われ、”クラシック”に非ず…
…ぢつは、クラシックギターが好きというわけぢゃないんです──
ある日突然、学校教材の鍵ハモでテレビの特撮ドラマの主題歌を耳コピするという”演奏行為”に目覚めた自分は、ほどなく同級生の影響もあってピアノかエレクトーン((C)日本楽器)をやりたくなったのです。しかしわが家ではそんな高価なものを買えません。その代わりにと父から、「おまえはギターをやれ」の鶴の一言。翌日には父がもうギターを買ってきていて(鈴木の1万円クラシックギター)、あーもすーもなくギターを弾くことに。それまでギターのことも知らなかったし、ギター曲すら聞いたこともなかったのに…
そんな自分の当惑?不満?気味な様子を案じたらしい父は、「おまえに聞かせたいレコードがある。これを聞けば、絶対にギターを弾きたくなるはずだ」といってその晩聞かされたのが───マニタス・デ・プラタのLPレコード(フィリップスLP3枚組・絶盤)。
マニタス~は”銀の手”という意味で、本名はリカルド・バリアルド。ジプシーフラメンコギターの名手で、フランスはアルザス地方のジプシーコミュニティで生まれ育ちました。日本で某麦酒CMソング”ボーラーレ!”で有名になったジプシールンバのグループ「ジプシー・キングス」のメンバーたちは、マニタスの甥っ子なのです。
マニタスは世界で一番ギター一本で大成功した男ではないかとおもうのです。このレコードをきっかけに世界的に有名になったマニタスは、世界各国に愛人と子どもがいるとか高級外車を何台も所有しているとかいわれていました。当時の世界的銀幕スタア女優ブリジッド・バルドーから愛され、パブロ・ピカソなどの一流芸術家たちが賞賛を送り、地元でも有名人になりました。
なんの予備知識も先入観も持たず、ギターについてもほとんど無知な状態でいきなしマニタスのレコードを聴き、これがギターなんだ!と放心するくらいの感動に包まれた挙げ句、「じぶんもこういうふうに弾けるようになりたい!」と熱く思い込んだわけです。
それなのに、なぜクラシックギターは好きくないと言い張るのでしょう?──ギターといえば、アコギもエレキもクラシックもフラメンコもジプシールンバもみな同じものととらえているからです。
え、ちがうの?
──じぶんが勤めている職場には、夫婦あるいはカップルで訪れるお客様方が少なくありません。お互いにギターに理解がある場合は何の差し障りもございませんが、多くは奥様が理解あるいは許容されていないものです。夫様が得意げになってギターがずらっと並んだショーウインドウを見てウンチクを気持ちよく垂れていると、奥様ががなにげにひとこと:
「なに、みな同じぢゃないの、なにがちがうの?」
───よろしい。百歩譲ってエレキとアコギの区別はわかっても(意外に店頭では要説明なのです)、アコギ、クラシック、フラメンコのそれぞれのギターの違いにつきましては、現役ギタープレイヤーであってもハッキリと理解している割合は意外に少ないのではないでしょうか(アコギとクラシックのちがいはさすがに以下略)。
クラシックはもとよりフラメンコもいまでは、都市圏はいざしらず、地方ではかなりマイナーかもしれません(ウチの地域だけ?)。主要メディアへの露出もほとんどありませんので、フラメンコを習っている方々やプレイされている方々以外はあまり馴染みがないとおもわれます。さすがにフラメンコの踊りは認識されているとはおもいますが(参考:”もう一品ほしいぢゃんCM”)、伴奏しているギターがクラシックギターと別物とわかっている方は少数派だとおもいます。楽器の見かけもそのサウンドも、どこも違わないようにみえます。
クラシックギターとフラメンコギターはいまではまったく別な楽器になっていて、音楽のジャンルも違います。クラシックギタリストがフラメンコを、フラメンコギタリストがクラシックを演奏することは、めったにありません(両刀遣いも少いですがいます)。クラシックとフラメンコでは演奏スタイルもちがえば、プレイヤーのキャラも異なります(例:村治佳織と”もう一品cm”のギタリスト)。そこにお互いの交流はもちろん、コラボもアンサンブルもありません。だからといって互いに優劣を主張しあうこともなく、それぞれの特徴特性を理解して尊重しています。ただ、今後も交わることがないだろう、それぞれ別の世界に生きる楽器なのです。
しかしナイロン弦ギター(いまではエレキギター以外の生音のギターはすべて”アコースティックギター”と呼ぶので、スチール弦のアコギと区別する意味でこう記します)の歴史を調べると、クラシックギターもフラメンコギターも元は同じ楽器でした。
