あの日母になった私に贈る手紙
あの日母になった私へ。
自分のことを「ママ」と呼ぶことも、心の端がむずがゆいように感じていたあの頃。
手のひらから伝わるあたたかさ。形を保つことも頼りなげなくらいやわらかで。そして、たしかに感じていたのは、その命の重み。
ずっしり、とは言えないくらい、まだふわりと軽い、けれど、「命」がここにあるという、その重み。「母」という責任と自覚が、ぽつりとこぼれ落ちて、ただの「私」から「母」としての「私」をつくっていく。
この子がいる毎日をこれから生きるんだ━━
それは、希望半分、不安半分だったように思います。
あの頃、あなたはこんな希望を抱いていましたね。
子どもの眼差しの先にある世界をいっしょに楽しみたい、と。
そして、もう二度と戻ってこない子どもとの今を、せいいっぱい味わい尽くしたい、と。
胸いっぱいに希望を膨らませ、未来を思い描いていましたね。
そんなあなたに、先に謝っておきます。ごめんなさい。
あなたが思い描いたような未来とは、ほど遠いかもしれない。
4歳になった長男、1歳になった次男は、数秒ごとに、私の手を止めます。
「ママ、見て!」
「ママ、ちょっと来て!」
「ママ、抱っこして!」
次男は、トイレに手を突っ込み、お茶をひっくり返し、玄関に裸足のまま突入していく。
長男ひとりの時は、すぐに手を止めて駆けつけるだけの余裕がまだありました。家事を後回しにしたっていい。子どもの想いを大切にする。そう決めたから、私はすぐに駆けつけました。
けれど、次男が産まれて、それがほんとうに難しくなりました。次男におっぱいをあげているから、今は抱っこすることができない。育児や家事も今までの2倍以上の負担に感じるようになりました。
「ちょっと待って!」
何度、その言葉を口にしたでしょう。
ひどい…。そう思うよね。
私もできることなら、すぐに手を止めて駆けつけたい。子どもが見ているもの、感じる世界を、いっしょに味わいたい。
けれど、そんな想いが小さく縮こまってしまうほど、頭の中は考えごとでぎゅうぎゅうに埋め尽くされ、次から次へとするべきことが山のように降ってくる。
あなたは、こんな私になんと声をかけますか?
「大切なことを忘れてるよ。星の王子さまを読んで」
と声をかけてくるような気がしたので、今、さっそく本棚から取り出したところです。
「だれかが、なん百万もの星のどれかに咲いている、たった一輪の花がすきだったら、その人は、そのたくさんの星をながめるだけで、しあわせになれるんだ。そして、<ぼくのすきな花が、どこかにある>と思っているんだ。それで、ヒツジが花をくうのは、その人の星という星が、とつぜん消えてなくなるようなものなんだけど、それもきみは、たいしたことはないっていうんだ」
王子さまは、それきり、なにもいえませんでした。そして、にわかに、わっと泣きだしてしまいました。
大切なことを忘れかけていましたね。でもね、子どもが大切じゃないから忘れていたわけじゃないよ。大切なのは大切。ほんとうに大切。
子どもの声に耳を傾けることが難しくなるくらい、毎日が必死なんです。それだけ必死に生きているんです。いろいろ抱えすぎなのでしょうね。肩の荷をすこし降ろさないとね。
でもね、あなたの希望をじゅうぶんに守れていないかもしれないけれど、私は擦り切れそうになりながら、必死のところで守っています。そのおかげで、気づけたものもあります。
空を横切る飛行機を、ずっと追いかけ続けた、満ち足りた時間。
その澄んだ眼差し。
ばしゃばしゃとお風呂の水をかけあっただけで大爆笑。
私が笑うと満足そうな顔をした、その表情。
「だるまさんの」の絵本を繰り返し読んで「手」「歯」の動作を自分でするようになった、その可愛さ。
もう書ききれないほど、たくさんたくさん、子どもたちから宝物をもらいました。それは、ちゃんと子どもたちとの「今」を大切にしたいという、あなたの希望を守ったからこそ、出会えた瞬間だと思います。だから、ほんとうにありがとう。
あの頃、あなたは不安に押しつぶされそうにもなっていましたね。
おっぱいは足りているのかな。元気に育つかな。夜泣きもひどくて、原因がわからなくて、眠れない夜に泣き崩れた日もありました。
その不安を掻き消すように、あなたはものすごくがんばりました。がんばればがんばるほど、追い詰められることもありました。完璧にしなくていいよ、ちょっとくらい手を抜いたらいいよ。そんな言葉はかけられない。だって、がんばることが愛情そのものだったから。やれるだけのことを、できる限り、がんばりたかったんだよね。
ひとつ不安が消えても、次から次へとまた違った不安が訪れていきます。
おっぱいだけで栄養が足りているのか不安すぎてミルクを足して、それでも怒って泣くので、どうしていいのかわからなくて途方に暮れたこともありました。
一歳のクリスマス前に、股関節脱臼の疑いがあると知った時は頭が真っ白になったね。足に装具をつけた姿が、かわいそうに思えて涙が止まりませんでした。
もう、その時は逃れようもできない絶望感で、苦しくてしかたなかった。逃れられるものなら、逃れたい。けれど、逃れることなんてできないんです。だって、この子の母だから。
だから、どうしたらいいのだろうと考える。悩む。がんばる。そうやって、どうにかこうにかやってきました。
今思えば、その経験ひとつひとつが、私を「母」として成長させてくれていたのかもしれませんね。
今も、しっかり「母」をやれているかわからない。けれど、苦悩や絶望と向き合い、どうにか日々を繋げている。その事実がほんの少し誇らしげに思える今日を過ごしています。
今、私はしあわせの真ん中に立っています。
今日も、2人の子どもたちが「ママ!」「ママ!」と、髪の毛を引っ張り、膝の上を取り合っています。最近は、寝る前、ひたすらチューしてくるようになりました。そのおかげで顔面ヨダレまみれです。
こんな未来を想像できましたか?
こうして、かわいい2人の子の「母」になれたこと。
「母」を思う存分に味わう経験をさせてもらえていること。
子どもがいる日常が当たり前すぎて、こぼれていってしまいそうになるけれど、どれほど「今」この瞬間がしあわせなものか、あの日母になった私なら、痛いほど感じ取ってもらえるだろうと思います。
忘れたくない。
でも、忘れてしまうから。
何度も思い出そう。
何度でも何度でも。
母になったあの日のことを思い出して。
子どもの眼差しに映る世界を今日も愛して、
希望の今も、不安の今も、抱きしめて生きていきます。
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