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小さなあなたと公園デート


次男坊が逃走した。タタタッと、ママの手をすり抜けて、道路を一直線に駆けていく。「絶対に行くんだ」という意志が、全身からあふれ出ている。

ごめんね、と内心思いながら、小走りで追いかける。次男の全力疾走も虚しく、すぐにママの腕の中におさまっていく。

身体を持ち上げようものなら、
「わぁー!!!」と大暴れ。

手足はバタバタ、身体はぐにゃぐにゃ。活きのいい魚でも抱いている気分だ。逃げようと必死でもがくけれど、私も手慣れたもの。抜け出せないように、胸をしっかりと押さえて離さない。

「今から、にいちゃんの保育園に行くからね、しかたないのよ」

いつもの公園に行きたかった様子。

暴れ狂う次男を、なんとかチャイルドシートに詰め込んでいく。

「行くよー」

長男は、家の隣の空き地で駆け回っている。毎度のことだ。朝はずいぶん冷え込んできたというのに、お構いなしだ。

私が車に乗り込むと、さっきまでの大荒れが嘘のように平穏に。長男が次男に向けて、変顔をしてあやしてくれていたよう。私がやっても、うんともすんとも言わないのに、長男に相手してもらうのは特別らしい。すっかり機嫌を取り戻している。


朝のバタバタから、ホッと一息つける車の中。保育園までは、8分ほどだ。長男とお話したり、しりとりやクイズをしたりする、親子のリラックスタイムのひとときを過ごす。



長男の送迎を終え、帰宅。
車から降りると、次男に声をかけた。

「さっき行けなかった公園に行こうか」

次男は、満面の笑みを浮かべて、先ほどのように、タタタッと走り出す。気づけば、もう1歳5ヶ月。走る姿もずいぶん安定してきた。

走ること自体がうれしい、目の前の景色が移り変わっていくことが楽しい、そんな様子で、ママを残して、しばらく夢中で駆け抜けていく。


(ママ、きてる?)


急に不安になったのか、振り返る次男。そばまで行って、次男の左手にそっと手を伸ばす。

私の人差し指の先っぽが、小さな手のひらにすっぽりとおさまっていく。そのふんわりと柔らかな感触を胸に乗せたまま、同じペースで歩いていく。


あなたの歩幅は、私の半分。
私が1歩歩けば、あなたは2歩。

あなたの背丈も、私の半分。
80cmほどの小さな身体から見える世界。


その一歩のよろこび。息づかい。言葉になる前の声。眼差しのきらめき。そんなものを、私は育児日記にも、写真や動画にも、鮮明に残すことができない。どうやっても取りこぼしていってしまう。

5年後、10年後、もっと先になったとき、私は忘れてしまうのだろうか。

初めて立った!
初めてしゃべった!

そうでもない、なんでもない今日の日のことを、思い出すことはないのだろうか。

公園まで手を繋いで歩いたあの時間。私はしあわせで満たされていた。それは、大きな感動と呼べない、けれど、人生最期の日に思い出したい瞬間なのだろうと強く感じる。


子どもと過ごす日常は、いいことばかりだけじゃない。ひっくり返されるごはん。脱ぎ散らかされたままのパジャマ。挟まれて居場所のない寝床。そんな瞬間といつも隣り合わせだ。

ふと鏡に映る自分の姿は、髪の毛ボサボサ、すっぴんメガネで、どうにか人間の形を保てるだけの余裕しかない。

だけど、ここに、しあわせが確かにこぼれ落ちているよ、と声をあげて言いたくなる。

5年後、10年後、思い出したら、きっと涙がこぼれるような、絶対に失いたくない、絶対に忘れたくないしあわせを、子どもたちは私に手渡してくれている。

あなたが歩く小さな歩幅。あなたが見る80cmの世界を。いっしょに味わうように歩いた、このひとときのしあわせを、どうにか、人生最期の日まで心に留めておいて。

そう願う。

小さなあなたとの公園デート。
いつの日か手を離してしまう日まで。

歩幅も、見える世界も違うまま、同じしあわせを描き出していよう。





今回は、私の「#ウェルビーイングな時間」について書いてみました。気づけば、締め切り日当日でした。間に合ってよかった。


幸せや豊かさを考えるためのキーワード「ウェルビーイング」。あなたがウェルビーイングを感じるのはいつですか?心が満たされる趣味や、生活の中でのちょっとした心がけなどを教えてください。

「シアフル」公式より

書いてて涙がこぼれ落ちる。

ほんとうに毎日しあわせです。いろんなことがあるけど、今がどれほどありがたく、豊かな日を過ごさせてもらっているかを実感します。

今日もありがとう。

どうか、心にやさしい一日を🍀



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