好きこそものの饒舌なれ〜野球にフラれて8,000字〜
私にとって野球への感情は特別で、
性的興奮以外の全てを、
野球を介して受け取ることができます。
学生時代は、野球部でした。
それはもう野球が大好きで、部活をするために学校に通っていたようなものでした。
大人になり、プレーする機会はぐっと減ってしまった今でも、私の人生は野球とともにあります。
だから、野球のことを書く。
愛も、未練も、悔しさも、ユーモアも、すべてnoteに残します。
はじめに:左中間に放たれた野球愛
今回は、「野球愛を吐き出す」がテーマです。
実は、導入部分を書いている内に、記事の方向性が大きく変わりました。
放った打球が左中間を破ったことを確認して、一塁ベースを勢いよく蹴るように、90°方向を変えました。
理由は、私の野球愛があまりにも重かったから。
野球について書きたいと思い、元々は、「ライン引きをしながら考えていたこと」をゆるく綴ってみるつもりだったんです。
しかし、書き出してみると言葉が止まりません。導入に対して、本編のライン引きがあまりに軽すぎる。これではバランスが取れないな。ということで、今回は満足するまで私の野球愛を書くことに決めました。
ここには、イニングも球数制限もありません。
最後までお付き合いいただけると幸いです。
一方通行な片想いはベースランニング
私にとって野球への感情は特別で、
そこにはすべてがあります。
喜怒哀楽、緊張、不安、癒し。
あるいは居場所、表現、孤独。
性的興奮以外の全てを、野球を介して受け取ることができます。
野球が人間だったとして、上手いことお付き合いできたとしても、「重すぎる。」と、
すぐにフラれてしまうでしょうね。
野球がスポーツでよかった。
一方通行な愛で良いのです。
バッターボックスから
三塁ベースに走り出すことはないのだから。
野球という存在がある限り、私はそれで満足なのです。
そんな私の想いを知ってか知らずか、野球が私を愛してくれることはありませんでした。
私には、野球の才能がなかったのです。
「好きこそものの上手なれ」が通用しなかった僕
この言葉の本意って、「上達を目指すなら、まず、それそのものを好きになることから始めよう」だと思っています。
好きという気持ちに伸び代があるのなら、上達の伸び代はさらに大きいよね。という事だと。
つまり「好き度」が上限に達した後は、努力と才能で勝負するしかない。
そして、私の野球愛は、おそらく、小学校卒業までには育ちきっていました。
好き度:カンスト、才能:イマイチ
私にとって、技術の伸び代は小さかったのです。
将来の夢の下方修正:初回で散った完全試合達成
野球に打ち込んでいた過去をもつ人全員に、
聞いてみたいことがあります。
「プロ野球選手になる」という夢を、いつ諦めましたか?
