見出し画像

ごきげんママでいられるために。

はじめてのことはどんなことだって、勇気がいるものだ。大きなこと、小さなこと、そんなことは関係ない。

歳を重ねれば重ねるほど、自分が本当にしたかったことは何なのかわからなくなる。そして、幸いに見つけられたとしても、本当にしたかったことほど、恐怖を感じて動けなくなる。

ずっとずっとやってみたかったこと。
でも、なかなかできずにいたこと。

わたしにとっての、
それは「ハンドドリップ」だった。


コーヒーを淹れて飲むだけ。

ただそれだけの行為に思われるかもしれない。けれど、一歳児の息子をもつママとしては、踏み出すにはハードルが高いように思えてならなかった。

ハンドドリップは、多くの手順を要する。

①お湯を沸かす。

②豆の分量をはかる。

③豆を挽いて粉にする。

④ドリッパーとサーバーを準備し、フィルターをセットする。

⑤フィルターにお湯を注いで、サーバーを温める。カップも同様。

⑥挽いた粉をフィルターに入れる。

⑦お湯を何回かに分けて注ぐ。

これは最低限で、細かいところを言い出したらキリがない。これだけの手間がかかるということは、当然のごとく、それだけの時間が必要だということ。

今でも、家事や育児であっぷあっぷしているのに、これだけの手間と時間をかけられるだろうか?



そして、もう一つ、踏み出せない大きな理由がある。

カフェイン入りのコーヒーが飲めなくなってしまったのだ。

元々、大のコーヒー好き。一人暮らしをしていた頃はコーヒーメーカーも持っていた。

そんなわたしのコーヒー人生に急展開が訪れる。妊娠中のつわりでコーヒーの香りを受け付けなくなってしまったのだ。
そのときの衝撃ったらなかった。あれほど大好きだったコーヒーが飲めない。飲みたいと思えない。心の拠り所ともいえる楽しみが一つすっぽりと失われて、しばらく本気で落ち込んだ。

つわりが明けてからはコーヒーの香りも受け入れられるようになり「復活!」と思いきや、妊娠から授乳中にいたるまで、カフェインの摂取を控えていたので、コーヒーを飲むことはなく、早くも2年が過ぎ…

授乳も終わり、晴れてカフェイン入りのコーヒーも飲めるようになった!
…にもかかわらず、なぜか、カフェイン入りのコーヒーを飲むとムカムカするようになり、身体もふらふらするようになってしまった。悲しすぎる。




だから、ずっと憧れていたはずなのに、「ハンドドリップをしたい!」とすら思うこともなかったのだ。

心の奥底に眠る望みを見ようとせず、目に入っても見て見ぬふりをして、望みだということも忘れ去り、日々を過ごすことで精一杯。

埋もれていた望みが輝き出したのは、子育てに少し余裕が出てきて、自分の心を調える時間がほしいと思い始めてからだった。

はじめは、
「できたらいいな」くらいの
おぼつかない望みで。

だから、できない理由ばかり浮かんで、やっぱり無理だろうなと諦めていた。




そんなある日のこと。
昼食どきのことだった。

いつものようにバタバタと準備が始まる。
息子が一人で遊んでいる隙に、冷凍してあったストックのおかずやらごはんやらをレンジでチンしつつ、自分のごはんも用意する。

時々、台所に入ってくる息子の相手をしながら、なんとか完成させて、息子といっしょに「いただきます!」

この頃の息子は意志が出てきて、ごはんを食べさせるのに手を焼いていた。

味噌汁の汁は、目を離した隙に、一気に全部ぶちまけていく。
スプーンは拾っても拾ってもポイっと投げ捨てていく。
途中から座席を立とうとして、あの手この手で座らせようとするが座らない。

気持ちに余裕があれば、
「そんなもんだよね〜」
と大らかに受け止められることかもしれないが、いかんせん、その日は、わたしの体調も悪かった。

あーもう、何もかもがイヤ!
もうしんどい!!!!