ギターのルーツは紀元前の中東のウードやヨーロッパのキターラといった、指で弦を弾いて音を出す撥弦楽器で、18世紀~19世紀にスペインで現在のものに近い形に発達しました。アンダルシア地方がその発祥ともいわれます。ただし、ネックや胴体が現在のものより一回り小さく、全体にほっそりとしたものでした。おもに酒場で歌の伴奏に使われた大衆楽器でしたが、だんだんと独奏で名人技を発揮する弾き手が出てきて、まずクラシックのジャンルでソロ楽器としての地位が確立されていきました。
19世紀後半になると高い演奏性や音量の増大が楽器に求められるようになったので、これに応えてスペインのギター製作家アントニオ・トーレスが画期的な製作技法を開発、ナイロン弦による現代の形のギター(スペインギター、スパニッシュギターともいう)を生み出しました。これが海をわたって新大陸でスチール弦のアコギとなり、それがさらなる音量の増大(新しく生まれたドラムセットに対抗できるようにと)が求められた結果、エレキギターが誕生したのでした。
フラメンコは、北インドを離れて長年かけてヨーロッパに達した流民ロマ(ジプシー)がスペインのアンダルシア地方に定住するようになって、そこで伝承されていった歌(カンテといいます)がルーツになります。この頃はまだ伴奏も踊りもなく歌のみで、いまでも”フラメンコの真髄はカンテにある”ともいわれます。
それがだんだんアンダルシアの民謡とも混ざり合ってゆき、スペインの大衆音楽はギターを伴奏に使っていたのでカンテにギター伴奏がつくようになってゆきました。ギター伴奏付きのカンテフラメンコは、いわゆる”歌声喫茶”(カフェ・カンタンテ)という飲食店でのショーとして発展してゆきます。ギターをソロで弾く名人も現れ、現在のフラメンコギターソロの基礎がつくられました。
そして20世紀なかば第二次世界大戦とスペイン内戦が終わると、踊り(バイレ)が加わるようになり、現在のフラメンコスタイルが確立しました。カンテ、トーケ(ギター)、バイレのもじどおり”三拍子”が揃ったのは意外に現代で、1950年代です。ここでナイロン弦ギターが、クラシックとフラメンコにはっきり分けられました。フラメンコギターソロは、古来からのクラシックギター奏法が取り入られて発達したものですが、逆の流れはなかったのですね。すでに現代クラシックギター奏法が、20世紀初頭で確立していたからでしょう。バイレが加わったことで、サウンドにもそれに合うものが求められるようになった結果、クラシックとは異なるギターのつくりや奏法スタイルが築かれていったのだと考えられています。
クラシックギターでフラメンコをやれないことはないですが、ギターはもちろん、プレイヤー自身にもけっこうな物理的なダメージが生じます。逆はそうではないですが、音楽的には満たされないかとおもいます。
もっとも大きな違いはサウンドと奏法ですが、そのためにギターの構造も違っています。
…ここまででたいがいに長くなっちまいましたので、いったん締めましょう。
自分がギターを愛奏するルーツは、クラシックではなくフラメンコ(厳密にいえばジプシーフラメンコ)にあったということです。最初の刷り込みは大事で、初めて感動したギター演奏が「禁じられた遊び」(原曲は古い時代のクラシック練習曲)ではなく、超絶的なジプシーフラメンコギターソロだったというのがミソでした。それで「ギター=フラメンコギターソロ」という感覚が自分の根っこにあるわけです。だから、およそ生粋のクラシックギター人とはいえない。そもそも聴くのもクラシックだけでなく、エレクトロニカにも傾倒してしまい、演奏批評に励めるような純粋なクラシック畑の人間にはなりえません。
フラメンコもエレクトロニカも、その根底に即興があります。これはクラシックと相反するものでもありますから、なおさらかもしれません。だからあえてレッテル貼りをすれば、じぶんは”即興(畑の)人間”というのかもしれませんネ。
そもそもギターは独学なので、クラシックの本流どころか支流にすら乗っていないことになります。クラシック音楽もクラシックギターも、あれこれいえるご身分ではないということです。
☆おまけ動画)
最近になってようやくフラメンコギターを始めました。とはいえ、ここでも我流の”なんちゃってフラメンコ”です。手始めにジプシーキングスの『インスピレーション』をソロでなぞってみました。名TV時代劇『鬼平犯科帳』のエンディングとして、妙に日本の風俗画とマッチして人気が高い曲です。ソロにするとかなり難しい曲で、後半の聞かせどころはカットしています。
*ちなみに、ジプシー・ルンバはフラメンコに非ず、とフラメンコ正統派からのご指摘もあったりします♪