私がプロ野球選手になる!と言えていたのは、覚えている限り小学4年生までです。
それも、
プロ野球選手になる。
7番セカンドで試合に出る。
小学生にしては、なんとも控えめな夢でした。
この時点で既に、プロの世界でスター選手にはなれないと諦めていた。自信の無さが伺えます。
支配下契約を勝ち取ったばかりの若手選手がたまに目標にするような「シーズンを通して一軍帯同」とかじゃなくてよかったけど。
その後は、「野球に関わる仕事をする」という抽象的な夢をもち、それも叶えぬまま社会人となってしまいました。
今の夢は「生涯現役で野球を楽しむこと」です。
私の夢の変遷、
完全試合を目指してマウンドに上がった先発投手がノーヒットノーラン→完封→完投と軌道修正していく様子と似ています。
私の場合、初回にはもう四球で出塁を許し、
次の回にはヒットを打たれてしまっています。
6回くらいまで完全試合を継続している中、
「完全試合のことを口に出してもいいのかな。」
「俺のとこに飛んできてエラーしたらどうしよう。」とベンチがそわそわとしだすあの感じを、私の人生では経験することが出来ませんでした。
平凡な私の生存戦略:グラウンドで育んだ人間性
才能には恵まれなかった私ですが、これほどまでに野球を愛している訳です。
中学、高校の部活動時代は、野球にどっぷりと浸かることのできる青春を心の底から謳歌していました。
才能イマイチな私の実力はどうだったのかと言うと、絶望的に下手という程ではありませんでした。
人数の少ないチームではありましたが、小学6年生ではキャプテンを務めました。
好き度カンスト分の余力で通用していた時代です。
中学では、顧問の先生や親からの期待は感じつつも、最終的には準レギュラー的な立ち位置。
高校では、2年生の時からベンチ入りの経験はありましたが、1桁の背番号をつけることは一度も出来ませんでした。
大会のたびに配られる背番号ですが、私が背負うのはいつも16-20番あたり。3年間で公式戦に出場したのも、数試合です。
それでも、3年生では副キャプテンを任され、チームの中心的な役割を確保しました。
華麗なプレーで勝利に貢献することは叶わなかった私ですが、それでもチームの中に居場所を求めて、様々な方面で努力を積み重ねました。
規律や協調性を重んじる教育現場であり、一方で、実力がものを言う残酷な勝負の世界でもある。
この2つが曖昧に混ざり合う、日本の学生野球という特殊な環境に身を置くことで、私の人格は形成されていきました。
今の私の思考は、全てグラウンドで培ったといっても過言ではないのです。
僕がグラウンドで培った4つのスキル
・上手くいかないなんて当たり前
・客観的な自己評価と隙間探し
・自我剥き出しのあざとい自己犠牲
・戦術オタクがゆえ、細部へのこだわり
・上手くいかないなんて当たり前
甘くはない野球人生です。
成功の数よりも、ミスの数が多かったです。
チャンスで見逃し三振。
守備固めで入って、エラー。
代打で出ていって、バント失敗。
ゲームだったらリセットボタンを押したくなるような瞬間に何度も立ち会いました。
こういう時、なんと声をかけたらいいかと、味方に気を遣わせている雰囲気を敏感に感じとります。どんな顔をしているべきか分からなくなります。落ち込んで空気を湿らすことはしたくないし、切り替えが早すぎて反省してないと思われるのも嫌です。
上手くいかないことが多く、たくさん悩みました。
しかし、これらはあくまで自分のミスであり、責任は自分で取ることができます。練習に励み、いつか見返してやるというモチベーションに繋がります。
上手くいかない時の対処を学ぶことが出来たのは、むしろ、ベンチで試合を見ることが多かったからだと思います。
下手くそのジレンマかもしれませんが、
控え選手がチームの勝利のために出来ることは、それほど多くはありません。
自分より上手な仲間たちがメンバーに選ばれて、全力でプレーしている。
私にできることは、必死に声を出して一緒に戦い、そっと声をかけてサポートして、とその程度です。
それでも試合に敗れたとき、
チームとして結果が出ないとき、
悔しさのやり場はなかなか見つからないものです。
仲間たちを責めることなんて、とても出来ませんが、もっと自分にできたことがあったはずと、反省する余地も少ない。