自分のごはんはいつも冷めて、味わう余裕もない。

テーブルを拭きながらいったい何をしているんだろう、と不意に悲しくなってきた。

こんなふうに気がつかないうちにママの心は擦り減っていって、どんどん病んでいくのかもしれないな。

わたしは、息子には怒らないし、手をあげたりはしない。でも、もっと余裕がなくなる状況になれば、その時はどうだかわからない。

毎日孤独で、毎日自分のことは後回し。
睡眠も不十分、疲労も回復しないまま、次の日に繰り越し。こんなことを延々繰り返していたら、そりゃ、誰だって平穏な心でいられるはずがない。

いつか、本当に心を見失ってしまいそう。

このままではまずい。

そう思ったわたしは、気分を変えようと外に出かけることにした。
まず、車に乗る。頭は痛かった。行き先は決まっていなかった。それでも車を走らせた。



「まずは、コーヒーでも飲もう」

そう思ったのはローソンの看板は目に飛び込んできたからだ。ローソンには、カフェインレスのコーヒーがあるので、わたしでも飲める。

そうやって、しんどいときには幾度となく、コーヒーに救われてきたんだっけ。

仕事に行くのがつらく感じる朝も、
「あのカフェに行って、リラックスできたら」
と思って、なんとか重い腰を持ち上げることができた。

ローソンに入って、注文をする。

「カフェインレスのアイスのカフェラテください」

しばらくすると、店員さんがカフェラテを持ってきてくれた。息子はぐずっていたため、抱っこをしていた。

シロップを入れようとするが、抱っこをしたままなので、うまくできず手こずっていた。

それに気づいた店員さんがすぐさま、
「入れましょか?」
と駆け寄ってきてくれた。

そうして、入れてもらったカフェラテは、いつもの飲みなれたカフェラテの味。
また車を走らせていく。そして、さっきの店員さんの優しさを思い返していると、なんだか泣けてきた。

ありがたい。

さりげない優しさが、本当にありがたいものに感じられて。

自分のために労わること。
自分のために優しくすること。
自分を思いやること。

ワンオペで育児していると、そんなことは、一切ないと言っていいだろう。

だからこそ、店員さんの優しさが身に沁みて、ありがたく感じたのだった。

それと同時に思ったのは、
「やっぱりハンドドリップをしよう」だった。

自分のために手間をかけよう。
自分のために時間をかけよう。

ハンドドリップは手間も時間もかかるけど、今は、自分に手間や時間をかけてあげたかった。普段、子どもの世話にかかりきりで、自分のことはおざなりだったから。

だから、忙しければなおさら、ゆっくりと、ゆったりと、心を取り戻すためにも。

それはずいぶん、
長いことしてあげられなかった、

自分のために労わること。
自分のために優しくすること。
自分を思いやること。

小さいけれど、
十分すぎるほど、
贅沢なご褒美のように思えた。




そして、さっそく、この春から始めてみた。

まずは、ドリッパーとサーバーとケトルを買った。もちろん、コーヒーの粉とフィルターも。

始める前までは時間と手間がかかるだろうと思い込んでいたけど、やってみたら、案外苦にはならなかった。
息子のおやつタイムといっしょにハンドドリップをいっしょに淹れたり、息子のお昼寝中にこっそり淹れたりして楽しんでいる。

今日はどれくらいの濃さで、どれくらいの温度で淹れようか。そんなことを考えながら、自分のためにじっくりと淹れるコーヒー。

自分にお疲れさま、と。

今日もよくやってる、と。

思いを込めて。

どうしてもイライラしたり、ピリピリしてしまう日もある。毎日ごきげんなママでいたいけど、なかなか難しい。

だからこそ、自分に「お疲れさま」と。

少しでもごきげんなママに近づけるように、自分が自分であれるように。





いいなと思ったら応援しよう!

やまだ めぐみ あなたの支援を、フリーランス活動の励みとさせていただきます。よりよいサービスづくりに反映させていただきますね🌿

この記事が参加している募集