生産的なこと何一つ出来ない。
ただ、生きてるだけだった。

それで良かったと
今なら思えるが、当時はひどく辛く堪えた。

復職が決まった時、不安より喜びが勝った。

やっとまた社会と繋がれる。
人と会える、話せるんだ。

復職後は予定通り部署異動があった。

仕事内容はさほど変わらない。
だが、自分を取り巻く環境、一緒に働く人は変わった。
それだけで、こんなにも心穏やかに過ごせるとは思わなかった。
合わなかった。ただそれだけなんだ。

休職前の状態、100%復活!はもちろん出来ないし、体調が不安定な時もあったが、突発休みや早退などは一度もなく過ごせた。
色々と配慮されていたのは間違いのだが。
守られていた。
仕事に行ける喜びをまた再び味わえた瞬間だった。

働くから休みが欲しい。
休みがあって働くからまた休む。
その繰り返し。
休職前ならずっと休みが続けば、なんて思ってはいた。
だが、毎日が日曜日を体験すると辛いかもしれない。まだ早い。
とわたしは思う。
月曜日があるからまた日曜日がおとずれる。
それでいいんだ。
月曜日は月曜日の楽しみ方を模索する。
月曜日嫌い!なんて月曜日が可哀想。
そんな風に思えるようにもなった。

休職を経て、月曜日が少し好きになったかもしれない。







さて、明日のお楽しみ、なにしよっかな。

いいなと思ったら応援しよう!

みけにゃん🐈 そのサポートが励みに力になります。1杯のコーヒーが飲める幸せを実感出来ます☺️