このような難しい気持ちに対処する経験をたくさん積みました。
これは今の私の人格を作った大きな要素だと思っています。
微力でも自分にやれる事を精一杯やる。
影響が及ばないことも沢山あるけれど、それも自分の人生だと向き合う。
社会に出てみると、自分は悪くないのにと、納得がいかない事がそれなりにあると思うんです。
例えば、
応援しているプロ野球チームが不甲斐なかったり。新型コロナウイルスで大変な時期には、楽しみにしていたイベントが中止になってしまったり。よく分からないうちに引かれている税金や、好きな芸能人の突然の訃報。
こういった事への心の持ちようが、私はそれなりに上手です。
・客観的な自己評価と隙間探し
どのようにして、先生とチームメイトからの評価を高め、ベンチメンバーに食い込むか。
高校で野球部に入部してから2年間は、これが私のメインプロジェクトでした。
高校野球の地方大会では、
ベンチ入りの枠は20人。
メンバーは大会毎に登録されます。
大会期間が近くなると、私は頭の中で何度も何度も、メンバー編成をシミュレーションします。
おそらく、
顧問の先生にも劣らない熱量と本気度で。
ここで培われた客観的自己評価は、まずまずの精度を保っていたと自負しております。
というのも、初めて背番号を貰うことができたメンバー発表の日。私は、「今回は、あるな。」と自信を持ってミーティングに臨んでいました。
私がベンチ入りを果たし、3年生では副キャプテンに選ばれるまでコツコツと着実に評価を高められたのは、徹底的な観察がゆえです。
観察していたのは、主に2つ。
顧問の先生の「怒りスイッチ」と、チームの中の自分が入り込む「隙間」です。
大会のベンチ入りメンバーはもちろん、
明日の練習試合のスタメン、今日の練習のチーム分け。
これらはすべて顧問の先生が決めています。
私は、先生が誰かを怒っている場面に出くわすと、その怒りの理由をひとつずつインプットしていきました。褒めている場面も同じです。
この観察を繰り返し、私は頭の中で、
先生の理想とする高校球児像を作り上げます。
あとは、その解像度を高めながら、自分がその理想像に近づく努力をしていくのです。
もうひとつの隙間観察ですが、
「うちのチームは、ショートの控えが居ないから、ショートを練習してみよう。」というレベルの話ではありません。
それで控えの座を掴めるなら、こんな苦労は必要なかったのだと思います。
ポジションの隙間に入り込むのは、私には技術不足でした。
私が狙った隙間は、もっともっと細かいところ。
グローブのウェブで例えるなら、クロスウェブではなくて、
編み込みのバスケットウェブのような小さな隙間です。
そんな小さな隙間が何だったかというと、例えば、片付け時のネット運び。
練習メニューに合わせて、グラウンド各所に配置されたネットを元の場所に整列させます。ネットは2人で両端を持ち上げて運ぶのですが、グラウンドをよく観察すると、ネット運びの相方を探している人が見つかります。おそらく、放っておいても別の誰かがやってきてネットは運ばれます。
が、私はその1人に向かって一目散に駆けていきます。
多少遠くても、練習の疲れが溜まっていても関係ありません。
もうひとつの例は、練習試合の塁審です。
練習試合には、審判団の方が1、2人来てくれて、残った塁審の役割は、部員が務めることが慣習でした。
私は誰よりも熱心に審判に取り組みます。
普段とは異なる視点から試合を見ることで得られるものがあるかもしれない。チームの誰よりもルールに詳しくなってやる。
どんな隙間にも貪欲でした。
2つの例はどちらも、先生やチームメイトが自分のことを目にする機会を増やすことに繋がりました。
単純な視認回数の増加によって、チーム内での存在感を高めていく。
これもベンチ入りを果たすための正当なアピールだったのです。
観察と隙間探しの癖は、今でも残っています。
職場においては、ここまでギラギラと立場を確保する必要は全くありませんが、人に嫌われにくい立ち振る舞いや、さりげない気配りは、「良い人」だという私の評価を助けている気がします。
・自我剥き出しのあざとい自己犠牲
自己犠牲。
