見出し画像

我々は既に成功体験を行っていた① ~日本初の法令違憲判決『尊属殺重罰規定違憲事件』~


選挙無効訴訟を続けていると、よく耳にする言葉があります。
「前例がない。」
「今まで認められたことがない。」 「高裁まで負けたなら、もう難しい。」「最高裁の判例がない。」
そんな空気を感じることがあります。
しかし、日本の裁判の歴史を調べてみると、とても興味深い事件に出会いました。

それが、
日本初の法令違憲判決
『尊属殺重罰規定違憲事件』 (最高裁大法廷 昭和48年4月4日)
です。

実はこの事件も、地裁・高裁までは原告側(被告人側)の主張が認められませんでした。

そして、最高裁での判例こそ無かったものの
日本では法律は、国会が憲法に基づいて制定したものです。
そのため裁判所には、
「法律は基本的には憲法に適合しているはずだ」という考え方(合憲性の推定)が強くありました。
つまり、
「よほど明らかに憲法違反でなければ違憲とは言わない」
という姿勢で、
地裁や高裁の裁判官は、
「最高裁ならどう判断するだろう。」
という空気がありました。

しかし、最後の最後に最高裁が歴史を変えたのです。

今日は、その内容を見ていきたいと思います。

裁判だけが戦いではない。「搦め手」という考え方
最近、ある方から「搦め手(からめて)」という言葉を教えていただきました。
搦め手とは、お城攻めでいう「裏口」や「側面」から攻める戦略のことです。
真正面からぶつかるだけではなく、別の方向から目的を達成する方法です。

裁判で言えば、
・法廷で主張する。 ・証拠を提出する。
これは「正面」からの戦いです。これを「大手」と言います。(「本手」とも言います。)

一方で、
・noteを書く。 ・Xで発信する。 ・スペースで意見交換する。 ・新聞やテレビに取り上げてもらう。 ・社会全体で議論を広げる。
こうした活動は「搦め手」と言えるでしょう。

実際、日本の歴史を振り返ると、法廷だけで社会が変わったわけではありません。

裁判の外でも、多くの人が問題を考え、議論し、社会全体の空気が少しずつ変わっていったからこそ、歴史を動かした判決もありました。

その代表例が、今回紹介する事件です。

時代背景
今から50年以上前の日本です。
当時の日本社会は、現在よりも「家制度」の考え方が色濃く残っていました。
家族の中では父親の権威が非常に強く、
「親を敬うこと」
は道徳だけでなく、法律にも強く反映されていました。

そのため当時の刑法には、
刑法200条
という条文がありました。

そこには、
「父母や祖父母など、自分より目上の親族(尊属)を殺害した場合は、普通の殺人よりも極端に重い刑にする。」
という規定が置かれていました。

つまり、
同じ殺人でも、
被害者が父親だっただけで、刑が何倍も重くなる法律だったのです。

事件の始まり
この事件の女性は、幼い頃から実の父親による長年の性的虐待や暴力を受け続けていました。
何年も逃げることができず、
周囲にも相談できず、
極めて過酷な生活を送っていたと言われています。

そして、追い詰められた末に父親を殺害してしまいます。

もちろん、人を殺すことは重大な犯罪です。

しかし裁判では、
「殺人をしたか。」
だけではなく、
"父親だから普通の殺人より極端に重い刑にする法律"
そのものが問題となりました。

地裁・高裁ではどうなったのか
第一審、第二審では、
裁判所は刑法200条をそのまま適用しました。

つまり、
「法律がある以上、その法律に従う。」
という判断です。

女性側は、
「この法律は憲法14条の『法の下の平等』に反する。」
と主張しましたが、
高裁までは認められませんでした。

ここだけを見ると、
「やはり法律は変えられない。」
そう思ってしまいます。

最高裁は何を考えたのか
しかし、最高裁大法廷は違いました。

最高裁はまず、
親を敬うこと自体は日本社会において重要な価値である、
という点は認めました。
ところが、
だからといって、
父母を殺害したという理由だけで、普通の殺人とは比較にならないほど重い刑を科すことまで正当化できるだろうか。
と考えたのです。

そして、
憲法14条は、
「法の下の平等」
を保障しています。
人は法律の前では平等に扱われなければなりません。

最高裁は、
親族関係だけを理由にここまで刑を重くすることは、
合理的な理由を超えており、
憲法14条に違反すると判断しました。
つまり、
刑法200条そのものが憲法違反。

日本で初めて、
法律そのものを違憲と判断した
歴史的判決となったのです。

この判決で日本はどう変わったのか
この判決によって、
刑法200条は事実上適用できなくなりました。
その後、
法律そのものも削除されます。

つまり、
一人の事件が、
日本の刑法そのものを変えてしまったのです。

まさに歴史が動いた瞬間でした。

この事件が教えてくれること
私がこの事件で一番印象に残ったのは、
この事件まで勝ったことがない裁判で、
高裁までは認められていなかった。
という事実です。

もし当時、
「前例がない。」
「高裁で負けた。」
「最高裁も同じだろう。」
そう考えて諦めていたら、
日本初の法令違憲判決は生まれませんでした。

つまり、
歴史を変えた事件も、途中までは負けていた。
ということです。

「前例がない」は、本当に理由になるのか
裁判では、
「前例がありません。」
と言われることがあります。

しかし、
考えてみれば、
日本初の法令違憲判決にも、
当然ながら前例はありませんでした。
最初の一件だからです。

つまり、
「前例がない。」
ことと、
「認められない。」
ことは同じ意味ではありません。

誰かが最初の一歩を踏み出すことで、
初めて前例が生まれるのです。

私が感じたこと
もちろん、この事件と選挙無効訴訟は、法律上の争点も制度も異なります。
だから、「同じような結果になる」と言うことはできません。

しかし、私が学んだのは、
「前例がない」「高裁まで認められなかった」という事実だけで、可能性がゼロになるわけではない。
ということです。

そしてもう一つ。
歴史を変えた裁判は、法廷だけで完結したわけではありません。

社会の議論、学者の研究、弁護士の活動、世論の変化…。
そうした「搦め手」が積み重なり、裁判所の判断にも影響を与えていった側面があります。

だからこそ、裁判で主張することと同時に、その問題を社会へ伝え続けることにも意味があるのではないでしょうか。

最後に
日本の司法の歴史を振り返ると、
「高裁までは認められなかった。」
「前例がなかった。」
それでも最高裁で歴史が変わった事件が、実際に存在します。

尊属殺重罰規定違憲事件は、その最初の一歩でした。

歴史はいつも、「前例がない」と言われた場所から始まります。

敗訴をくつがえして勝訴した判例をみると、
どうしても
勝てる裁判だったから勝てたと判断してしまうと思います。
ですが、
中身を覗いてみると決してそうでは無かった。
勝てる見込みの無い中 諦めずに争って勝ったのだという
我々の成功体験の第一歩では無いでしょうか。

このシリーズでは、次回以降も、日本で実際に歴史を動かした違憲判決や逆転判決を取り上げながら、「過去の成功体験」から学べることを一緒に考えていきたいと思います。

いいなと思ったら応援しよう!