「鳥刺し」を食べる前に知ってほしいこと
——カンピロバクター腸炎とギラン・バレー症候群
居酒屋のメニューに、当たり前のように並んでいる「鳥刺し」。とくに九州では地元の味として親しまれていて、新鮮な鶏肉ならではの弾力とほのかな甘みは、たしかに魅力的です。私も大好きです。
でも、呼吸器内科医としてどうしても伝えておきたいことがあります。鳥刺しは、ただのお腹の風邪では済まない病気につながることがある食べ物だということです。
今日は「カンピロバクター腸炎」という食中毒と、そのまれだけれど怖い合併症「ギラン・バレー症候群」について、できるだけわかりやすくお話しします。
「新鮮だから安全」は、実は思い込み
鳥刺しが心配なのは、鶏肉そのものの中に「カンピロバクター」という細菌がもともとすんでいることが多いからです。実は、鶏肉には「これなら生で食べても安全」と言える衛生基準が存在しません。
しかも厄介なことに、新鮮な鶏肉ほど菌が生き残っている可能性が高いとされています。「今朝しめた鶏だから」「信頼できるお店だから」という安心感は、残念ながら菌がいるかどうかとはあまり関係がないのです。市販されている鶏肉を調べた調査では、20〜100%という高い割合でカンピロバクターが検出されたという報告もあります。
カンピロバクター腸炎ってどんな病気?
カンピロバクターに感染すると、2〜5日、時には1週間ほどの潜伏期間を経てから、下痢・腹痛・発熱・吐き気といった症状が出てきます。他の食中毒に比べて潜伏期間が長いため、「数日前に食べた鶏肉」が原因だと気づきにくいのが特徴です。
症状は1週間ほど続きますが、体力のある方なら多くは自然に回復します。2025年の食中毒統計を見ても、事件数の多い原因物質はノロウイルス、アニサキスに次いでカンピロバクターが3位で、鶏肉の生食や加熱不足がその主な原因とされています。それだけ、身近に起こりうる食中毒だということです。
多くの方は、これを「ただのお腹の風邪」として乗り切ります。しかし、本当に注意してほしいのはここから先の話です。
治ったはずなのに、手足に力が入らない——ギラン・バレー症候群
腸炎の症状が落ち着いてから1〜3週間ほど経ったころ、まったく別の症状が出てくることがあります。足のしびれや力の入りにくさから始まり、だんだんと上半身へ広がっていく——これが「ギラン・バレー症候群(GBS)」です。
お腹の細菌感染が、なぜ神経の病気につながるのでしょうか。実はカンピロバクターの表面の構造が、人間の末梢神経の表面の構造ととてもよく似ています。体が細菌と戦うために作った抗体が、その”似すぎている”せいで自分自身の神経まで誤って攻撃してしまう——これがGBSの正体です(この仕組みは「分子相同性」と呼ばれています)。
頻度としてはまれで、カンピロバクターに感染した方のうち発症するのはおよそ1,000〜3,000人に1人程度とされています。とはいえ、GBSを発症した患者さん全体を見渡すと、先行する感染症としてカンピロバクターが関わっているケースが実は最も多く、およそ3割を占めるという報告もあります。
呼吸器内科医として、特に伝えたいこと
GBSが本当に怖いのは、麻痺が手足だけで終わらないことがある点です。症状が進行すると、呼吸をつかさどる筋肉まで力が入らなくなり、人工呼吸器での管理が必要になることがあります(重症例のおよそ5〜10%程度)。「階段が上れない」「箸が持ちにくい」といった段階で、すでに入院と厳重な観察が必要になっているケースも少なくありません。
救いなのは、免疫グロブリン療法や血液浄化療法といった有効な治療法があることです。早期に治療を始めるほど回復も期待しやすいため、「早期発見・早期治療」が何より大切な病気だといえます。
こんな症状が出てきたら、様子を見すぎずに早めに受診してください。
• 手足がしびれる、力が入りにくいと感じる
• 階段の上り下りがつらい、字を書く・箸を使うのが難しい
• 物が飲み込みにくい、ろれつが回らない
• 息苦しさを感じる
特に「腸炎が治ったあとに」こうした症状が出てきた場合は、「治りかけの疲れかな」と自己判断せず、神経内科や救急を受診することをおすすめします。
予防できること
GBSそのものを防ぐワクチンはありません。つまり今できる一番確実な予防策は、そもそもカンピロバクターに感染しないこと——鶏肉をしっかり加熱することです。
目安は、中心部の色が完全に変わるまで、75℃で1分間以上。低温調理をする場合は、中心温度計を使って必ず確認してください。まな板や包丁を生肉用と生食用で分けること、調理後の手洗いも忘れずに。
おわりに
鳥刺しは、九州の食文化として長く愛されてきた料理です。私も食べたことはたくさんあり、やはりおいしいですね。
なのでそれを頭ごなしに否定したいわけではありません。ただ、「知らずに選ぶ」のと「知ったうえで選ぶ」のとでは、まったく意味が違うと思っています。
もし鳥刺しを食べたあとに強い腹痛や下痢が続いたら、そしてその後にふと手足のしびれを感じたら——今日のこの話を、少しだけ思い出してみてください。
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