日本人や高校野球の価値観と、とても相性の良い言葉です。自我を抑えてでもチームに貢献する。率先してこれができる選手は、評価を受けやすいです。
そして、私が副キャプテンとして信頼を得られたのは、この点で認めてもらっていたことが確かにあったと思います。
しかし、実態はそんなに美しいものではありません。
「自我を抑えてでも」と書きましたが、
野球が上手でない私にとって、チームに貢献することと、それにより評価得ることが、最も巨大な自我だったのです。
無死二塁での打席、
バントの指示はなし。
何を考えて打席に立つでしょうか。
私は、迷わずセカンドゴロを狙います。
自分はアウトになるけれど、ランナーを三塁に進める、進塁打と呼ばれる打撃です。
この場面でも、ホームランやヒットが打てるならそれが最善です。
しかし、結果として凡打してしまうと、独りよがりなプレーと受け取られてしまいます。
一方で、進塁打を狙った場合は、ランナーを進めることに失敗したとしても、その姿勢が評価されます。もちろん上手くいけば、最高の自己犠牲として認められるでしょう。
つまり、ヒットやホームランを狙うよりも、
自分の評価を落とすリスクが少ないのです。
なんとも消極的な選択です。
しかし、野球の技術そのものに自信がなく、ベンチ入りのために少しでも評価を上げたい私が狙うセカンドゴロは、自分のことを最優先した選択だと言えます。
こういった進塁打は、「最低限の仕事」と呼ばれることもあります。
バッティングもイマイチだった私にとっては、
最低限が最大限。
泥臭くセカンドゴロを狙っていたのです。
自我剥き出しの自己犠牲。
とにかくチームの為になることをする。
「アイツは自己犠牲を進んでできる」と自分の利益に繋げる。あくまで自分のためにチームプレイ。
この矛盾がいつしか、私のアイデンティティとなっていました。
今でも「多少の損をしても良い人と思ってもらえるなら、それはプラスだよね。」と思います。
私が良い人でいる原動力はこの考えが基礎にある気がします。
自分の評価を高めるためなら、損をする。
私の自己犠牲はあざといでしょうか。
・戦術オタクがゆえ、細部へのこだわり
攻撃時の作戦は、ベンチからのサインによって選手に伝達されます。
代表的なものはバント、盗塁、ヒットエンドランなどでしょうか。
高校生になり野球のレベルが高まり、戦術のバリエーションが一気に増えました。同じバントでも状況に応じて数種類の戦術を使い分けます。
私の愛する野球は、なんて深い世界だと感銘を受け、目を輝かせてすべての戦術とそのサインを頭に入れました。
高校時代には、サインミスをした記憶がありません。サインミスは、先生の怒りポイントでもありましたから、この点で有利でした。
すごく細かな話をしますが、
ランナーが複数いる場面、一方が囮となる動きをして、本命のランナーが進塁を狙うような戦術があります。
見事戦術オタクとなった私は、囮として動き出すタイミングや、アウトになる直前の倒れ込み方まで戦術の細部まで頭に叩き込んでいました。
さらにさらに細かい話をしますが、
この戦術で囮としてアウトになる時、守備側の選手が次の送球に移行しにくいよう、送球方向とは反対側へ低い体勢になりタッチを躱しにいったりします。
これは一例で、それぞれの戦術に「ここまで実行できたらベストだよね」という明文化されていない細かなマニュアルがありました。
残念ながら、試合で披露する機会はなかったですが、気持ちと頭の準備はいつでも出来ていました。
何より細部までこだわりきって1点を奪いにいくことが楽しかったのです。
細部にこだわりを宿す。
普段の仕事や、このnote。妻や友人へのプレゼント選び。
私は、誰も気づかないような細かなところに想いを込めます。
不純な動機で手にした学力
大学進学する人がほとんど、大学受験に力を入れましょう。という高校でした。
勉強は苦手ではなかったですが、野球と同様に、高校生になると勉強もレベルがぐっと高くなりました。
特に苦戦したのが数学です。
小テストの受け直しや、定期テストで赤点者に課される追試。大抵が放課後に行われていました。
何かしらの理由で、部活に遅れる日は、事前に先生に遅れる旨と理由を報告に行く必要がありました。
練習の欠席は、アピール機会の損失ですし、何より、部活の時間はとても楽しかった。
最初から最後まで練習に参加したい。
その一心で、勉強と向き合い続けていました。
いつしか苦手な数学の定期テストでも、安定して35-40点を取れるようになっていました。
不純な動機で手に入れた学力ですが、大学受験や後の就職活動に繋がっていたはずです。
局所的すぎる社交性
私は元々、内気な性格だったはずです。
社会に出てみても、心を開いて会話を楽しむことや、軽い話題や社交辞令を交えながら雑談を弾ませることが苦手だなと、たびたび痛感しています。
そんな私でも、野球の力を借りれば、人とコミュニケーションを取ることができます。
振り返ってみても、学生時代、野球部の仲間以外で、深い関わりを持つ友達ってほとんど居ません。
野球をやってなかったらと想像すると恐ろしい。
それでも野球部は大抵大所帯ですから、私は友達に恵まれた学生生活を送ることができました。
野球があれば、友達や仲間が作れる。
本当に野球に救われました。
そして、副キャプテンを経験し手に入れた、組織の中でのコミュニケーション。
自分を売り込むためにしつこく続けてきたあざとい自己犠牲や勉強は、みんなが嫌がることを率先してできるし、追試などで練習に遅れることもないという既成事実を作り出し、言葉に説得力をもたらしました。
背番号を欲して続けたシミュレーションで培った客観的視点と観察眼は、チームメイトへも向ける事で、チームに貢献するための具体的なアドバイスや、どんな部員にも役割を与えることができる能力へと進化しました。
囮となる走塁技術など細部を突き詰めていた結果、チームメイトの小さな努力にも気づくことが出来るようになりました。
なかなか陽の目をみることのない小さな頑張りを、評価し褒めることができた私は、よく見てくれている温かな存在として、自らの存在価値を高めていたはずです。
練習出席への貪欲さや、心の底から楽しむことができる野球愛。
無邪気にボールを追いかける姿や、冬場の過酷なトレーニングも笑顔でやり切ってしまう私は、徐々にその重すぎる愛と狂気性が漏れ伝わっていきました。これは、真面目でしっかり者というだけではない、親しみやすさを私に与えてくれました。
これらは、野球に本気で向き合ったからそこ、手に入れることができたものです。
そして、野球に浸かっていられる期間、特に、副キャプテンとして存在が認められていた高校3年生の1年間、私の社交性は眩しく輝いていました。
改めて、私の人格は野球という存在の中で、形成されてきたことを実感します。
今では、この社交性は鳴りを潜めていることが多いです。野球という共通言語が通用しない場面が多いですからね。
それでも、この経験が、本来内気な私に人と関わる勇気をくれていることは間違いありません。
好きこそものの饒舌なれ
いよいよ終盤です。
果たして、読んでくれている人はいるのでしょうか。
読んでくれているあなたは、贔屓のチームがどれだけ大差で負けていても最後まで試合を見守るタイプでしょうか。だとすれば、私と同じですね。
書いていて感じたこと。
愛の再確認と素直な驚きです。
これだけの長文になるとは全く想像していませんでした。
話したいことがどんどんと溢れてきました。
好きな気持ちだけでは、上達はしない。
すぐに限界を感じ取ってしまった。
だけど、愛を吐き出してみたら、パワーのある生きた文章が書けました。
大人になってから、こんなに長い文章を綴れるなんて。新しい自分が見えた気がする。
野球はまだまだ私を成長させてくれる。
おわりに
やや自虐的に、自分の能力や行動を分析してきました。
書いてきたことは事実ですが、反面、高校生の自分は、本当に野球に真っ直ぐで健気だったなとも思います。
実力が足りてない自分を客観的に評価する事は、高校生の野球少年にとって、とても残酷でした。それでも、自分の居場所をがむしゃらに作り出した、高校生の私はとても偉かったし、頑張りました。
書いていて気が付きましたが、その頑張りを誇りに感じている自分もいました。
その誇りを胸に、楽しいだけではない目の前の現実を生き抜いている。
改めて、私は野球に生かされている。
来世があるなら、どんな野球人生を送れるだろう。次も、野球にフラれてしまうのかな。
